写真は、飾り結び、このお話はオシマイのほうで…。
昨日コメントでもいただいたのですが、
帯締めの締め方のあと、房の向け方…。
これがですねぇ、ちとややこしいのですが、
歴史が浅いというお話をしましたけれど、それだけに「いろいろ」なんですね。
「しきたり辞典」のような本でも、ネットでも、書いてあることはさまざまです。
一番よく見聞きするのは、帯締めの房の向きは普段は片方上、片方下、
お祝いは両方上、仏事系は両方下…とまぁこんな感じなんですが、それ以前に、
本やネットに掲載されている写真は、「昨日の結びの方向」もバラバラです。
私の場合は、昨日バレちゃいましたが、羽織の結びをやっていましたので、
両方とも下に下がってしまいます。
それで毎度両方とも、下から上に押し上げて方向としてはこうです。
もちろん実際にはもっとピンとしますけれど。
昨日バサマに叱られましたが、バサマは当然、自分の親(祖母)に習ったことを
そのまま私に伝えていますから、要するに「形だけ」で、
どうしてそうか…の由来は私は別のところから得た知識です。
昨日「正式な」と書きましたが、実はだれが正式だと言っているのか、
どこかで認定でもあったのか…なんて話しになりますと、
こりゃ私にはわかりません。
私が「正式」と書いたのは、「これが正式です」といっている理由が、
「日本の『結び』とか『左高右低』の影響を受けている」
という説だったことに、納得できたからです。
これは私の個人的な考え方ですが、昨日お話ししたように、
元々「帯締め」そのものが、着物そのものと比べれば
「新しく使われるようになったもの」です。
時代によって、たとえばものすごく太い時代があったり、
またわざわざ斜めに締めてみたり、帯締めをきちんと重ねずに、
くの字への字に外に飛び出させてみたり…なんていう写真も残っています。
結局、帯の締め方着物の着方のように、長い時間を掛けて淘汰される時間が、
ほかのものよりははるかに短いことで「こうするものだ」ということも、
落ち着いてはいないのだと思います。
結局「着姿」というのは、言葉は悪いですが「見た感じ」ですよね。
私は房の向きは「こうでなければならない」といわなくてもいいと思ってます。
ただ「おめでたいことだから上向きに」とか「お葬式だから下向きに」
というようなことは、「心遣い」から生まれた決まりごとだと思うのです。
それだけは帯締めのしきたりとして、大切にしたいと考えます。
たとえば、以前にも書きましたが、ほんの少し前までは、
お通夜に黒は着ませんでした。
それは「亡くなることを予想して、前もって準備していたようで失礼だから」
という心遣いです。つまりあいてを思いやる心、です。
だから「とりあえず急を聞いて駆けつけました」という形をとって、
ジミな中に黒を少し使う…着物なら、ジミ目の小紋に黒帯、黒羽織、
洋服なら地味なワンピースに黒の上着とか…。
ただ、元々そういうことは「情報の伝達」に時間がかかったころのことで、
やたらと自宅に電話もない時代(大昔じゃなくて昭和でも!)、
訃報が行き渡るのも、時間がかかったものです。
だから「急を聞いて…」なんですね。
いまや地球のウラにいても、電話やメールでお知らせが一瞬にして届きます。
ですから少しずつ変わってくるのは、時代の流れというものだと思うのです。
着るものについては、情報が早い分、また最近はお通夜・告別式を
葬祭会館のようなところで全部するのがアタリマエになった分、
最初から全部黒、というのも違和感もないし、
それが今風ルールとして通用するならそれでもいいと思います。
それでも、です、帯締めのおしまいの房ひとつに、哀悼の意をこめる、
というのは、決してつまらないことではないと思うのです。
さて、そこで「房」なんですが、昨日の「正式」な締め方でいくと、
帯締めの流れに沿わないと、おかしなカッコになります。
たとえばこんな感じ、
こういう向きですから…
こうなります。
お葬式だからと、房を下に向けようとすると、
ムリに下からおしこんで房を下に向けることになります。
ですから、下に房がでるようにしたい、というときは、羽織の結びでやれば、
一番上の写真のように、真ん中の結びはかわらずに、
房はイヤでも下を向きますね。
つまり、房を考えるなら「最初に結ぶところからかえれば」いいわけです。
また「丸組み」の帯締めは、平組のように結んだあと二本が重ならずに
こんな風に「上下」に並びます。
これを例えば房を上からの下からの…、とやると、
例えばこんな風にしなきゃなりません。
並びはそのままきれいに、というなら、こんな風?
結局決まりってナニ?になりませんか?
私は礼装はきちんとしたいので、そうしますが、
普段のものは「自由」にやってます。
たとえば「違う色や柄は自分の左」と書きましたが、
帯締めの柄が反対に来たほうが、帯の柄との取り合わせがいい、
なんてこともあるでしょう。着物や帯をめだたせたくて、
脇のふさふさは、あまり目立たないほうがいい、という場合もあるでしょう。
また、通常は房の部分はけっこう脇に入ってしまうものですが、
体格のいいかたは長尺ものを使わないと正面から見たとき、
房がのぞくことがあります。色のあざやかなものだったりしますと、
「房がひっくり返ってワル目立ち」なんてこともあるかもしれません。
そんなときは臨機応変でいいと思います。
大切なことは「気持ちと着物姿のバランス」。
祝う気持ち、悼む気持ち、で、房の向きを変えることは
思いを装束に乗せることだと思うのです。
結局、結論はでませんが、こういうことはやはり
今の時代に着物を着ていこうとする人が、大事なことを残しつつ、
着物姿を美しく、また自分も楽しむものにかえていけばいいのだと思うのです。
さて、やっとトップ写真のお話しです。
「組みひもは命も守った!?」というお話し。
帯締めとしての組みひもは、まだ歴史の浅いものですが、
組みひもそのものはとてつもなく古い歴史があります。
昨日も書きましたが、古来より日本では「結び」というものが、
たいへん重要な意味を持ちましたから、さまざまな組み方が
考え出されたわけです。コレについては、昨日お知らせした
「過去記事」にありますのでご覧ください。
戦国時代、すでに「茶の湯」は、戦国武将たちの間でも盛んでした。
お茶道具も大切にされたわけですが、
中でも茶入れなどは、仕覆と呼ばれるいわば「紐つきの袋」ですね、
それに入れられて、大切に保管されました。
この仕覆に使われる布地も「名物裂」など素晴らしかったため、
茶入れと共に、鑑賞されたわけです。
で、この「仕覆」は、口を組みひもの細いものでしばってありました。
早い話が「巾着」と同じです。
この紐に「絹」を使い、さまざまな飾り結びをしました。
絹ひもは手でまげたりすると、きちんと形がつきます。
(化繊じゃあこれはできません)もう一度写真出します。
これは飾り結びの本の表紙にあった「飾り結び」です。桔梗でしょうか。
で、口の根元の部分も、この写真のものは単純ですけれど、
当時はたいへん複雑で美しい結びをして締めました。
これが実は「鍵」の役目を果たしたわけです。
つまり「複雑すぎて、一度ほどいたら、元のように結べない」ので、
これで「茶に毒を入れる」という「暗殺」を防いだといわれています。
下克上もあった時代ですからねぇ。
したがって、この場合の「鍵」になる複雑な結び方は「秘伝」だったそうです。
昨日コメントでもいただいたのですが、
帯締めの締め方のあと、房の向け方…。
これがですねぇ、ちとややこしいのですが、
歴史が浅いというお話をしましたけれど、それだけに「いろいろ」なんですね。
「しきたり辞典」のような本でも、ネットでも、書いてあることはさまざまです。
一番よく見聞きするのは、帯締めの房の向きは普段は片方上、片方下、
お祝いは両方上、仏事系は両方下…とまぁこんな感じなんですが、それ以前に、
本やネットに掲載されている写真は、「昨日の結びの方向」もバラバラです。
私の場合は、昨日バレちゃいましたが、羽織の結びをやっていましたので、
両方とも下に下がってしまいます。
それで毎度両方とも、下から上に押し上げて方向としてはこうです。
もちろん実際にはもっとピンとしますけれど。
昨日バサマに叱られましたが、バサマは当然、自分の親(祖母)に習ったことを
そのまま私に伝えていますから、要するに「形だけ」で、
どうしてそうか…の由来は私は別のところから得た知識です。
昨日「正式な」と書きましたが、実はだれが正式だと言っているのか、
どこかで認定でもあったのか…なんて話しになりますと、
こりゃ私にはわかりません。
私が「正式」と書いたのは、「これが正式です」といっている理由が、
「日本の『結び』とか『左高右低』の影響を受けている」
という説だったことに、納得できたからです。
これは私の個人的な考え方ですが、昨日お話ししたように、
元々「帯締め」そのものが、着物そのものと比べれば
「新しく使われるようになったもの」です。
時代によって、たとえばものすごく太い時代があったり、
またわざわざ斜めに締めてみたり、帯締めをきちんと重ねずに、
くの字への字に外に飛び出させてみたり…なんていう写真も残っています。
結局、帯の締め方着物の着方のように、長い時間を掛けて淘汰される時間が、
ほかのものよりははるかに短いことで「こうするものだ」ということも、
落ち着いてはいないのだと思います。
結局「着姿」というのは、言葉は悪いですが「見た感じ」ですよね。
私は房の向きは「こうでなければならない」といわなくてもいいと思ってます。
ただ「おめでたいことだから上向きに」とか「お葬式だから下向きに」
というようなことは、「心遣い」から生まれた決まりごとだと思うのです。
それだけは帯締めのしきたりとして、大切にしたいと考えます。
たとえば、以前にも書きましたが、ほんの少し前までは、
お通夜に黒は着ませんでした。
それは「亡くなることを予想して、前もって準備していたようで失礼だから」
という心遣いです。つまりあいてを思いやる心、です。
だから「とりあえず急を聞いて駆けつけました」という形をとって、
ジミな中に黒を少し使う…着物なら、ジミ目の小紋に黒帯、黒羽織、
洋服なら地味なワンピースに黒の上着とか…。
ただ、元々そういうことは「情報の伝達」に時間がかかったころのことで、
やたらと自宅に電話もない時代(大昔じゃなくて昭和でも!)、
訃報が行き渡るのも、時間がかかったものです。
だから「急を聞いて…」なんですね。
いまや地球のウラにいても、電話やメールでお知らせが一瞬にして届きます。
ですから少しずつ変わってくるのは、時代の流れというものだと思うのです。
着るものについては、情報が早い分、また最近はお通夜・告別式を
葬祭会館のようなところで全部するのがアタリマエになった分、
最初から全部黒、というのも違和感もないし、
それが今風ルールとして通用するならそれでもいいと思います。
それでも、です、帯締めのおしまいの房ひとつに、哀悼の意をこめる、
というのは、決してつまらないことではないと思うのです。
さて、そこで「房」なんですが、昨日の「正式」な締め方でいくと、
帯締めの流れに沿わないと、おかしなカッコになります。
たとえばこんな感じ、
こういう向きですから…
こうなります。
お葬式だからと、房を下に向けようとすると、
ムリに下からおしこんで房を下に向けることになります。
ですから、下に房がでるようにしたい、というときは、羽織の結びでやれば、
一番上の写真のように、真ん中の結びはかわらずに、
房はイヤでも下を向きますね。
つまり、房を考えるなら「最初に結ぶところからかえれば」いいわけです。
また「丸組み」の帯締めは、平組のように結んだあと二本が重ならずに
こんな風に「上下」に並びます。
これを例えば房を上からの下からの…、とやると、
例えばこんな風にしなきゃなりません。
並びはそのままきれいに、というなら、こんな風?
結局決まりってナニ?になりませんか?
私は礼装はきちんとしたいので、そうしますが、
普段のものは「自由」にやってます。
たとえば「違う色や柄は自分の左」と書きましたが、
帯締めの柄が反対に来たほうが、帯の柄との取り合わせがいい、
なんてこともあるでしょう。着物や帯をめだたせたくて、
脇のふさふさは、あまり目立たないほうがいい、という場合もあるでしょう。
また、通常は房の部分はけっこう脇に入ってしまうものですが、
体格のいいかたは長尺ものを使わないと正面から見たとき、
房がのぞくことがあります。色のあざやかなものだったりしますと、
「房がひっくり返ってワル目立ち」なんてこともあるかもしれません。
そんなときは臨機応変でいいと思います。
大切なことは「気持ちと着物姿のバランス」。
祝う気持ち、悼む気持ち、で、房の向きを変えることは
思いを装束に乗せることだと思うのです。
結局、結論はでませんが、こういうことはやはり
今の時代に着物を着ていこうとする人が、大事なことを残しつつ、
着物姿を美しく、また自分も楽しむものにかえていけばいいのだと思うのです。
さて、やっとトップ写真のお話しです。
「組みひもは命も守った!?」というお話し。
帯締めとしての組みひもは、まだ歴史の浅いものですが、
組みひもそのものはとてつもなく古い歴史があります。
昨日も書きましたが、古来より日本では「結び」というものが、
たいへん重要な意味を持ちましたから、さまざまな組み方が
考え出されたわけです。コレについては、昨日お知らせした
「過去記事」にありますのでご覧ください。
戦国時代、すでに「茶の湯」は、戦国武将たちの間でも盛んでした。
お茶道具も大切にされたわけですが、
中でも茶入れなどは、仕覆と呼ばれるいわば「紐つきの袋」ですね、
それに入れられて、大切に保管されました。
この仕覆に使われる布地も「名物裂」など素晴らしかったため、
茶入れと共に、鑑賞されたわけです。
で、この「仕覆」は、口を組みひもの細いものでしばってありました。
早い話が「巾着」と同じです。
この紐に「絹」を使い、さまざまな飾り結びをしました。
絹ひもは手でまげたりすると、きちんと形がつきます。
(化繊じゃあこれはできません)もう一度写真出します。
これは飾り結びの本の表紙にあった「飾り結び」です。桔梗でしょうか。
で、口の根元の部分も、この写真のものは単純ですけれど、
当時はたいへん複雑で美しい結びをして締めました。
これが実は「鍵」の役目を果たしたわけです。
つまり「複雑すぎて、一度ほどいたら、元のように結べない」ので、
これで「茶に毒を入れる」という「暗殺」を防いだといわれています。
下克上もあった時代ですからねぇ。
したがって、この場合の「鍵」になる複雑な結び方は「秘伝」だったそうです。
結び方が正式とばかり思っていたので
正直驚きました。改めて手元にあった本を
意識して帯締めの結び方を見てみると、なんと
同じ本の中に結びが右だったり左だったり
なんですね。これにもヘェ~って思いました。
ちなみに、私は一番上の結び方は房が下に
下がっているので不祝儀に結んでいます。
きょうも、左上のとんぼさんのイラストをぽちっとな・・・とさせていただきましたが、想像通り 急上昇しています!
明日見たらトップ10内に入っているのではないでしょうか?!@^ェ^@
いつも、お勉強になるお話で、ありがたいです。
しかもキチキチな「こうでなくてはならない」ではなく、何事もゆったり構えたお話なので、たとえ今まで結び目方を適当にして間違えていたとしても(笑)救われる気がいたします。
不祝儀のときは洋服が多くなっています。
本当はもっと気軽に着ればよいのですけど、嫁入りのときに
持ってきて、そのままのもあります。
とんぼさんのブログで改めていろいろ歴史をふくめて
楽しく学んでいます。
帯締めの記事勉強になりました。
それにしても、女性の着物の場合には、帯締め
帯、帯揚げ、羽織、羽織紐、長着、半襟などの
全てに気を配らないとカラーコーデがめちゃく
ちゃなことになりそうですね。
ポロっと思いつきで質問をしてしまい、後になってもしかしてトンチンカンだったかも・・・と不安になってしまったのですが、丁寧にお答えいただけて嬉しかったです。
形式上のものよりも、その行為に篭められた気持ちの方が大切ですよね。
そのことを改めて考えさせていただきました。
どうもありがとうございます。
実は、ブログの記事とは関係のない内容で少し質問させていただきたいことがあるのですが、後ほどメール差し上げても良いでしょうか?
面倒をおかけして恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします。
ほんとに、伝える人がいろいろになって、
見えないところでは混乱しているんですね。
不祝儀の締め方、普段にやってるアタシって…
もっとも工夫して「いかにも下向き」は
さけてはいるんですけれど…。
バサマにもしかられたし、今度からちゃんと!
忘れるんだコレが…。
キャット様
ポチッと、ありがとうございます。
ありがたいことに、上昇しました。
私は「専門家」ではないので、
ちゃんと「こうですよ」って
いえないことがたくさんあるんです。
それでも、読んでいただいて、
少しでもお役に立てば、
ほんとに嬉しいです。
akkomam様
まぁそうでしたか、
お着物、ぜひお召しください。
タンスの番ばかりさせては、かわいそうですー
と言ってる私も、実はなかなかなんです。
人のことは言えませんね!
うんちく様
はい、そのとおりです。
和装は、ほとんどの場合、色も、ですが、、
「柄」と「柄」のぶつかり合いですから、
洋服とは全く違う感性で着ます。
これがまた楽しいんですけれどね。
茶ノ葉様
いえいえ、テーマをご提供いただけると、
私もありがたいのです。
お役に立ててよかったです。
ご質問ございましたら、
どうぞメールしてください。
私で分からないこともあるかもしれませんが、プロも近くに降りますので…。
私も教室でも、その後貸衣装店で振袖着付けをするときにも、先をあげずに自然に左を上に載せて結ぶ、と習ってました。
振袖は丸組が多いし、自分が締めるのも冠組が多いので、そう結ぶと自然に結んだ端が上に出るので、全く違和感がなく結んでおりました。
結び目もだいたい同じように見えるし…ちょっと違うような気がするけど、で済ましてました。
今後、平組の紐のときにはちゃんと結ぼうかと。
実は、丸ぐけの場合は房も短いし帯締め自体も短いので、端を残さず全部くぐらせるだけかな?と思って調べていました。
そうだとすると、結び方が私が今やっているのではおかしいかな?とも思いまして。
が、どこにも丸ぐけの結び方・端のしまい方だけを特記しているものはなく…ただ、正しい結び方がわかりましたので、丸ぐけでは端を挟み込むだけ(丸組のあとの写真のように)でいいのかなあという気もします。
明治の写真などみますと、帯締めの締め方も、
帯揚の始末も、かなりいい加減です。
時代がすすんで、少しずつ整ってきたのでしょうけれど
その間に「慶事は上」だのなんだのと、
そのほうがいいんじゃない?ということが「そうしよう」に
固まってきたのだと思います。
あまり堅苦しく考えず、臨機応変でいいと思います。
私はすでに普通の帯締めも「長尺」がほしくなっています。
困ったものです。