写真は先日の本の1ページ、江戸後期、夏の様子です。
こちらが一番右の絽の着物、ちょっと似せた色に調整しました。
薬玉柄、おもしろいところに薬玉があります。着たらほとんど見えません。
でも、元々若い人向きの着物ではないため、
一番華やかなところは、影にまわすわけで、そのかわり、薬玉の下のひも飾りが、
水の流れのように裾に広がり、涼しげな柄になっています。
こころにくい図柄ですね。
「民族衣装」は、その国のあるいはその地方地域の、
歴史や気候風土から生まれ、積み重ねられた「文化」の表現のひとつ、
という言い方でいいかと思います。
国というものはあやういもので、栄耀栄華を極めた巨大国家も、
他国の力で滅ぼされたり、時には民の力で崩壊させられたり…。
だから、絵画彫刻に残っていても今はもう過去のものになって
「昔何々人はこんなのを着ていた」なんてこともあるわけです。
日本は幸か不幸か「島国」であり、また極東という位置づけであったために、
地面の上には国境もなく、鎖国政策のために、入ってくるものも限られました。
日本の民族衣装は、最初のころこそ、大陸のおかげ、がたくさんあり、
その色合いを強く受け継ぎましたが、やがてはそこから独自の衣装を
作り出しました。さらにそれは「国内の」さまざまな事情や変化によって、
少しずつ変化してゆき、2000年かけて今に残る「着物」になったわけです。
なんでこんなお話を始めたかといいますと、よそ様のブログで、
そのかたが「別のところに書いてあったこと」、を書かれていたためです。
私は又聞きならぬ「又読み」ということになりますが、
その誰だかわからない人は男性で、一応着物は着ている、
もしくは着たことがある、感じでしたが「又読み」を「又書き」しますと
まずその意見のあったトピックは
「着物は変化がない、このままでいいのか」だそうで、
件の男性の意見は「着物は変化が乏しい。せいぜい素材が増えるくらいで、
シルエットは変わらないし…」というようなことだったそうです。
なんかねぇ…、ちと寂しかったです。
どこから手をつけていいかわからないのですが、まず、
「着物は変化がないシルエットがかわらない」、
カレは着物に何を求めているのでしょう。
洋服のように、さまざまなデザインがほしいのでしょうか。
そもそもそこからが大間違いで、えーとですねぇ、比べるポイントが違うのです。
確かに「着物」はどれみてもおんなじ形、洋服はそのデザインは無限大…、
なんですが、実は「元」というのは着物も洋服もおんなじ
「たいしてかわってない」のです。
「洋服」だって、基本は昔とほとんど変わっていません。
つまり、シャツを着てズボン、あるいはスカート、それに上着、
といった基本はかわらないわけです。
どんなに変わっても、上着に袖が4つも5つもつくことはないし、
先が袋になっていて、足の出ないズボンははかないでしょう。
どこが違うかといったら、洋服は人間の体の形に合わせて布を裁って縫い合わせる
着物は反物の幅はそのまま、長さで裁って、つなぎ合わせる、
つまり「身に添うように作るか作らないか」なんですね。
その違いで、洋服は無限のデザインが可能だ、というわけです。
着物のスタイルが一定だからと、じゃあ着物の衿を丸首にしたり、
袖なしにしたら…それはもうその時点で「着物ではなくなってしまう」のです。
スタイルがかわらない、のが着物であって、
いろいろデザインを楽しみたいというのなら、洋服をきればいいのです。
明治までは、着物の変化、に限りませんが、さまざまなものの変わりようは
実に緩やかに行われてきました。情報量も少なかったし、
その広がりがゆっくりだったからです。
明治に入って、新しい技術や道具、素材が怒涛のように入りこみ、
また身分制度の変化や経済の変化によって、コトは一気に動き始めました。
そこからの「変化」は、少しずつ早くなっていき、
あっというまに洋髪が広まる、これは着物を着るときの衿の抜き方が変わります。
着物全体の印象もかわりますから、帯の幅がひろいのがうっとおしくなり、
帯幅が狭まる…と袖付けの長さが変わる、おはしょりも先にするようになる…、
こんな風にどんどん変化してわずかの間に、ほぼ今の形に落ち着いたわけです。
その後戦争のために着物が着られなくなり、戦後は洋装が台頭してきて、
業界はあせって洋服風の着方だの色柄だのを、
必死になって勧めようとしましたが、長い時間をかけて培われた
「着物」というものの基本には、受け入れられませんでした。
だから結局は、明治から100年ほどでやっと落ち着いた着方や形が、
今もほとんどかわらないわけです。
何をそんなに急いでかえようというのでしょう。
日常的に着なくなったから、形態に変化がなくなったのではなく、
ちょうどこれでいいんじゃないかと現代の暮らしに落ち着いたところで
みんなが着なくなっちゃったのですよ。
今はそういう状態の中で、着物のスタイルではなく、
この先着物が生き残っていくためにはどうしたらいいか、という
業者の思惑で、みょーちきりんな付属品やら、安っけない柄などが、
「ウケねらい」で、やたらとでてきたりはしています。
たとえば、今突然昔のように、みんなが日常的に着るようになったら、
また急激に変わるものもあるかもしれません。
でもまちがっても、ミニの訪問着だの、半袖の振袖なんざできません。
それは、これから先もずっと韓国のチマ・チョゴリやインドのサリーが
ミニにはならないだろうということと同じです。
それができるとしたら、たぶんまた何十年も何百年も先のことで、
そうなったときにはそれをまた、時代は受け入れるのです。
今、平安時代の女性が現代の着物をみたら「なんじゃこれ」でしょう。
私たちも「太閤秀吉」ころの身幅の広いぼってりした着物をみて、
「ブサイク」と思いますよね。
少しずつ、時代に呼応して変わってゆくけれど基本的には変わらない、
民族衣装と呼ばれるものは、そういうものだと私は思っています。
本日のおまけ、
昨日、一番使い勝手のよかった「急須」が、こんな姿に…。
胴のほうは真っ二つに割れてしまいました。
これが、落として割れたというならば、わが身の粗忽さを嘆くだけなのですが、
実はこれ、落として割れたのではありません。
洗ってすぐ使おうと思い、布巾でまず取っ手を拭き、
次にその取っ手を持って、胴体のほうを拭こうと、ぐいっとねじったら…
パキンと音がして…、つまり「ねじきっちゃった」わけです。
ちょうどジサマがきまして、みるなり「またやったのか」…。
はい、私はなぜか一瞬にこめる手とか指先の力が強いらしいのです。
なべのふたを拭いていて、フタのつまみをねじ切ったこともありますし、
コーヒーカップの取っ手がポロリ、なんてこともありましたし、
最悪だったのは、目上の人がいる部屋に入ろうとしてノックし、
失礼します、とドアノブをまわしたらバキッ…。
「すみませーん、あけてくださーい」…。
ジサマは、今回洗面台が新しくなって、くるくる回す昔ながらの蛇口が、
上下にうごかすだけで水が出るタイプになってホッとしています。
「いつもおまえが洗面所で手を洗うと、あとで蛇口が硬くしまってあかない」
だったから…、ばかヂカラめ…。
こちらが一番右の絽の着物、ちょっと似せた色に調整しました。
薬玉柄、おもしろいところに薬玉があります。着たらほとんど見えません。
でも、元々若い人向きの着物ではないため、
一番華やかなところは、影にまわすわけで、そのかわり、薬玉の下のひも飾りが、
水の流れのように裾に広がり、涼しげな柄になっています。
こころにくい図柄ですね。
「民族衣装」は、その国のあるいはその地方地域の、
歴史や気候風土から生まれ、積み重ねられた「文化」の表現のひとつ、
という言い方でいいかと思います。
国というものはあやういもので、栄耀栄華を極めた巨大国家も、
他国の力で滅ぼされたり、時には民の力で崩壊させられたり…。
だから、絵画彫刻に残っていても今はもう過去のものになって
「昔何々人はこんなのを着ていた」なんてこともあるわけです。
日本は幸か不幸か「島国」であり、また極東という位置づけであったために、
地面の上には国境もなく、鎖国政策のために、入ってくるものも限られました。
日本の民族衣装は、最初のころこそ、大陸のおかげ、がたくさんあり、
その色合いを強く受け継ぎましたが、やがてはそこから独自の衣装を
作り出しました。さらにそれは「国内の」さまざまな事情や変化によって、
少しずつ変化してゆき、2000年かけて今に残る「着物」になったわけです。
なんでこんなお話を始めたかといいますと、よそ様のブログで、
そのかたが「別のところに書いてあったこと」、を書かれていたためです。
私は又聞きならぬ「又読み」ということになりますが、
その誰だかわからない人は男性で、一応着物は着ている、
もしくは着たことがある、感じでしたが「又読み」を「又書き」しますと
まずその意見のあったトピックは
「着物は変化がない、このままでいいのか」だそうで、
件の男性の意見は「着物は変化が乏しい。せいぜい素材が増えるくらいで、
シルエットは変わらないし…」というようなことだったそうです。
なんかねぇ…、ちと寂しかったです。
どこから手をつけていいかわからないのですが、まず、
「着物は変化がないシルエットがかわらない」、
カレは着物に何を求めているのでしょう。
洋服のように、さまざまなデザインがほしいのでしょうか。
そもそもそこからが大間違いで、えーとですねぇ、比べるポイントが違うのです。
確かに「着物」はどれみてもおんなじ形、洋服はそのデザインは無限大…、
なんですが、実は「元」というのは着物も洋服もおんなじ
「たいしてかわってない」のです。
「洋服」だって、基本は昔とほとんど変わっていません。
つまり、シャツを着てズボン、あるいはスカート、それに上着、
といった基本はかわらないわけです。
どんなに変わっても、上着に袖が4つも5つもつくことはないし、
先が袋になっていて、足の出ないズボンははかないでしょう。
どこが違うかといったら、洋服は人間の体の形に合わせて布を裁って縫い合わせる
着物は反物の幅はそのまま、長さで裁って、つなぎ合わせる、
つまり「身に添うように作るか作らないか」なんですね。
その違いで、洋服は無限のデザインが可能だ、というわけです。
着物のスタイルが一定だからと、じゃあ着物の衿を丸首にしたり、
袖なしにしたら…それはもうその時点で「着物ではなくなってしまう」のです。
スタイルがかわらない、のが着物であって、
いろいろデザインを楽しみたいというのなら、洋服をきればいいのです。
明治までは、着物の変化、に限りませんが、さまざまなものの変わりようは
実に緩やかに行われてきました。情報量も少なかったし、
その広がりがゆっくりだったからです。
明治に入って、新しい技術や道具、素材が怒涛のように入りこみ、
また身分制度の変化や経済の変化によって、コトは一気に動き始めました。
そこからの「変化」は、少しずつ早くなっていき、
あっというまに洋髪が広まる、これは着物を着るときの衿の抜き方が変わります。
着物全体の印象もかわりますから、帯の幅がひろいのがうっとおしくなり、
帯幅が狭まる…と袖付けの長さが変わる、おはしょりも先にするようになる…、
こんな風にどんどん変化してわずかの間に、ほぼ今の形に落ち着いたわけです。
その後戦争のために着物が着られなくなり、戦後は洋装が台頭してきて、
業界はあせって洋服風の着方だの色柄だのを、
必死になって勧めようとしましたが、長い時間をかけて培われた
「着物」というものの基本には、受け入れられませんでした。
だから結局は、明治から100年ほどでやっと落ち着いた着方や形が、
今もほとんどかわらないわけです。
何をそんなに急いでかえようというのでしょう。
日常的に着なくなったから、形態に変化がなくなったのではなく、
ちょうどこれでいいんじゃないかと現代の暮らしに落ち着いたところで
みんなが着なくなっちゃったのですよ。
今はそういう状態の中で、着物のスタイルではなく、
この先着物が生き残っていくためにはどうしたらいいか、という
業者の思惑で、みょーちきりんな付属品やら、安っけない柄などが、
「ウケねらい」で、やたらとでてきたりはしています。
たとえば、今突然昔のように、みんなが日常的に着るようになったら、
また急激に変わるものもあるかもしれません。
でもまちがっても、ミニの訪問着だの、半袖の振袖なんざできません。
それは、これから先もずっと韓国のチマ・チョゴリやインドのサリーが
ミニにはならないだろうということと同じです。
それができるとしたら、たぶんまた何十年も何百年も先のことで、
そうなったときにはそれをまた、時代は受け入れるのです。
今、平安時代の女性が現代の着物をみたら「なんじゃこれ」でしょう。
私たちも「太閤秀吉」ころの身幅の広いぼってりした着物をみて、
「ブサイク」と思いますよね。
少しずつ、時代に呼応して変わってゆくけれど基本的には変わらない、
民族衣装と呼ばれるものは、そういうものだと私は思っています。
本日のおまけ、
昨日、一番使い勝手のよかった「急須」が、こんな姿に…。
胴のほうは真っ二つに割れてしまいました。
これが、落として割れたというならば、わが身の粗忽さを嘆くだけなのですが、
実はこれ、落として割れたのではありません。
洗ってすぐ使おうと思い、布巾でまず取っ手を拭き、
次にその取っ手を持って、胴体のほうを拭こうと、ぐいっとねじったら…
パキンと音がして…、つまり「ねじきっちゃった」わけです。
ちょうどジサマがきまして、みるなり「またやったのか」…。
はい、私はなぜか一瞬にこめる手とか指先の力が強いらしいのです。
なべのふたを拭いていて、フタのつまみをねじ切ったこともありますし、
コーヒーカップの取っ手がポロリ、なんてこともありましたし、
最悪だったのは、目上の人がいる部屋に入ろうとしてノックし、
失礼します、とドアノブをまわしたらバキッ…。
「すみませーん、あけてくださーい」…。
ジサマは、今回洗面台が新しくなって、くるくる回す昔ながらの蛇口が、
上下にうごかすだけで水が出るタイプになってホッとしています。
「いつもおまえが洗面所で手を洗うと、あとで蛇口が硬くしまってあかない」
だったから…、ばかヂカラめ…。
ほんとにこのバカヂカラには、
こまったものです。
昔よりは弱くなりましたけどね。
ここまでくると「犯罪」??
肘をぶつけられたんですか。
聞いた話では、肘って、意外とダメージが
あとあとまで響くんだそうですね。
この湿気の多い季節、古傷など、
痛みませんように。
興味深く読み進み、
ミニの訪問着のところで
浮世絵のお百姓さんの姿を思い浮かべて
ありゃミニの着物だわな、
などと考えつつ、おまけまでくると・・・・
思わず・・・えっえ~!
ねじ切りバカヂカラ・・・すご~い(笑)
私も結構握力ありましたけど
ドアノブねじ切ったことありませんから。
とくに肘をぶつけてから非力になったようです。
ほんとに情けない話です。
瓶のフタあけは、毎度私の仕事でした。
最近さすがに力がなくなったなぁなんて
思ってたんですけどねぇ…。
茶ノ葉様
ご心配いただいて、ありがとうございます。
おかげさまで、ケガは全くありませんでした。
瀬戸物は長く使うと、やはり「疲労部分」が
でてくるのでしょうね。
それにしても、元々握力は、スポーツなど
なにもしていないのに36あったんですよ。
着物というものを、私たちとは別の感覚で
見ているのかもしれません。
もっとよく知れば、楽しいものなんですが。
zizi様
瓶あけ当番…アタシもでしたー、
会社でも実家でも。
着物のいいところをわかっていただきたい、
そんな風に思うんですよ。
ただ、苦しいの動きづらいのと嫌がられると、
寂しいですー。
お着物のこと。とんぼ様がお書きになるととても理路整然としてわかりやすいです。その方もこちらのブログごらんになればいいのにね。
急須は形も複雑で毎度急激な温度変化に晒される性質のものですから、特に割れやすい気がします。
だからきっと、その急須もとんぼ様の力が強すぎたのではなく、寿命だったのでは?と思います。お怪我なくて何よりでした。
着物の話も、拝読して色々と感じるものがあるのですが、うまく言葉になりません。
たぶんモノに対する尺度の違いなのでしょうね。
和服ほど自由度が高く柔軟性のある衣服って、なかなか無いと思うのですが・・・。
仕立てや手入れを自分で出来る人が少なくなって、仕立て上がりを購入する洋服感覚で見るとそう感じてしまうのかな、と少し思いました。
飛んじゃいました。
ねじ切るとはスゴイちから!!!
私はちからがなさすぎて、瓶の蓋など
道具がなければ開けられません。
ありすぎても、なさすぎても、具合が
悪いですね。