ファッションは当然のように「社会背景」を映し出すものではありますが、
特にこんなふうに象徴的だと、ちょっと怖いなと思います。
子供のちゃんちゃんこ、こういう柄が紹介されるときはだいたい「戦争柄」、です。
私はこの「戦争柄」という言葉が嫌いです。といったって、まさにそのとおりなんですけれど、
なんか「軽く」聞こえるのか、心の奥底にチクリとくるのです。
前はこんな柄、背嚢と銃、ヘルメット(鉄兜)と拳銃と刀、ですね。
私の実父は、明治44年生まれです。存命なら100歳です。
この父が学校へ行くような年頃の、子供のころはといえばだいたい大正の真ん中から昭和初期。
このころは多くの男の子が「大きくなったら兵隊さんになる!」といっていた時代です。
父もご多分に漏れずだったそうですが、実際の戦時中には「敗戦」も予感し、
戦争のむなしさも感じてしまったわけです。
こんなちゃんちゃんこを着ていた子供は、何もわからないうちから
「りっぱな兵隊さん」のお話を聞かされていたのかもしれません。
今でも内戦や戦争の続いている国では、まだ年端も行かぬ少年たちが自分の体と同じくらいの重い銃を操り、
「○○国は敵だ!大きくなったらバンバンやっつけてやる!」などと悲しいことを言っています。
彼らのまだ白い紙のような心に、敵国、敵兵を憎む心、銃を以って制する強さなどを
墨黒々と書き込んでしまうような、そんな恐ろしいことは、一日も早くこの地上からなくなって欲しいと思います。
このちゃんちゃんこは、かなり汚れや穴もあり、また刺繍糸も切れてぼろぼろです。
広げてみるとこんな感じ。
こちらは背中の柄アップ
前のアップ
状態はとてもよくないけれど、私はこれをしっかりとっておこうと思います。
こんな柄を小さな子供の背中に背負わせ「いいちゃんちゃんこだねぇ」などと言う世の中にならないように。
「大きくなったら、僕もおんまさんにのってタタカイにいくんだ」などと言う子供を育てることのないように。
総理が浜岡原発停止要請を出しました。当然だと思います。
福島の原発事故で「想定の甘さ」を思い知らされた私たちです。
津波があと5メートル高かったら、地震があともう少し強かったら、今頃私たちはもっとひどい状況になっています。
危ない状況ではあるけれど、チェルノブイリのように、とにかく逃げなきゃ…という状態にまでならなかったのは、
本当に本当に、万にひとつの幸せな奇跡であったと、私は思っています。
原発は原爆ではありません。しかし、元となるものは同じです。
バクダンのように、モノを破壊する力はなくても、ヒトの命を脅かす恐ろしい目に見えない「死の灰」を
広範囲に撒き散らすものには変わりないのです。
今回の事故だけで、今も私たちは毎日シーベルトだのベクレルだのに脅かされ、
「押さえきれるのかきれないのか、いつになったら終わるのか」その不安におびえています。
現在の核爆弾は、コレの比ではありません。かの大戦は、あの原爆によって終わった、とされています。
でも、それは同時に「次に大きな戦争が起きたら、地球は破壊される時代」にはいったということです。
昨日の「矢切の但馬」も「楠正行」も、みな日本の昔に生きた人で、日本は長い年月、刀や槍で殺し合い、
斬ったり斬られたり、首を取ったり取られたり、残虐なことが日々当たり前のように行われていたわけです。
そういう世の中でなくなったからこそ、今ああいう絵を、きれいだの細かいだのウマいのヘタのと、
楽しむことができています。でも「もう一度こんな鎧武者が闊歩するような時代に戻りたい」などとは思いません。
でも、このちゃんちゃんこのお馬さんの兵隊は、ひとつ間違えばまたもう一度見られてしまう危険をはらむものです。
もっとも乗るのは馬ではなく、ジープや戦車でしょうけれど。
そんな現実はゴメンです。
こんな柄を二度と子供に着せなくていいように、矢切の但馬の柄のように、
「もう起こらないこと」として単純に色柄を楽しめる時代がくるように、そう願っています。
それにしても「戦争柄」というのは、こわいけれど、なかなかいい絵が多いのが悩みの種です。
多いように思いますが、いわゆる洗脳
と反対したくとも言えなかった時代
だったのでしょうね。
分け与える思いやりの心があれば戦争
なんて起きないでしょうに・・・
安心、安全、平和な日々にと思いますね。
浜岡原発停止もなにやら暫定的とか、点検で夏場に全機停止しても
そのときは電力に影響がなかったのに
今度は苦悩だ、二年かかる、法的規制はうんぬん。
いつだって、弱い立場の子供が未来をつぶされてしまうのは
さけたいです。
ぜひ、この柄保存されてくださいね。
これを「強い子に育つように」と我が子に着せていた時代があったのですよねぇ。
ちょっと驚いたのですが、今の朝の連続TVドラマの「これからの流れ」のような番組で、主人公の女性が「戦前なんて時代は無かったのよ」だの「そんなに悪い時代ではなかった」だの言うのが聞こえて、え??と思ってしまいました。
私の聞き間違いかもしれませんが、原作者や脚本家は一体どういうつもりであの台詞を書き、どういう場面で使われるのか・・・・
お国のために…と、万歳と送らなければならなかった、
そのころの親の気持ちを思うと、切ないですね。
なんで仲良くできないんですかねぇ。
さまざまに利権と、目の前のこと、
それだけでは「先」がありません。
10年先、50年先…のことまで、
考えていかなければならないんですよね。
周囲が全部そう染まっていたら、
そういわなければならない…。
そんな世の中はイヤですね。
あの連ドラは、戦争を知らない世代が
かいているのだとか…。
古きよき時代の風情や、ヒトとのかかわり方が懐かしい、と
私の母くらいの人たちにはたいへん評判がいいそうです。
「悪い時代じゃなかった」というのは、どういう意味なのかわかりませんが、
ちと不穏に聞こえますね。
あの番組も、銘仙の着物なんかが出てくるので、
三日にいっぺんくらい見ているのですが、
これから戦争に突入するのがわかっているので
そろそろやだなーと思い始めているところです。
どういうときに言われるのか、今週はちと見てみましょうね。