橋下弁護士がなぜ、光市母子殺人事件の弁護団を懲戒するよう煽ったのか、よく分からなかったが、「SAPIO」2007年6月27日号を見て、単に、注目を浴びるための手段でしかないことがよく分かり、悲しくなった。
上記SAPIOの記事は、「悪徳弁護士を一掃できない!自浄能力なき『弁護士会』は解散すべし」というタイトル。確かに、弁護士会に問題がないわけではない。弁護士の依頼者に対する立場から、金目当ての悪徳弁護士による被害は大きく、自浄能力がないという批判は、必ずしも間違っているとはいえない。しかし、問題は、ここで、彼がいう「悪徳弁護士」とは、何を指しているのか、だ。
第1に、彼は、これまでは経験ゼロの若造でも独立して法律事務所の看板を掲げればボロ儲けできたが、今後は、「実務経験がまったくないまま独立することが不可能になる」一方、弁護士の大増員によって弁護士が増え、弁護士が安く使えるため、大手法律事務所や一般企業で経験を積み、独立心のある者が看板を掲げるようになる。つまり、「実務経験を積んで実力を備えた弁護士だけが独立するようになり、しかも競争が激しいわけだから、むしろ質もサービスも向上する」という。
まったくのでたらめ。これまでは、新たに弁護士になる者が限定されていたから、ほとんどの者が法律事務所に就職し、あるいは地方では弁護士会が手厚くバックアップし、経験を積むことができた。しかし、今後は、新たに弁護士になる者の数が多すぎて、いきなり独立するしか選択のない者がどんどん増えてくる。すでにここで書いたが、【2007年秋、従来通りのシステムで誕生する法曹(裁判官、検察官含む)が1455人、ロースクールのシステムで誕生する法曹が991人を予定しているが、数百人が就職できないと噂されている】のが実態だ。それとも橋下弁護士は、数百人を一人で雇ってくれるとでもいうのだろうか。
また、大規模事務所や企業で鍛えられるというのもでたらめ。もちろん、企業法務には精通するだろうが、そういうところの弁護士は法廷にほとんど足を運ばない者も多い。だから、法廷での尋問技術などの経験は積めない。つまり、一般市民が期待する弁護士には、大規模事務所や企業でいくら経験を積んでも、なりえないのだ。
第2に、橋下弁護士は、多重債務の整理に関わる弁護士を批判する。もちろん、弁護士でない者と提携して債務整理をしたり、事務員に債務整理を全て任せる弁護士に問題があるのは確かだ。
しかし、多重債務問題は、借財した本人が家族から責められる構造をもっており、家族が敵味方に分かれて苦しむという点で非常に問題がある。つまり、普通の法的紛争なら、家族が一丸となってそれに当たることができるが、多重債務は家族の中が崩壊してしまうのだ。そこをカウンセリングしながら家族を立て直すことはその家族にとってとても大切であり、重要な業務だ。この業務に携わる弁護士を卑下するかのように、「それにしても昔は、債務整理というのは、誰でもできる仕事で、専門家があえて国家資格を背景にやる仕事ではなく(中略)。弁護士も仕事を選べる弁護士と、仕事を選べない弁護士に二極化してきたな、と痛切に感じさせられた」などと批判するのはまったく不当な評価である。
サラ金が堂々とゴールデンタイムにCMを流し、サラ金被害が拡大したからこそ、それに対応して弁護士が業務を行っているのであり、そもそも、サラ金を批判すべきだ。しかも、弁護士会は、利息を下げるよう運動し、サラ金被害自体が発生しなくなるよう働きかけているのだ。つまり、自らの業務が減ることになってでも、多重債務に苦しむ人を減らそうとしている。そういうことをこの橋下弁護士は考えたことがあるのだろうか。そもそも、「仕事を選べる弁護士」とはどのような弁護士を指すのか?苦しんでいる人に対し、俺は仕事を選べる弁護士だから、と言って、放置することが、仕事を選ぶことだとしたら、私は、そんな弁護士にはなりたくはない。
第3に、橋下弁護士は、ヤメ検弁護士が刑事裁判に強いのは単なる幻想だと批判する。そのこと自体には賛同するが、かといって、橋下弁護士が言うところの大型事務所や企業で企業法務の経験を積んだ弁護士が、ヤメ検よりも刑事事件に長けているとも思わない(言い回し修正。ご指摘多謝)。
第4に、橋下弁護士は、アメリカでは、大事故の現場に弁護士がわらわら押し寄せ、被害者に訴訟を持ちかけるが、着手金はゼロで成功報酬のみを受け取るシステムで、弁護士を雇えない貧しい人のためになるので悪い精度ではないという。
しかし、アメリカの報酬は、獲得した金額の3分の1という日本では考えにくい割合であり、それでも構わないというのだろうか。むしろ、公的援助(リーガルサービス)の拡充を図るべきだろう。
第5に、橋下弁護士は、「以上のような理由で、僕は弁護士の数を増やすことが業界の健全化につながると考えている」というが、まったく意味不明…。
第6に、橋下弁護士は、ロースクールを批判するが、批判の内容が的を射ていない(字句修正。ご指摘多謝)。ロースクール創設の趣旨は、「人間的素養にあふれる法律家を社会に輩出するためだった」が、ロースクールで人間的素養はつかないというのだが、そもそも、ロースクール創設の趣旨は、弁護士の数を増やすためであり、それ以上のものではない。従来の2年間の司法修習制度では研修所という箱が足りないし、いったん司法試験合格者を増やしても簡単に減らすことができる。しかし、ロースクールができれば、いきなり、ロースクールを半分にすることはできないから、弁護士増の勢いを止めることができなくなる。だから、従来の司法試験ではなく、ロースクールにしたのであり、そのこと自体が根本の問題なのだ。
第7に、弁護士会が「憲法改正手続き法案の抜本的見直し」や「共謀罪反対」の運動に取り組むことを批判する。強制的な組織は政治的な意見表明をしてはいけないというのだ。
しかし、これもおかしい。弁護士会は、ある一定の政治的な立場に立って、上記のような運動をしているのではない。憲法、法に携わるプロフェッショナル集団として、憲法改正手続き法案において国民主権が軽視されていることを批判し、また、共謀罪が従前の刑法概念を覆し人権を侵害するおそれが大きいから反対しているのだ。それを「政治的な意見表明」とは…。橋下弁護士は、地べたをはいずるような弁護活動とは無縁だったのだろう。
第8に、弁護士会の自浄能力批判をする。顧客の預り金を使い込む弁護士への処分が甘いというが、これはまともな批判だろう。
第9に、「さらに大きな問題は、『死刑廃止』など特定のイデオロギーを持つ弁護士が、裁判を利用してみずからの主義主張を広めようとする行為をやめないことである」として、光市の母子殺人事件の弁護団の主張を荒唐無稽と批判し、「この弁護団が自分たちの主張を展開しているだけなのだ」と述べたうえ、「これほどまで被害者や遺族を愚弄した弁護活動はない」という。
ここに至るともはやあきれるしかない。確かに、上記弁護団に死刑廃止論者が多いのは事実だが、彼らが、この裁判を利用して、死刑廃止を広めようとしているといえるだろうか。そんなはずがない。彼らだって馬鹿ではないのだから、荒唐無稽ととられるような主張をすることが死刑廃止にとって意味のあることかどうかはよく分かっているはずだ。それにもかかわらず、彼らがそのような主張をするのは、被告人が主張しているからであり、「弁護団が自分たちの主張を展開している」はずがない。私に言わせれば、橋下弁護士の主張こそ、「これほどにまでまじめな弁護活動を愚弄した主張はない」。
第10に、麻原弁護団が控訴趣意書を提出期限内に提出せず死刑を確定させたことを批判するが、裁判所が事実上認めていた提出期限を急遽短くして、提出をさせなかったという事実経過を無視した議論だ。
以上のように、まともな弁護士活動をしている弁護士であれば、あきれはてる主張を橋下弁護士はしている。その主張は、まるで、法的な考え方に慣れていない市民に媚びるかのようである。
橋下弁護士は、麻原弁護団らを処分できない弁護士会は日本の司法制度に巣くう病巣だと述べる。私には、橋下弁護士こそ、弁護士会を的はずれに批判して市民に媚びる「弁護士会に巣くう病巣」のように思えてならない。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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上記SAPIOの記事は、「悪徳弁護士を一掃できない!自浄能力なき『弁護士会』は解散すべし」というタイトル。確かに、弁護士会に問題がないわけではない。弁護士の依頼者に対する立場から、金目当ての悪徳弁護士による被害は大きく、自浄能力がないという批判は、必ずしも間違っているとはいえない。しかし、問題は、ここで、彼がいう「悪徳弁護士」とは、何を指しているのか、だ。
第1に、彼は、これまでは経験ゼロの若造でも独立して法律事務所の看板を掲げればボロ儲けできたが、今後は、「実務経験がまったくないまま独立することが不可能になる」一方、弁護士の大増員によって弁護士が増え、弁護士が安く使えるため、大手法律事務所や一般企業で経験を積み、独立心のある者が看板を掲げるようになる。つまり、「実務経験を積んで実力を備えた弁護士だけが独立するようになり、しかも競争が激しいわけだから、むしろ質もサービスも向上する」という。
まったくのでたらめ。これまでは、新たに弁護士になる者が限定されていたから、ほとんどの者が法律事務所に就職し、あるいは地方では弁護士会が手厚くバックアップし、経験を積むことができた。しかし、今後は、新たに弁護士になる者の数が多すぎて、いきなり独立するしか選択のない者がどんどん増えてくる。すでにここで書いたが、【2007年秋、従来通りのシステムで誕生する法曹(裁判官、検察官含む)が1455人、ロースクールのシステムで誕生する法曹が991人を予定しているが、数百人が就職できないと噂されている】のが実態だ。それとも橋下弁護士は、数百人を一人で雇ってくれるとでもいうのだろうか。
また、大規模事務所や企業で鍛えられるというのもでたらめ。もちろん、企業法務には精通するだろうが、そういうところの弁護士は法廷にほとんど足を運ばない者も多い。だから、法廷での尋問技術などの経験は積めない。つまり、一般市民が期待する弁護士には、大規模事務所や企業でいくら経験を積んでも、なりえないのだ。
第2に、橋下弁護士は、多重債務の整理に関わる弁護士を批判する。もちろん、弁護士でない者と提携して債務整理をしたり、事務員に債務整理を全て任せる弁護士に問題があるのは確かだ。
しかし、多重債務問題は、借財した本人が家族から責められる構造をもっており、家族が敵味方に分かれて苦しむという点で非常に問題がある。つまり、普通の法的紛争なら、家族が一丸となってそれに当たることができるが、多重債務は家族の中が崩壊してしまうのだ。そこをカウンセリングしながら家族を立て直すことはその家族にとってとても大切であり、重要な業務だ。この業務に携わる弁護士を卑下するかのように、「それにしても昔は、債務整理というのは、誰でもできる仕事で、専門家があえて国家資格を背景にやる仕事ではなく(中略)。弁護士も仕事を選べる弁護士と、仕事を選べない弁護士に二極化してきたな、と痛切に感じさせられた」などと批判するのはまったく不当な評価である。
サラ金が堂々とゴールデンタイムにCMを流し、サラ金被害が拡大したからこそ、それに対応して弁護士が業務を行っているのであり、そもそも、サラ金を批判すべきだ。しかも、弁護士会は、利息を下げるよう運動し、サラ金被害自体が発生しなくなるよう働きかけているのだ。つまり、自らの業務が減ることになってでも、多重債務に苦しむ人を減らそうとしている。そういうことをこの橋下弁護士は考えたことがあるのだろうか。そもそも、「仕事を選べる弁護士」とはどのような弁護士を指すのか?苦しんでいる人に対し、俺は仕事を選べる弁護士だから、と言って、放置することが、仕事を選ぶことだとしたら、私は、そんな弁護士にはなりたくはない。
第3に、橋下弁護士は、ヤメ検弁護士が刑事裁判に強いのは単なる幻想だと批判する。そのこと自体には賛同するが、かといって、橋下弁護士が言うところの大型事務所や企業で企業法務の経験を積んだ弁護士が、ヤメ検よりも刑事事件に長けているとも思わない(言い回し修正。ご指摘多謝)。
第4に、橋下弁護士は、アメリカでは、大事故の現場に弁護士がわらわら押し寄せ、被害者に訴訟を持ちかけるが、着手金はゼロで成功報酬のみを受け取るシステムで、弁護士を雇えない貧しい人のためになるので悪い精度ではないという。
しかし、アメリカの報酬は、獲得した金額の3分の1という日本では考えにくい割合であり、それでも構わないというのだろうか。むしろ、公的援助(リーガルサービス)の拡充を図るべきだろう。
第5に、橋下弁護士は、「以上のような理由で、僕は弁護士の数を増やすことが業界の健全化につながると考えている」というが、まったく意味不明…。
第6に、橋下弁護士は、ロースクールを批判するが、批判の内容が的を射ていない(字句修正。ご指摘多謝)。ロースクール創設の趣旨は、「人間的素養にあふれる法律家を社会に輩出するためだった」が、ロースクールで人間的素養はつかないというのだが、そもそも、ロースクール創設の趣旨は、弁護士の数を増やすためであり、それ以上のものではない。従来の2年間の司法修習制度では研修所という箱が足りないし、いったん司法試験合格者を増やしても簡単に減らすことができる。しかし、ロースクールができれば、いきなり、ロースクールを半分にすることはできないから、弁護士増の勢いを止めることができなくなる。だから、従来の司法試験ではなく、ロースクールにしたのであり、そのこと自体が根本の問題なのだ。
第7に、弁護士会が「憲法改正手続き法案の抜本的見直し」や「共謀罪反対」の運動に取り組むことを批判する。強制的な組織は政治的な意見表明をしてはいけないというのだ。
しかし、これもおかしい。弁護士会は、ある一定の政治的な立場に立って、上記のような運動をしているのではない。憲法、法に携わるプロフェッショナル集団として、憲法改正手続き法案において国民主権が軽視されていることを批判し、また、共謀罪が従前の刑法概念を覆し人権を侵害するおそれが大きいから反対しているのだ。それを「政治的な意見表明」とは…。橋下弁護士は、地べたをはいずるような弁護活動とは無縁だったのだろう。
第8に、弁護士会の自浄能力批判をする。顧客の預り金を使い込む弁護士への処分が甘いというが、これはまともな批判だろう。
第9に、「さらに大きな問題は、『死刑廃止』など特定のイデオロギーを持つ弁護士が、裁判を利用してみずからの主義主張を広めようとする行為をやめないことである」として、光市の母子殺人事件の弁護団の主張を荒唐無稽と批判し、「この弁護団が自分たちの主張を展開しているだけなのだ」と述べたうえ、「これほどまで被害者や遺族を愚弄した弁護活動はない」という。
ここに至るともはやあきれるしかない。確かに、上記弁護団に死刑廃止論者が多いのは事実だが、彼らが、この裁判を利用して、死刑廃止を広めようとしているといえるだろうか。そんなはずがない。彼らだって馬鹿ではないのだから、荒唐無稽ととられるような主張をすることが死刑廃止にとって意味のあることかどうかはよく分かっているはずだ。それにもかかわらず、彼らがそのような主張をするのは、被告人が主張しているからであり、「弁護団が自分たちの主張を展開している」はずがない。私に言わせれば、橋下弁護士の主張こそ、「これほどにまでまじめな弁護活動を愚弄した主張はない」。
第10に、麻原弁護団が控訴趣意書を提出期限内に提出せず死刑を確定させたことを批判するが、裁判所が事実上認めていた提出期限を急遽短くして、提出をさせなかったという事実経過を無視した議論だ。
以上のように、まともな弁護士活動をしている弁護士であれば、あきれはてる主張を橋下弁護士はしている。その主張は、まるで、法的な考え方に慣れていない市民に媚びるかのようである。
橋下弁護士は、麻原弁護団らを処分できない弁護士会は日本の司法制度に巣くう病巣だと述べる。私には、橋下弁護士こそ、弁護士会を的はずれに批判して市民に媚びる「弁護士会に巣くう病巣」のように思えてならない。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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