すみません。、結局浴衣写真が撮れなくて、過去の写真流用です。4年前の夏です。
かつて何回か「木綿着物とゆかた」について、いろいろ書いてきました。
着物のことに関してのさまざまなこと、変わっていくことがいろいろあります。
また私自身も、年のせいでしょうか、「柔軟に考える」というようなキモチが、
少しずつ強まってきたように思います。
さて、浴衣のお話…洋装でも、たとえばかつてスーツやオーバーなどは「ウール」が当たり前でした。
そのウールの中で「上質のウール」か「そうでもないウール」か…で、レベルが違ったわけです。
化繊という素材が出てきて、洋服が安価で買えるようになりましたが、
私が若いころは、まだまだ「なぁんだ化繊じゃないのこれ~」…が、残っていました。
私の母などは、年代的にいって、まず「ナイロン」という素材が化繊の始まりでしたから、
私が大人になっても、何か化繊モノを触ると、それがなんであれ「ナイロンやんか、安モンや」と言いました。
母にとって「ナイロン」は化繊全ての代名詞であり、また「安物」の代名詞でもあったわけです。
その化繊があっという間に進歩して、いろんな「化繊」が生まれました。
そしていつのまにか、化繊は安さより「便利さ」が注視されるようになり、
スーツでも化繊だからと言って「化繊なんか着てきて…」などとは言われなくなりました。
そんな風に、わずかの間に、いろんなことが変わっていきます。
洋服は毎日のことですから、いつの間にか出て広まり、定着する…それとても騒がれることはさしてありません。
着物は、それがマイノリティな立場であるだけに、特に目立ち、いろいろいわれるわけです。
素材もですが、着方も…。
前置きばかり長いですが(いつものことやん)、要するに、大昔のゆかたと、ちょっと昔のゆかたと、
今のゆかたと、それぞれいろんなことが変わってきています。ここ数年の間の状況は特にそうです。
だから「浴衣はね」「木綿着物はね」と、きっちり説明しても、すでにそれが当てはまらないことも、
いろいろ出てきているわけです。それを踏まえて…です。
カンタンにいいますと、浴衣は「木綿着物」という中の、一つの種類です。
あ、浴衣と木綿着物の線引き…コレについては、明日続けて書こうと思っています。
元々浴衣は「ゆかたびら」といわれたもの。「湯帷子」です。この帷子は「麻の小袖のこと」。
日本の「お風呂」の歴史の始まりは「サウナ」です。最初は岩穴などを利用し、
その後は建物の中で湯を沸かすようになりましたが、いずれも蒸気を利用した蒸し風呂です。
更に進んで、湯船などを利用するようになりましたが、いずれも帷子を着て入る方式。
これは岩屋などでのケガや、湯気のやけどを防ぐとか、身分の高い人は素肌を見せないとか、
いろいろ理由があったようですが、時代が下がるとともに、入るときは裸(ただしふんどしなどは使用)で、
あがったあとにカラダに残った水分や汗を吸わせるためのもの、になりました。
お大名などは、一枚ではなく、何枚も次々着せては水分をとったそうです。バスローブですね。
この習慣が、やがて庶民に下がってきて「湯上りに汗取りに着てさっぱりするもの」になっていったわけです。
同時に木綿にいろいろな柄を染めるという技術も発達し、普段着る着物にはない大柄や華やかな柄、
また絞り染めなども染められるようになったわけです。
着方について、今でも「浴衣は日が落ちてから着るもの」ということを、言われることがあります。
要するに、一日の汚れや汗を、お風呂や行水でさっぱり落としたあとに着るもの…だったから。
つまり「食事も入浴も済ませたあとのリラクシング・ウェア」だったわけです。
それが、涼しいしラクだし、洗濯も利くし、柄はきれいだし…と、夏の日常着にもなっていったわけですね。
また、女性が旅をするとき、支度を整えた上から浴衣を羽織り、たくしあげて紐で結んで、
塵除けコートのかわりにも着られました。つまり「普段着物」の中でも異種だったわけです。
いつもの呉服屋さんのお話ですが、まだ若いころ、ある夏の日、余りの暑さに浴衣を着てお店に出たところ、
年配のお客様に、朝から浴衣はないでしょ、お店の人が…といわれたのだそうです。
それ以来、夏は夏着物かいっそ洋服…でお店に出ていたそうです。そういえば…そうでした。
また浴衣は「ご近所まで」ということも、私の子供のころには言われていました。
江戸時代の人たちも、部屋の中でのリラクシング・ウェアから、
日が落ちてからは外へも着ていく…とはなりましたが、それはお祭とか花火大会とか…そういうことで、
交通手段が「歩行」しかなかった昔は、イヤでも夜の外出なんて、ご近所しか出来なかったわけです。
時代が変わって、いまや花火大会に行くのに、電車やバスを乗り継いでいく時代です。
日が落ちてからだの、ご近所までだの、とっくに実情には合わなくなってきたわけです。
だから昼間っから浴衣着て、浅草歩いてる人がいたりするわけですね。
それを眉間にシワ寄せて、明るいうちから…なんて言っても仕方ないでしょう。
「くくり」は、時の流れで、はずされていくものもあるということです。
また、江戸の昔は、着物の色柄まで厳しくされた時代でした。庶民は木綿か麻が中心で、
色はジミ目の紺や茶色、柄は縞か格子…ほんとに今なら「何着ようと大きなお世話じゃあっ!」ですが、
当時はそういう締め付けも聞かねばならない時代でした。
だからみんな抜け道を探したり、見えないところで派手にする「裏勝り」なんて文化が育ったわけです。
木綿地に花や唐草、絞り柄などを入れたものは「表に着なきゃいい」のですから、
中に着たり小物に使ったりしました。そしてもうひとつ、かの時代には「身分」というものがあり、
それは単にどっちがえらいのどうのだけではなく、それぞれの立場をわきまえる、ということもありました。
「足元を見る」という言葉があります。相手の弱みを掴んで優位に立つことですね。
あれは江戸時代、旅人の足元を見て、わらじの傷み具合や汚れで、駕籠かきなどが値段を吊り上げたり、
宿の主が客の疲れ具合をはかったり…というところから来ている、といわれますが、
もうひとつの説に「昔は足元を見れば、その人の職業がわかったから」というのがあります。
足袋の色や履物、その履き方歩き方などで、何をしている人かが計れた…というわけです。
つまり相手をよりよく知って、突っ込みどころを探すとか…ですね。
当時「職人は紺足袋」でした。今でも「青縞」とよばれているものがありますが、
別に縞柄ではなく「藍染の紺足袋」です。職人は外で仕事をすることも多く、また木屑や石屑などで、
怪我をすることもあります。すわってそろばんはじいている商人と違い、実用本位がよかったからですね。
虫除けの効果のある藍染で、地もしっかりと堅固な紺足袋は、まさに職人さん向けだったわけです。
庶民は、どんどん「柄足袋」なども取り入れましたが、武家ほど「しきたり」を重んじ、
登城のときや正式な紋付はかまの時は、武士は「白足袋」でした。
またお城で働く茶坊主さんはからし色、…時代劇でよく茶坊主さんが奥までご案内…なんて場面がありますが、
だいたいは「白足袋」です。あれも時代劇のウソ。だっていきなり黄色の足袋でささささっと歩いてたら、
今の時代なら笑える色ですよね。そういう足袋の色などを忠実に再現して、
逆にその人の身分や出自をあらわしているのが、日本舞踊や歌舞伎です。
結婚当初、母に「ウチの人の着物は紺系だから足袋も紺がいいよね」といったら
「いくら日曜大工がうまい言うても、職人さんに失礼やで」と言われました。あはは、黒にしましたがな。
また、かの時代は、ある程度ゆとりのある奥様お嬢様は、日常的に足袋を履くのが慣わし。
逆に、位の高い花魁であっても、花街の女性は真冬でも素足、でした。
これはある種「矜持」とも言うものだと思いますが、素人玄人という線引きがしっかり成されていたわけです。
庶民にとって浴衣は、じゅばんを着なくてもいい、つまりフツウの着物じゃない…から縞や格子でなくてもいい、
華やかな朝顔をドーンと染めたものなど、柄を表に出しても文句を言われない、
元を正せば湯上り着なのだから、帯も軽め、そしてなにより、この時期だけは、
いつもはかなければならない足袋を脱ぎ、爪紅つけて素足で下駄が履ける…
これは、当時の女性にとってはたまらない解放感だったと思います。
ゆかたって、そんな風に楽しんでいたものなんだ…と思うと、私も浴衣は「涼しさ、軽快さ」最優先。
というわけで、わざわざ浴衣にいろいろなものを付け加えるのを好まないのです。
もちろん、これは単に私の好み、いまだに江戸をひきずってんのかい、といわれればそうですね…です。
こればっかりは、その人の主観、というものがかかわってきます。
例えば最近の若い女性が、浴衣にレースの衿をつけたり、ふわふわリボンみたいな帯を
2枚重ねてみたり、帯の前になにやらチェーンやヒカリモノを下げたり…。
かわいくもあり、華やかでもあると、私は思っています。
でも、元々が「浴衣ってなんだ?」というところから違うわけですから、いいとか悪いとかいえないわけです。
華やかな飾りをまとう着方は、かわいさとか、きれいさとか、オシャレ感とか、ファッションアイテムのひとつとか、
そういったことにポイントを置いているわけです。
私は浴衣は「着る方も見た目も『涼しげ』かどうか」にポイントをおきます。
だから黒地に赤やピンクの薔薇が散っていたり、キラキラ輝く飾りをつけたりすると、
かわいいし、きれいだけれど、なんか暑苦しいねぇ、と思うわけです。
なにもそんなにゴテゴテせんでも、さらっと涼しげなほうがえぇやんか…と。
逆にそういうタイプを好む人は、なんか白地に紺だけとか、昔っぽいウチワだの朝顔なんて、ダサいよね。
つまんないしジミ…そう感じるのかもしれません。
多様化、というのはあって当然の変化の一つではありますが、
いつもいうように、いろんなことがちゃんと伝わって、順当な変化をしていったなら、
浴衣はどんな色柄をどんな風に着たら「浴衣本来の魅力」を楽しめるか…ということも、
もう少し形が変わっていたのではないいかと思うわけです。
今年もあと一ヶ月も経てば、暑苦しくもかわいい浴衣姿のおねえさんたちがそこここで見られるのでしょう。
それはそれでいいと思いますが、前の打ち合わせだけは間違えないでください。
友人に「○○の縁日で幽霊に遭ったよ、今年は二人」なんていわせないでくださいね。
最近若い方が浴衣を着るようになりましたが
涼しさを感じさせるような浴衣の着方をされる方は少ないですよね。
どんどん派手になっています。
ファッション雑紙に載っているのがそんな感じなので、しょうがないのかも知れませんが、正直困ることも良くあります。
帯を3・4本持って来て全部結んで欲しいと言われたり・・・
前も後も派手にしって感じです。
いったいどうやって結べばいいの?と思うことが良くあります。
それがギャルだけでは無いときも・・・
やはり個人的には実際は暑くても
見た目に涼しさを感じさせるような着方をしてほしいですね。
でも、要望があると着せない訳にはいかないので
いろんな練習をしている矛盾が・・・
もちろん、ヘアスタイルも
うなじをすっきりが一番。
化粧は薄め。
若いっていいわね~と思える
お姉さんの浴衣姿が減って残念。
個人的には 奥州小紋の柄行や 有松鳴海の肌触りがすきです(^○^)
お若い人は1年の中で「着物」を着ることが「浴衣」くらいしかないので、おもいっきりくっ付けたがるのでしょうね・・・・
しかし、見る側には アツボッタイ!! んですがね
関西は昨日は雨で私も頭痛でしたが、夕方から回復、今日はすっきり晴れてます。
浴衣についての感覚は、私もとんぼさんとほぼ同じだなあと思います。
とにかく、見た目も自分も涼しく…家(+近所)では裾よけは着けますが上は肌着もなしってこともあります。
風が通って、肌に日が当たらないから涼しい、と思ってます。
派手な着方もずいぶん色々あるみたいですね。
若い方は、着物を着る機会と言えば成人式の振袖と浴衣くらいしかなくて、それに「着物」のイメージを求めるから、しょうがないのかなあと。
振袖に色々付けるようになってきて、それを浴衣にも、となってきているような気がします。
最近は洋服も「盛る」よりシンプルになってきてるようですし、また変わってくるかもしれませんね。
別の街のお祭りでは2人連れ立って歩いていた女の子が揃って「左前」だったり…今は地元の呉服屋さんが「着崩れ直しサービス」をするところもあるそうですが、私もきもの友だちと「テント張ってそういうサービスしたいくらいよね」と話し合ったことがあります(笑)
よいと思う浴衣の着こなしは、私もほとんど変わりません。涼しげで清潔感のあるコーディネートが1番素敵と思いますが…
ちなみに、おばちゃんになるとかえって浴衣を浴衣らしく着る機会は少ないのでほとんど着ないのですが、持っている浴衣は竺仙の藍白の綿コーマと有松絞りです。
ほんと、歩いて行けるお祭りや、私の実家のある岐阜は郡上が近くて、昔は盆踊りが盛んだったので、そういう近所の盆踊りとかあれば、浴衣でフラッと行けるんですけどね。
ゆかた、というより「ゆかたドレス」とか
「ゆかたワンピース」のノリなんでしょうね。
着物そのものをしらないから、ラクに着られる着物?
さみしい現実ですねぇ。
ご苦労のほど、しのばれます。
清潔感とか娘らしさとか、もう古いのでしょうね。
ファッションの一つ、コスチューム?
暑苦しいとは、まったく思わないのでしょうか。
ふしぎです。
着物とは別物とおもわれているのでしょうか。
なんだか、外国の片に見られるのも…なぁんて、
オバサンは心配しています。
あっさり小粋に着るなんて…むずかしいのかなあ、かえって。
おかげさまで、三日目までちときにしていましたが、
すっきり大丈夫です。
私も自宅で着るときは、裾除けだけのことがほとんどです。
どうせ汗かくし、一日でザバッと洗いますしねぇ。
一時期のはやりもの…と思いたいです。シンプルになってくれるといいですねぇ。
花火大会&お祭り用、イベント・コスチューム…
そんなかんじなのでしょうか。
人より目立ちたい、人とかわったことをしたい、
そういう思いもあるのでしょうけれど、
いいねぇと振り返ってみるよりは、ナニ?今の…と、
振り返る浴衣姿は、結局きえていく…と思いたいですわ。