のお話しの前に、写真は我が家の裏庭から撮って、いえ「採って」きたもの。
バサマが以前植えたのが増えすぎて、もーどうにもなりません。
こんなところに生えてます。
なんたって、地下茎で増えますから、刈っても掘り起こしてもまた伸びる~。
フキの群生地になってますがな。これは雄株?雌株?それすらわかりません。
でも、こうするとかわいいなぁ。
さて、昨日「留袖に比翼をつけなければ訪問着として着られる」のですね、
というお話しがありました。
私が自分だけの勝手な思いで、カンタンに書いてしまったために、
誤解を生むような、ワケがわからなくなるようなことに
なってしまってすみません。説明しますね。
厳密にいえば「着られません」です。なんじゃそりや…。
つまりまず「黒地で・裾模様で・五つ紋・共八掛」となれば、
それだけとれば留袖以外のナニモノでもありません。
しかし、留袖は比翼仕立てという仕立て方をします。
比翼仕立てというのは、本来、下に何枚も重ねて着る「襲」が主流だったものが、
だんだん簡素化されて、まず下が白い着物一枚着て…になり、
やがてそれも面倒だと、留袖に白布を部分的に縫い付けて、
「いかにも二枚重ねて着ているように見えるように」仕立てられたものです。
つまり、留袖には比翼をつけるか、もしくは白い着物をもう一枚重ねて着る、
ということで初めて「留袖」としての完成形になるわけです。
それを逆手にとって「じゃ白いの重ねてないから留袖じゃないよね」と、
着てしまおう、ということなんです。
つまり、これを着て(当然結婚式には着たら失礼です)何かのパーティーとかに
出て行ったとして、誰かに「それはなんか中途半端じゃありませんか?」
と言われたり、道行く人に「アレは何?留袖?でも比翼がないよ」と
ウタガイの眼を向けられても「私はこれを柄がいいので留袖ではなく、
訪問着として着ております。きれいな着物を着るための私流の着方です」と、
ヘーキでいられなければならないわけです。
いわば「紬の訪問着」と同じような位置づけでしょうか。
紬はその出自が「養蚕農家のシゴト着」だった、ということで、
今に至るも「礼装」としての市民権は、まだ完全ではありません。
どんなに高価でも「紬の訪問着」は、今はまだ結婚式には着られません。
留袖に比翼をつけずに着る、というのは
それた似たような感じで、本当は○○じゃないけど、
でもこういう理由で、このへんまでは許されていいと思うよ、
といった感じだと思ってください。
着物は確かにルールでかたまったところがあります。
でも、そのルールというのは「こうでなければならない」というよも
「こうすることが理想的」ということです。
着物のルールというのは、途中で着物というものの知識の伝達や、
それなりの進行がとまってしまったために「わからなく」なっています。
だから人によって言うことがちがったりする…。
以前から私は「守るべきもの・かえていくもの」とふたつある、
というお話しをしています。
伝統衣装なのだから、ぜったい変えてはいけない…ものだったとしたら、
今私たちはもしかしたら「庶民用十二単」なんてのを着ていたかもしれません。
時代の流れに沿って、暮らしぶりや社会情勢にあわせて、
着易いように形を変えてきたのが着物です。
大切なことは、着物を着る目的とそれに沿わせる心、でしょう。
着物をファッションと捕らえると「片肌脱ぎ」なんてことにもなりますが、
そうではなく、ルートを変えることで「新しい楽しみ方」ができるのも着物、
だと、私は考えているわけです。
こんなお話しを、ちょっと続けてみようと思います。
ホラ、あたしって書き出すとダラダラと長くなりますから。
ちょっとずつ切って「テーマ」らしきものに沿って書いてみようと思ってます。
この季節は「卒・入」の着物でも悩む時期ですよね。
そんなことも、「それはこうですよ」という直接的なことでなく、
別の角度からいろいろなことを知ったら、別の見方で決めやすくなる…
なんてことにもならないかと。
なんか持って回った言い方ですが、とりあえず、留袖から始まりましたから、
それを取っ掛かりにして、お話しを続けてみたいと思います。
では、あしたから…。
バサマが以前植えたのが増えすぎて、もーどうにもなりません。
こんなところに生えてます。
なんたって、地下茎で増えますから、刈っても掘り起こしてもまた伸びる~。
フキの群生地になってますがな。これは雄株?雌株?それすらわかりません。
でも、こうするとかわいいなぁ。
さて、昨日「留袖に比翼をつけなければ訪問着として着られる」のですね、
というお話しがありました。
私が自分だけの勝手な思いで、カンタンに書いてしまったために、
誤解を生むような、ワケがわからなくなるようなことに
なってしまってすみません。説明しますね。
厳密にいえば「着られません」です。なんじゃそりや…。
つまりまず「黒地で・裾模様で・五つ紋・共八掛」となれば、
それだけとれば留袖以外のナニモノでもありません。
しかし、留袖は比翼仕立てという仕立て方をします。
比翼仕立てというのは、本来、下に何枚も重ねて着る「襲」が主流だったものが、
だんだん簡素化されて、まず下が白い着物一枚着て…になり、
やがてそれも面倒だと、留袖に白布を部分的に縫い付けて、
「いかにも二枚重ねて着ているように見えるように」仕立てられたものです。
つまり、留袖には比翼をつけるか、もしくは白い着物をもう一枚重ねて着る、
ということで初めて「留袖」としての完成形になるわけです。
それを逆手にとって「じゃ白いの重ねてないから留袖じゃないよね」と、
着てしまおう、ということなんです。
つまり、これを着て(当然結婚式には着たら失礼です)何かのパーティーとかに
出て行ったとして、誰かに「それはなんか中途半端じゃありませんか?」
と言われたり、道行く人に「アレは何?留袖?でも比翼がないよ」と
ウタガイの眼を向けられても「私はこれを柄がいいので留袖ではなく、
訪問着として着ております。きれいな着物を着るための私流の着方です」と、
ヘーキでいられなければならないわけです。
いわば「紬の訪問着」と同じような位置づけでしょうか。
紬はその出自が「養蚕農家のシゴト着」だった、ということで、
今に至るも「礼装」としての市民権は、まだ完全ではありません。
どんなに高価でも「紬の訪問着」は、今はまだ結婚式には着られません。
留袖に比翼をつけずに着る、というのは
それた似たような感じで、本当は○○じゃないけど、
でもこういう理由で、このへんまでは許されていいと思うよ、
といった感じだと思ってください。
着物は確かにルールでかたまったところがあります。
でも、そのルールというのは「こうでなければならない」というよも
「こうすることが理想的」ということです。
着物のルールというのは、途中で着物というものの知識の伝達や、
それなりの進行がとまってしまったために「わからなく」なっています。
だから人によって言うことがちがったりする…。
以前から私は「守るべきもの・かえていくもの」とふたつある、
というお話しをしています。
伝統衣装なのだから、ぜったい変えてはいけない…ものだったとしたら、
今私たちはもしかしたら「庶民用十二単」なんてのを着ていたかもしれません。
時代の流れに沿って、暮らしぶりや社会情勢にあわせて、
着易いように形を変えてきたのが着物です。
大切なことは、着物を着る目的とそれに沿わせる心、でしょう。
着物をファッションと捕らえると「片肌脱ぎ」なんてことにもなりますが、
そうではなく、ルートを変えることで「新しい楽しみ方」ができるのも着物、
だと、私は考えているわけです。
こんなお話しを、ちょっと続けてみようと思います。
ホラ、あたしって書き出すとダラダラと長くなりますから。
ちょっとずつ切って「テーマ」らしきものに沿って書いてみようと思ってます。
この季節は「卒・入」の着物でも悩む時期ですよね。
そんなことも、「それはこうですよ」という直接的なことでなく、
別の角度からいろいろなことを知ったら、別の見方で決めやすくなる…
なんてことにもならないかと。
なんか持って回った言い方ですが、とりあえず、留袖から始まりましたから、
それを取っ掛かりにして、お話しを続けてみたいと思います。
では、あしたから…。
ふきのとう・酢味噌和えがいいですね。
で、そこからどうするか?どんなおしゃれでも言えるのに
そこで「着物」にすりかわるとお手上げになる。
途切れてしまう。ですから、とんぼさんのような方が必要だと
思います。いつもありがとうございます。
咲き切ったふきのとうは天ぷらが美味です^^油が苦みをとるようで
咲き切ったものほどおいしいです。
紋を入れざるを得ない訳です。
これが分からない程度に黒く塗りつぶす事が出来れば訪問着としても使えない訳ではないはず。
胸肩袖柄無しの訪問着として。
しかし、石持に抜いた白を真っ黒に、綺麗に塗りつぶす事は殆ど不可能に近い至難の技。
上手く出来れば強運の持主という偶然が頼りになる代物です。
縫取りと言えば寿光、竹下利さんですが数年前に廃業されましたが、別なルートでは健在している様です。
フキのトウを先日行った郡上八幡でお安く買ってきましたがやはり天ぷらがおいしかったです。
あの苦みが何とも言えません。
衣服の変遷史を見れば、現状の姿?は概250年位?(歴史を考えたらメチャ新しくない)それ以降の細かな変化をみれば100年前50年前にプラス細かな変化が有ったと言う有様です・・
衣服は本来生命維持と、機能性と、差別化です、つまり根本的には何でもアリなんですね!
但し不思議なことに『美しさを感じる』と言う『命のくくり』の中に収斂する様に思います←ここの解釈がつかなくて、いまだに悩んでいますから超独断な私見ですが・・・
もう忘れるくらい昔に、うる覚えですが、中村久子女子が、とあるパーティーで、黒留袖に細帯と言ういでたちで・・・それなりにカッコよかった(留袖革命をしようと考えたのでしょうね!?)。
一人の天才が出現すると、総てがガラリと変わると言う事も、起こるのかもよ・・・そのくらい曖昧・・・
バラバラ過ぎるとなぜだか不安???『赤信号みんなで渡れば怖くない』人間も群れる動物ですから。ここに伝統の本質が有るのかもね・・
ふき味噌は、粗みじんに切り、ごま油で炒める。味噌・みりん・砂糖を加え、とろりとするまで炒める。ビンに詰め冷蔵庫で保存する。田楽や、トーストに塗るとおいしいです。
伊達衿忘れて着ちゃって、上半身喪服ですか?状態で着ちゃったことがありますけれども。
あれがこれと考えればいいのですね。
着た時には「親族の結婚式ごっこ」とかやってましたけど、結婚式はダメ・・・
でも、訪問着の格だとしたら親族以外の結婚式だったら良いという単純な計算にはならないのか~?なぁどと。ふへへ
色留なら上品な薄い色にしたいものです。。。。
寿光織 廃業されたのですか。哀
知り合いの帯屋さんも娘さんばかりで いまある機械も古く、壊れたらオワリ。娘さんか娘婿さんが継がなければオワリ。そういう話はよく聞きますTT
意識が強いですからね。
でも、もう親族の結婚式もなく
着る機会の無い留袖が訪問着として
着られたら嬉しい事ですけど・・・
五つ紋がネックですね。
順当に変化していけば、
何の問題もないと思うのですが…。
知らないことを聞くのはいいのですが、
勝手にファッション化させてしまって、
これはないよ、というのは困りますねぇ。
酢味噌和え、ですね、めもめも…です。
ほんとに「きもの」ってなったとたんに、
なんでそうなっちゃうのかなと、
そういうビックリがあります。
洋服におきかえてみるとわかることって
たくさんあるんですけどね。
咲ききったらてんぷらですね、
これも、めもめも…。
皆様にいろいろおそわって、ありがたいです。