情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

ネットを真の民主主義発展の道具とするためにはやはり実名化が必要では?

2009-02-01 19:33:43 | メディア(知るための手段のあり方)
インターネットが発展することで、人はより多くの人により簡単に自分の伝えたことを表現することができるようになった。単純に考えれば、その結果として、民主主義がより確固たるものになっていなければならないはずなのに、いまのところ、必ずしも、そうなっているとはいえないように思う。日本のブログは世界でも一番数が多いと言われているのに、なぜ、それが実現できていないのだろうか?

 この問題を考えるためには、まず、「では、民主主義にとって最も必要な情報とは何か?」をはっきりさせる必要がある。
 
 とはいえ、この点については、そんなに争いはないだろう。最も必要な情報は、「政府の選択」を行うために必要な「事実」に関する情報だ。投票する際に必要な情報ということだ。

 したがって、まずは、政府や政治家に関する「事実」を知らなければならないのだけれども、インターネット上では、政府や政治家に関する事実よりも、事件の犯人や有名人、有名店などの事実について議論することが多いのが実態のように思える。政治的言論は低調だ。


 原因は何だろうか?

 まず1つには、公的な事実に関する情報があまりにも開示されていないということがあると思う。いま、話題の「かんぽの宿」の問題だって、そういう入札があるということは事前には市民一般には知らされていないわけで、政府の資産を売却することに関する総合ページなんかがあれば、事前に市民が批判することができたはずだ。政府に関する情報の開示があまりに少ないという問題は、インターネット上の言論だけの問題ではないが、重要な問題だ。

 第2には、公人や公的機関に対する批判が、私人に対する批判と同じ基準で、名誉毀損となってしまうということがある。公人や公的機関に対する批判は原則として自由であるべきであり、例え、間違っていても、悪意をもってなされたもの、悪意的な表現でなされたものでない限りは、責任を問われるべきではないはずだ。そうなってはじめて、政府の選択に関する議論が自由かつ活発に行えるようになると思う。

 そのうえで、第3に、インターネット上の言論が無責任になされているという実態がある。つまり、下らない「差別」的言論、「特定個人に対する攻撃」的言論がなされることによって、インターネットで真面目に、政治を語ろうという機運が盛り上がってこないという問題がある。実名(もしくは、特定できる「ペンネーム」)で行うことによって、責任ある言論、真面目な議論をネット上で実現するべきではないだろうか。もちろん、第1、第2が実現することなしに、第3のみを先行させることには問題があるだろうが、第1、第2が実現すれば、実名(ペンネーム含む)にすることこそが民主主義に貢献するのではないだろうか。

 第1、第2は、あまり反対する人はいないと思うが、第3については議論が分かれるはずだ。

 あえて問いたい。匿名であることによって、利益を得ている者は誰なのか?と。果たして、あなたは、インターネット上の言論が匿名であることによって、何らかの利益を得ているだろうか?

 うわさ話は個人的には嫌いではないし、特定個人に関する話で盛り上がるのも悪くはない。しかし、そういう話をインターネット上で行うことには抵抗がある。そういう話が自由に出来るのは、あくまでも、特定少数の間でなされるからであり、それが不特定多数の間でなされたら、名誉毀損になる可能性もある。少数の間だからこそ、その共通理解のうえで、許される発言が、不特定多数の間に広まれば、額面通り受け止められて発言の趣旨が変わってしまうことだってある。

 インターネット上の言論は匿名でなされることによって、少数の間でうわさ話をするよりももっと安易に、うわさ話や個人攻撃をしやすくしている。少数にすら、自分の正体を明かさなくても済むのだから…。

 もちろん、実名(ペンネーム含む)にすることによって、内部告発的な言論が発信される可能性は減るかも知れない。しかし、もし、第2が実現して、公人や公的機関に対する批判が自由になされるようになれば、インターネット内部告発センターのようなところが必ず設立され、そこを通じて内部告発することは可能となるはずだ。

 そう、もう一度、問いますが、匿名であることによって、利益を得ているのは誰なのだろうか?

 犯罪予告の書き込みをした者が次々と逮捕されたことからも分かるように、警察は、その気になれば、簡単に発言者を特定することが出来る。匿名の言論によって、権力側は何ら不利益を被っていないのではないだろうか?

 そもそも、ネットで匿名で発言するということは、道路上を覆面をして歩いていることと同じではないだろうか。イスラムの女性のように、それがある意味当たり前のようなところもある。いまの日本のネットの言論のあり方を肯定する人は、イスラムの女性の中で顔を隠すことを肯定している人と同様に、置かれた状況に固執しているだけではないだろうか?
 
 道路上で覆面をしないように、ネット上では実名で発言する。それこそが、ネットの公共性を高めるように思うのですが、いかがでしょうか?



 


  



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★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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