写真は昔の留袖、両褄柄です。これも残念ながら、シミ汚れがあって、部分使いしかできません。
昨日は「訪問着」のお話しを致しました。
今日は、ちょこっと留袖のお話しをしましょう。
留袖については、先日ちょっと書きましたが、それは、近代に近くなってのことです。
元々「袖を留める」、と言うのはもっと昔にあったわけで、まずは「小さい子供の袖を留める」ことから始まりました。
今でもお宮参りの掛け着は、広袖です。何度も書いておりますが、広袖とは袖口が縫いとめていないもの。
十二単のあの袖が「広袖」または「大袖」といわれます。
「小袖」は、手が出る分だけの「口」を残して、その下をずっと閉じてしまったもの。
安土桃山時代の絵などを見ますと、袖口は手がでるだけの一杯一杯、裄は短いです。七分袖の感じ。
季節にもよるのでしょうが、動きやすくしたのかもしれません。
で、この「袖口の下」を縫い閉じる」ことは、最初は子供が少し大きくなってくると…という時期でした。
昔は乳幼児の死亡率が高かったですから、とにかく子供のことは大事にしました。
袖口を広く開けて広袖にしたのは、子供の体にたまる熱気が外にでるから…といわれていました。
子供は体温高いですから、あまり包み込んで熱にやられるといけない…でしょうね。
やっと三歳五歳と言う年齢を過ぎて、やれやれここまでくれば…というようなころに、袖の下をとじたのですね。
なにしろ7歳まではヒトではないなどと言われていました。子供はそれくらいハラハラさせられるものだったわけです。
これが「子供と大人の境目」のような意味合いになり、だんだん袖をとじることより袖の丈をいうようになりました。
つまり「女児」といわれる年代から「少女」といわれる年頃ですね。
昔は「体が女」になれば、結婚は早かったですから、いわば「結婚適齢期」にはいりましたよー…みたいな?
更に時代が進むと、それなら短い「娘」の時代くらいは華やかにしてあげたっていいじゃないか…で、
「娘は振袖」となったわけです。だから今度は「嫁に行くと袖を留める」ですね。
それが今に至るも「振袖は未婚女性の第一礼装」といわれる所以です。
子供のころのお正月の着物はみんな振袖でしたね。
さて、ついでのことに言いますと、大正から昭和前期くらいは、総じて袖は長いです。
それもバラバラ…。地味な縞の着物でも60センチくらいあったり、留袖がやたら袖長かったり。
元々「袖丈」というものに、細かい決まりはありません。今はだいたい49~50センチ。
なんででしょう。そろえておいたほうがなにかとラクだから…です。
昔の人は、まず全部自分でできましたから、自分の袖丈はこの長さ…と決めたら、
じゅばんもそれに合わせて作ったり、自分で長さを変えたりしたわけです。
今はほとんどプロに頼みますから、あとでじゅばんの方が長いの短いのとならないように、
「標準」というのが、いつのまにか決まったんですね。
またこの長さは、振袖のお嬢さんと並んだときのバランスとか、普段着物ででかけたりするときに、
ジャマにもならなければ貧相にもならない長さ…と言うわけです。
袖がすれるのがイヤだからと、極端に短くしたり、船底袖などにすると「労働着」「野良着」に見えてしまうし、
帯の幅や、背中のお太鼓だの、着物の華やかさだのとバランスが悪いわけです。
だから対丈で、衿をあまりぬかずに、カジュアルに着るときは、帯幅も狭めで結びもシンプル、
そんなときはかえって船底袖のように短いほうが、バランスいいんです。
留袖に話をもどしましょう。
女はアレもダメこれもダメといろいろいわれていたことが、だんだんルーズになってきて、
女の紋付もあり…になると、黒紋付を着るようになりました。
「黒紋付」は、帯と小物で慶弔両用に使える…とされていた時期もあったそうです。
男性の黒紋付は羽織の紐や草履を変えることで慶弔使えます。
それといっしょで、例えば少し年齢の高い女性は、柄のある留袖が派手だと思えば、黒紋付でも問題なかったわけ。
時代が下がって、喪服が全国的に「黒」になってしまうと、いくら帯を変えても黒紋付は喪服…のイメージ。
それで女性の黒紋付は「喪服専用」になって現在に至るわけです。
おもしろいもので、男性のブラックフォーマルも、ネクタイと靴下など小物を変えれば慶弔両用。
本来は女性のブラックフォーマルもそうでした。というより、今でもいいんです。
それでも、いくら華やかなコサージュをつけても、キンキラリンのアクセをつけても、
「黒い服」というだけで、葬儀を連想させる…ので、最近は、黒い服で披露宴などに出席することが激減しました。
男の方は「それでいいわよ」だけど、女の方は、やっぱきれいで華やかでなくちゃ…と言うのが見え見え??
留袖や喪服、そういうことも「洋服」の影響をいろいろ受けていると思います。
留袖は皇室では「黒」を使いません。叙勲などで宮中に入るときは「黒以外の」と指定されます。
日本全国「黒留袖は、既婚女性の第一礼装」といわれているにも関わらず、
たった一箇所「皇居の中ではタブー」というのも、フシギですが、
これは「黒は皇室では喪の色」だとか「武家の正装の色ただったから」とか、説があります。
昔の喪服は白ですが、これとても貧しい庶民の間では白喪服を着るのは喪主、あれば家族も。
近所の参列者は普段着だったわけです。幕末・明治の盛大な葬儀の写真…がありますが、
いろんな色が見えてます。
喪服が黒になったきっかけは、明治天皇、もしくはその母上の葬儀がきっかけ…といわれています。
つまり、明治天皇は、先日も書きましたが「公式行事は全て洋装で」とお決めになられました。
男性は葬儀にはモーニング、で問題なかったわけですが、女性は和服でしたから、
外国の葬儀を調べてみると、白はウェディングドレス…およよ、で喪服は「黒」。
そこで女性は黒い紋付を着なさいと…これが黒喪服の始まり、というかきっかけ。
でもねぇ、おかしいでしょう、モーニングだって黒ですよ。
「黒は喪の色だから宮中ではダメ」といいながら、モーニングの黒は着られているわけです。
よく宮中晩餐会などで、皇后様以下、女性の方がロープデコルテなのは、明治天皇の「公式は洋装」が
今も守られているからなんですが、モーニングは色は黒でも洋装だから…まっいっか…なのでしょうかねぇ。
つまり「色」よりも「洋装」であることのほうがメインなんですね。だから和装になると「色」が先に来て黒はダメ。
こんなみょうちきりんなことが、明治以来100年以上続いているんです。別に皇室を非難しているわけではありません。
今のヒトが混乱するのはムリもないことですよね。
特に洋装一辺倒になってしまってからは「喪」についての決まりごとが、あれもこれもと変わりました。
というより、きちんと整理されないまま「多数決」で決められてる気がします。みんなそうだから…ですね。
私は欧米の葬儀に列席したことはありませんが、みんな真っ黒ってのは日本だけだと思います。
元々日本だって、遺族以外は通夜は黒以外、告別式も地味目…だったわけですが、
ある経済関係の方のサイトで、高度経済成長でなんでも買えるなんでも欧米化…で、
本来そこまでしなくてものことまで、そうなってしまった。
通夜の喪服もその例である…というようなことを書いておられました。
本来、喪服は遺族のみ、参列者は何もなかった昔は普段着そのまま、少し余裕が出てきてからは、
お通夜は帯だけ黒とか黒羽織りとか、葬儀は色喪とよばれるものか、通夜と同じ…だったんですが…。
洋装だって外国では、遺族も着ないときもあるというのに、日本は全員黒ですね。
日本では「通夜に全身黒を着るのは準備していたかのようで失礼だから、
急ぎ駆けつけました…という気持ちをあらわすのに、地味目で」といわれ、
洋装でも、地味なスーツとか、黒の上着にグレーのスカートとか、その程度でしたが、
今はお通夜もまっくろけ。せめてストッキングくらいは肌色でもと思っても、
まるまる告別式の予行演習なみの黒尽くめです。
最近は「お通夜だけで告別式に出ない場合もあるから」だの「一度で済ませる」だので
「黒でもいい」なんてことをいいますが、そんなものは「行く側の都合や理由」です。
お通夜にしか行かれないなら「お通夜の衣装」でいいはずなのに。
まぁいくらここで言っても、ごまめの歯軋りですが、洋装と和装の入れ替わり、そして着物がきられなくなったことで、
喪というものについてのことが、なんでも黒でやっときゃ間違いない…みたいな
そんなことで今があるような気がしてなりません。
それでも着物の時は、遺族以外は黒ははずすのですが、今度はそれを「あら、黒い着物じゃない」なんていわれる…。
しきたり系のサイトでも、一応「通夜は黒以外」と書いてあっても、それは「そういうものです」ではなく、
むしろ全身黒でないことの方を「それでもいい」なんて書いてあったりします。
このところ私は遺族側ですので、問題なく喪服ですが、こんどどなたかの葬儀があったら、
結局えーい面倒だから右にならっちゃえ…ですねぇ。着物でいけたら当然色喪です。たとえなにを言われても。
おめでたい留袖の話が、喪服の話になっちゃいましたが、
とにかく、今いわれている「しきたり」とか「きまりごと」って、なんだか足元の危ないものもあれば、
凝り固まってるものもあるんです。それを少しずつ土台としてきたなら「でも、これはこうしたら?」と
変化したかもしれませんが、着物を着る暮らしがすっぽ抜けたら、なんだかわかんないけど「こうする」になって、
そうなってくると「なんでこうなの」がでてきて、「いいじゃんそんなの」がでてくる…。無理ないです。
新しいことを積み上げるのはとてもダイジなことですが、自分の足の下がどんなものなのか、
それを少しでも見てておいてから積み上げないと、もしかしたら「踏みつけてなくしてしまってはいけないこと」だって、
いろいろとあるはずなんですよ。
伝統だのしきたりだのにはその理由がわかるものも、わからないものも、どっちもあります。
それでも、長く続け続けられてきたことには、それなりの意味や理由があります。
先日、あるサイトで、着物のしきたりについての説明をしていましたが、
訪問着のところで「最近はいろいろな訪問着がでていますので」みたいなことが書いてありました。
本来はいろいろあるのが訪問着なんです。
紬の訪問着、というのも今はあります。
それは「正式な場では着られない」と、ついこの前までは言われていましたが
「最近では、だんだん着られるようになり」なんてことを書いてあるところもあります。そうでしょうか。
訪問着の生い立ちと経緯を見れば、紬の訪問着もアリだとは思いますが、
礼装にするのは、やはりやめるべきだと思います。それは、「紬」というものの生い立ちと履歴によります。
人間は平等、職業に貴賎なし…の時代ではありますが、
一流レストランでフルコースを食べるとき、その食器がナイフフォークにいたるまでプラスチックだったら、
どう思いますか?人間ではなく「モノ」というものには、適材適所があるのです。
紬は本来、訪問着にはならないものです。
それだけでも、紬さんは「あたしさー、こんなものになっちまって、かたっくるしいったらないわよー」と
言っているかもしれません。
「知る」ということは、考えを積み重ねるには必要なことです。
わからないから「ご破算で願いましてはー」とやったら、いいことも消えてしまいます。
「訃報を聞いてとるものもとりあえず、駆けつけて参りました」という気持ちを表すのに、
全身黒ははずす、という気遣いこそ「日本人の礼のココロ」だと思うのです。
私は礼装のきまりこどはたった一つしかないと思っています。
「礼装を身につけるときは、必ず相手のあることだから、その方に対して礼儀をつくすこと」。
気持ちが大事なんだから、自分が「おめでとう」と言う気持ちがあれば、なんでもいいじゃん…ではありません。
見られることで「新婦さんのお友達って、あんなヒトがいるのねぇ」とヒンシュクを買ったら、
恥をかくのはその人だけでなく新婦さんとその身内です。
礼を尽くすということは、自分の気持ちだけではなく、相手の方やその周囲のヒトに対しても、
こころをたくさん使うということだと、私は思っています。
またしても、何の解決策も現れないお話でしたが、まだまだ続く感じですねぇ。
次は何のお話をしましょうか。
何が当たり前なのか、わからなくなってますよね。
私も、喪主、遺族全員洋装で、あらら…がありました。
母の時も喪服は私だけ…。斎場でも着物の人を
ほとんどみかけなくて、
ここは日本だろ…と思っていました。
私もヒザがちと着ているので、座敷はきついですが、
できるだけ「着るべきときには着る」でいこうと思いつつ、
ブラックフォーマルも、準備してあります。サイズが変わらぬことを祈りつつ…。
私自身も、本当は…と思いつつ、一緒に行く人が
まっくろけだと、
もうしょうがない…です。
結局考えなくていいからめんどくさくなくていい…
になってしまうのでしょうか。
いろいろ書きたいことが一杯なんですが…。
頭の中にまとまったことを文にすると、あっちこっち飛ぶんです。
こんなに長くするなよぉと、いつも自分で思っています。
ほんとに、葬儀ごとに「どんなかな?」だったりして。
母のとき、なじみの呉服屋さんが、お通夜に紫の色喪で来てくださって、
なんかほーっとしたんです。
やっぱりそうだよねぇって。
母の友人は高齢が多くて、さすがに普段着っぽいグレーの上着とかでしたし、
ごくオーソドックスと言う感じでした。
私も義父の葬儀の時、喪服はあったのですが、
息子がまだ小さくて車ものりましたので、
義父の身内に「すみませんが黒の洋装で出させていただます」と言ったら
「あら、いいわよ、私たちもそーだから」と、
逆に「喪服きるつもりだったの?」みたいに言われて
あららでした。
葬儀については、土地にもよりけりで、ほんとに迷いますね。
ご近所は新興住宅地なので、今風ですが、母のいなかなど、
行く前に確かめるようです。
私も洋服はほんとに不経済で困っています。
ほんとに、洋装の黒づくめが怒涛のように押し寄せてきた感じで、
葬儀ってこんなだった?といまだに思っています。
私も母のお召しに黒羽織で、お通夜に行きました。
なんだかあっというまに変わった気がします。
葬儀のお手伝い用のエプロンとか割烹着とか…。
白の方がきっぱりしていていいとおもいますけどねぇ。
ハンカチまで黒…やりすぎですよ。
気がつけば喪主の方も洋装になっていますねーー最近お着物の方は見たことがないなあ~~
私もこう膝が悪くなると着物は難しくなるなあと思っています。これから見送り予定の親が4人もいるのにどうしようと悩んで最近ブラックフォーマルを買いました。
って・・・半世紀も生きてりゃ当たり前でしょうか?
えへへへへ
「お通夜には喪服で行ってはいけない」「親兄弟、せいぜいおじおばなどの親族以外は和服の喪服は着ない」
などなど・・・地方色やその家のしきたりなんかもあるんでしょうねぇ。
長いシリーズを毎日・・・本当に頭が下がります。
まとめられるのは大変なことですよねぇ。
ありがとうございます。
盲導犬ですか
御所内に入ることがゆるされて
介添えの奥さまの着物姿を見て
黒ばかりが正装とはかぎらないと知りました。
(盲導犬は、毛を落とさないようにと、胴衣着用していました)
経験としては、松の内に急なお通夜と葬儀で
真冬だったこともあり、玄関先で
「こんな恰好で…」とお許しいただいて
ご焼香させてもらいました。
(黒の上下で下はパンタロン)
洋装でも、気のつかいどころに悩みます。
親族が和装が礼装の宗教だったら、どうしようか。
(まとめてレンタルするそうですが)
そのせいか、年々、無宗教でごく身内の家族葬が
増えているようです。高齢化で、かけつけられないから
だそうですね…。だんだんそうなるのでしょうか。
そんな中で、私だけ着物5つ紋付です。何故なら。。。洋服のサイズが変わるのが早くてブラックフォーマルを用意できないから。洋服は、デザインが古くなって案外早く着られなくなるのに、高価なのです。貧乏ゆえの、着物。
なので「これしかありませんので申し訳ありません、失礼します」と必ず声をかけるようにしています。。。
法事のときは3回忌くらいから、色喪服にするんですが。。。通夜では怖くてできません。本当は色喪服だろうに、と思っていても、誰もご存知ないしどうしよう?とびくびくしてしまいます。
結婚式より葬式の方が、昔のしきたりが残るものとずっと思っておりましたが、首都圏は、何もかも呑み込んで均一化が進んでいるようです。
子供の頃は浴衣も振袖で、長い袂が嬉しかったです。毎年母が縫ってくれました(^^)
持ってきた方が多いと思います。
お通夜参りには地味目な着物に黒羽織を着て
行けばいいと教わりましたし親がそんな風にしていました。
それが当たり前だと思っていたら、いつの間にやら
今はお通夜、告別式、法事まで黒づくめの所も・・・以前はお手伝いは白の割烹着でしたがいつの間にやらこちらも黒に。
最近はハンカチまで黒だと聞いてへぇーと驚く事ばかりです。