写真は今日届いた「落札モノ」男物の長じゅばん、「砧打ち」の図柄です。
後ろにはわらぶき屋根の家、少しかしいだ柴垣、手前の女性二人は
この家の嫁と姑か母と娘か・・というところでしょう。
バックの縞模様は両袖まであり、地色は下の波型のところ、濃い深緑です。
右袖から左袖にかけて、歌が書いてあるのですが、達筆すぎて読めません。
こんなじゅばん、今はなかなかありませんねぇ。しかも袖は無双でした。
(ご存知ない方のために・・「無双」の袖とは、ウラも同じ生地で
作られているものをいいます)
さて、このじゅばんの素材が羽二重でした。
先にちょっと脱線しておいて「砧」について書いておきましょう。
絵を見てお分かりのようになにやら「槌」のようなものを持って、
布をたたいています。この「布をたたく」ことを「砧打ち」と言います。
これは絹・麻・木綿などの織りあがった布にツヤを出すため、
もしくは柔らかくしなやかにするため、布を木槌で叩く作業です。。
絹の場合は元々柔らかいですから「ツヤ」を出すためが主ですが、
麻や木綿は柔らかくすることの方が主となります。そのため布によっては
わざわざでてしまったツヤを消すために、もう一度水に通すものもあります。
宮古上布(上布とは「麻」のことです)などは、たたんだ状態で、
男性が20000回から25000回、時間にして3~4時間も、
叩き続けるのだそうで、この工程のおかげで宮古上布独特のしなやかさと
ツヤが出るのだそうです。宮古上布・・ほしいっ!
それでは「羽二重」のお話しです。といっても、これといって
ちりめんのようなややこしい工程はありません。
要するに、生糸で織って精練しておしまい・・なのですが、
特徴として、まず経糸・緯ともに「撚り」のない糸を使います。
また羽二重は、上質な細い糸を使って緻密に織られます。
織りかたの基本は一番シンプルな「平織り」、糸を2本引きそろえで織るため
これが「二重」の名の起こりともいわれています。
「羽」の方は、羽二重はスルリとしてとても軽くしなやかなため
「鳥の羽のようだ」というところからきているとか・・・。
羽二重で有名なのは「福井」ですが、福井では昔の工法である「ぬれよこ」、
という方法を使うのだそうで、これは経糸には「ふのり」をつけて固め、
緯は水でぬらしたものを使って打ち込む(織り上げること)のだそうです。
水にぬらすことがどういう効果があるのかまでは、わかりませんが、
「ツヤ」がある、ということは毛羽立ちがない、ということです。
絹は自然素材ですから、ナイロンのようにツルツルということはないわけで、
ひっかけたりすれば毛羽立ちます。水濡れはそれを避けられるのではないかと
そんな風に思うのですが・・・。なにしろ「羽二重」の特徴はツヤと、
「スルスル感」ですから。
羽二重にも何種類かありますが「紋羽二重」というのもあって、
「紋」というからには模様があるわけで、平織りではありませんね。
糸の種類や織り方によって、着物からじゅばん、薄いものは羽裏・胴裏など
幅広く使われます。私の振袖も紋羽二重です。
一昔前までの「喪服」も羽二重です。最近は梨地が多いと聞いてますが。
あのスルスル感は心地よいのですが、着物としては滑って着づらいです。
羽二重そのものについては、あまりお話しすることがありませんので、
それを使った「喪服」について、ちっと脱線。
喪服といえば「黒」ですが、明治までほとんどの地方で「白」でした。
身内は亡くなった人と同じ色のきものを着て葬儀を行ったわけです。
白から「黒」になった説として、明治天皇崩御の折のこと、当時は当然外国との
お付き合いも始まっていましたから、葬儀には各国の大使館からのお客様も
多数くることになります。そこで急遽調べさせたところ、どの国でも
葬儀参列の服装は「黒」・・。そこで、日本人だけが真っ白というのは
まずかろう・・というので、閣僚、その他の参列者・関係者全てに
「黒」着用のこと、とお達しを出したわけです。
これが庶民にもひろまった・・ということが言われております。
江戸の昔、敵討ちの装束が「白」だったのも「命掛け」の表れだったんですね。
千兵衛様よりのコメントを頂きまして、字の部分の写真をアップしてみました。
「恨み」も「涙」もないようですが、最初は「嵐・の・お・と・を」??
読めましたらお教え下さい。能に「砧」というのがあるのは知っていたのですが、
私の場合「かじる」どころか、爪楊枝の先ほどちびっと舐めた程度でして・・。
おみなふたりを内に連れ、しかも羽二重。さぞや粋なお方だったのでしょうねぇ。
色目も写真よりずっといい深緑、誰にも見られぬ背中にこの柄しょって・・・おっ身幅も狭い、スラリと細身、さぞかし私好みの粋人で・・なのですが、ためしに袖を通してみたところ、この方は身長150センチくらいと思われます。いや、男はみかけじゃありませんよ、背の高さじゃありませんけどね・・・。
最初の長襦袢の絵柄なんですが、千兵衛は若い時に「能」にかぶれた時期がありまして(何にでも、かぶれちゃうたちなもんで)この絵を見てピン!と来たのですが、これはもしや、世阿弥元清の謡曲の「砧」の一場面ではないでしょうか?
3年も帰って来ない妻の元へ、夫が寄越した召使いの下女、「夕霧」に嫉妬心を抱きながら、共に砧を打つ場面があるのですが、その達筆すぎて読めないという文字の中に、世阿弥とか夕霧、恨み、涙なんて文字は判読できないでしょうか?映像を見る限りでは(目がかすんで良くは見えないのですが(笑))同じような着物姿のようですから、違うかな?とも、、、
さて、本文の羽二重!なるほどです。私は持っておらず、人のを(誰の?)触った事しかないのですが、そのようなものだったのですね。(内容省略)名の由来をお聞きして、なるほど!と手を打ちました。(笑)また、私なりに心に残った言葉に「ツヤがあるという事は毛羽立ちがないという事」という言葉があります。これも、応用の効く言葉として頭に叩き込んでおこうと思いました。きょうも勉強させていただきありがとうございます。
喪服が白だったという事は、聞いた事がありましたが、今、そのような光景を目にしたら、幽霊のお祭りみたいで、キモイでしょうね?(笑)
さて、いつものように話が少し脱線しますが、正絹のシュルシュルした音って、独特ですよね?私は、あの音が好きで、自分でも無意識に帯を解いた時に、男帯でもあの音がする時があります。
できましたら、一生に一度くらい、自分の枕元で寝ながら耳にしたいものであります。(笑)
「砧」というのは、そういうお話だったのですね。勉強になります。しかし、もしこの図柄がそうだとしたら、実は「男の背中で女の火花がバチバチと散る」ということで・・こわっ。
絹擦れの音は私も好きです。キュルッと小気味のいい音がしますね。「枕元で聞きたい」・・・「千兵衛さーん、点滴とっちゃだめですよー、お手々ベッドの手すりにしばっときましょーねー『絹のひも』で・・」しゅるしゅる・・きゅっ・・なんてぇことになりませぬように!ご自愛くださりませ!
古里の軒端の松も心せよ
おのが枝々に嵐の音を残すなよ
今の砧の声添へて
君がそなたに吹けや風
あまりに吹きて松風よ
わが心通ひて人に見ゆならば
その夢を破るな
破れて後はこの衣
誰か来て訪ふべき
来て訪ふならばいつまでも
衣は裁ちも替えなん
夏衣薄き契りはいまはしや
君が命は長き夜の
月にはとても寝られぬに
いざいざ衣打とうよ
「砧」と「嵐の音を」で、web検索したら、出てきました♪
ありがとうございました。
どうやら「嵐の音を残すなよ・・」から先ですね。千兵衛様のご推察はドンピシャだったわけで。昨年10月に書いたと思いますが「楠正行」の羽裏も、歌から場面がわかりました。こういうのってスッキリしますし、なんかこうその着物やじゅばんとの距離が縮まる気がします。その作者との距離・・かな?
喪主、白の羽二重の紋なし着物に羽織、白の袴です。
喪主の妻、白の着物に白の袋帯、私二回きました。舅、姑を見送りましたので。
自分のものですが、嫁入りより30数年、白はなんだか黄ばんでいましたし、身幅も足りませんでしたが、最近の葬儀事情立っていましたし、あとは椅子でしたので身幅はごまかしました。
ところで羽二重するすると気持ちがいいものです。普通の染めやさんではすれが出やすく、羽二重の染めは難しいと聞いています。
一回だけ、羽二重をそめて訪問着の八掛けにしたことあります。そめむらがでて今一でしたが、この訪問着仕立て屋泣かせではありましたが、すわって立つとすとんと後ろがおちて、しわにもまったくならず、そりゃ着心地のいい着物になります。ちょっと高つきますけど。
世阿弥の最高傑作と言われる、「砧」です。
さすがに、理科系ぶりねぇは、調査が科学的だ!(笑)
「嵐の音を残すなよ 今の砧の声添えて」「余りに吹て」のところですね。「風をさえぎらないでおくれ。今打つ砧の音を伴って、恋しい夫のもとへ風よ吹いておくれ。でも、本当に私の思いが判ってしまって、かえって夫の迷惑になったら、それも困るし、、、」っと、なんじゃい、それじゃあ、現代の嫉妬深い奥様と変わらないジャン!(笑)
それにしても、そんな絵柄を背負っての長襦袢。しとねの前で長着を脱いで、彼女にそれとなく、この場面を見せて、「おまえも、こんな嫉妬深い女になるんじゃないぜ!」と、暗黙のうちに釘を刺すのでしょうかねえ?面白いなあ。
一度でいいから、そんな色男の役をやってみたいな。
それにしても、ひどいね!なんで、俺が点滴受けながら、腰紐で拘束されなきゃなんないのさ!プンプン!
俺が枕元で、「おい、まだかよ!」って言うと、桃色の、まだ人肌の温もりが消えてない長襦袢が顔の上に、ふわって、かかってくるのさ!グフッ!大人の世界だねえ!(笑)
ある年、偶然にも、二つの流派の「砧」を続けざまに見る機会があったのですが、全く、違った印象でした。 どうやら、この曲、世阿弥が演じた後、廃れて、謡曲部分が残り、江戸時代の中ごろ、復活させた流派があり、他の流派でも演ずるようになったことと関係あるようです。
羽二重の長襦袢って、肌触り良く着易いので、好きな1枚です。
まだ地域によっては、白喪服があるんですね。でも汚れやすいしたいへんでしょうね。
今、仕事用に仕入れてあるものでし、子供の聞き物に羽二重が多いです。あとはやはり男物のじゅばん、あの「落ち方」は独特ですね。
千兵衛様
きゃはは、病人にしてしまってすみませーん!
歌の説明有難うございます。同じ日本語だというのに、やはり原文はイマイチ、ピンときませんでした。このように書いていただくとよくわかります。わかってみて、改めて図柄を見ると、こころなしか「槌」が相手をねらっているような??うそうそ!ウチでは結婚して3年くらいは、よく海外出張がありました。台湾に3ヶ月とかボストンに半年とか・・そのとき私が「砧打ち」をやっていたら「元気で~トントン稼げぇ~トントン・・」だったかも。