狛江市長が自分の杯で相手にお酒を飲むように何度も強要して、セクハラだ…と騒がれています。
時代の変遷のひとつですねぇ。
確かにご返杯って、私の年代でもあまり進んでやりたくはありません。
ニュースのリポートで女性に質問したところ「NO」というのはやはり若い人。
けっこう年配の女性は「私らのころは(若い時)当たり前だったけど、今の人はいやでしょうね」でした。
今の時代「今日の口紅、いい色だね」といっただけで、セクハラになるとか。
つまりは時代の流れ…というものではないかと思います。
もちろん、その職場の状況や人間関係で、それが何事にもならない場合も、
逆にそういう言葉が潤滑油の役目になったりもするのは、今でもあるのではないかとそんな風に思っていますが。
時代が進んで「セクハラ・パワハラ・モラハラ」など、さまざま言われるようになり
中にはそこまで言わなくても…と、私の年代では思うこともあります。
「献杯・返杯」は、割と最近まで残っていた慣習でしょう。
お酒の絡むことについては、まぁいろんな問題が起きるでしょうね。
私のようにお酒まったくだめな人間にとっては、酒席そのものが大の苦手です。
「ご返杯」というのは、まぁ不潔と言えば不潔?相手がすごいイケメンだったら…
有名人だったら…どうなんでしょうねぇ。
更にお茶会での回し飲みは?結局「だからあの場合はさ…」ということになりますかね。
さてこちらの写真はなんでしょう。ネットからお借りしました。古物商さんの出品のものです。
これは「杯洗」というものです。まんま「杯(盃)を洗うもの」、
洗うと言っても中でがしゃがしゃと洗うものではありません。
自分が口を付けたあたりをしゃらっとすすぐものです。
いろいろなものがありますが、大きさはだいたい昔のかき氷のカップのような感じから少し大き目が多いです。
元々酒席で一人膳の会席のとき、膳の下に置かれていたもの、
今でも高級料亭などでは出るそうですが「これが出るところは超一流」なんて判断材料にされたりしているようです。
本来は「ま、一杯」という時、言った方も杯洗でちょっと洗って相手に杯を渡すとか、
頂いた方が「ありがとうございました」と、またちょっとすすいで返す…という風に使われました。
フィンガー・ボウルではありませんので間違っても指など洗いませんように。
こんな風に「まま、一杯…」「あ、いただきます」…なんてやり取りの中で、
目上の者が目下のものに杯をあげる、これをいただく…「お流れ頂戴いたします」なんて言ったりしたものです。
これでなんといいますか、お互いの中の親密さを増すとか、
つまり、その席の状況によっては「アナタを認めてあげますよ」になったりもあるわけです。
私は前述のように「お酒」がダメなので、そういう席も嫌だし、
それで今後のことをどうのこうのと考えるのも嫌なほうです。
今は、そういうことも昔に比べればないのかあるのか…接待については、
まったく実感がありませんので、なんとも言えませんが。
元々「お酒」というものは、お茶とかコーヒーと違って、
洋の東西を問わず、特別なものとしての位置づけです。
キリスト教では「パンと葡萄酒」は、神の肉であり血である…と言われるそうです。
日本のお酒は、そういうとらえ方ではありませんが「神事」の中でたいへん重要なものとされています。
もともとお米から作るものですしね。
また、更にいうなら、それを飲むための器を使うこと自体も深い意味を持ちます。
「杯事(さかずきごと)」という言葉がありますね。
多くは「結婚式」のことをさしますが、誰かと誰かを結び付けることです。
以前「結びの文化」のところで書きましたが、日本では「結ぶ」ということに、深い意味があります。
結婚の時、新郎新婦が三三九度の杯を交わしたあと、双方の親族もお杯でお酒をいただきます。
これが「親族かための杯」ですね。ヤクザさんの杯は「兄弟かための杯」だったり「親分子分の絆がため」だったり。
また逆に別れの場合は「水杯(みずさかずき)」、この別れは、
例えばこれから戦いに行く、もう戻れない、という「死」を覚悟した時のもの。
お酒は互いを強く結びつけるもの、別れはその反対で「水」を使うわけです。
杯を使ってお酒を飲む、ということに特別な意味があるとか、そういう感覚を持つ年代は私たちくらいまでかもしれません。
「ささ、一杯」なんて、やたらと自分の使った杯を押し付けられたら、「セクハラ」だ…と言うのは、
いいじゃないのそれくらい、とは思いませんが、「時代感覚がズレてるんだよね」とは思います。
どちらかというとセクハラよりパワハラっぽい感じですね。
献杯というと、元々は相手に敬意を表すために杯を出すことを言いますが、
今の時代ほとんど「葬儀・法事」関係でしか使われませんね。
葬儀の時の献杯と乾杯の違いは、高く手をあげない、グラスや杯などを合わせない、終わって拍手しない、の三つです。
献杯の挨拶で、やたらと長々話をする人がいます。
あれは「何ハラ」と言ったらいいんでしょうねぇ。ははは。
まぁ狛江市長さんも「えっ」と思っているかもしれませんが、
インタビューで「私は九州男児で、昔からこういう慣習が当たり前で」と言いました。
これまた九州の方々には迷惑なことです。
苦し紛れの言い訳だったのでしょうけれど、単純に「私の時代錯誤で…」と、
謝罪するほうがスマートではないかと思った次第です。
つまらないお話にお付き合いくださいまして…ま、一杯…いえお茶ですがな…淹れますよってに。 ふふふ。
返杯が嫌なら、思いっきり相手に恥をかかすような言葉で断るとか。。
尻を触られたら、思いっきりその場でぶん殴るとか。。
セクハラ・パワハラ感覚のない人には分からないことなので、きちんとそういう行為が恥であることを教えてあげないと。。ですね。
でも、一番の原因は
お尻を触られたり返杯を強要されても
『いいわ~構わないわ~』
と思えるような人物ではなかったという残念市長さんだったってことですね(笑)
挨拶が長い場合はグリハラ(グリーティング・ハラスメント)?ですかね??(笑)
パワハラ・セクハラは基準があまりなく受け手側の感覚に因るものが多いけれど、
グリハラは。。基準があると思います(笑)
思わず、誰か止めてあげて~って言いたくなることありますよね??(笑)
まぁいつの間にか、「○○ハラ」という言葉が増えましたね。
専業主婦でのんびり暮らしている身には、どれもあまり縁のない話で、
大変だねぇ…と、まるでヒトゴトで申し訳ないです。
感覚的にアンテナを張っていれば、ジェネレーション・ギャップは、
賛同はできなくても、感じ取ることはできると思いますがねぇ。
この市長さん「ニブチン」だったのだと思います。
挨拶が長い…これ、ほんとに迷惑ですよね。
しかもたいがいつまらない話がほとんどです。
息子の学校の入卒で、毎度そういう方がいましたわ。
だーれも聞いてない…。
よく3分スピーチというのですから、タイマーセットして、
始めるときにストップ・ウォッチ見せて「…はいどーぞ」とはじめてもらい、
チャイムが鳴ったら「はい終了」って、できませんかね。
時代なんでしょうねえ~
私の若いころはよくあったことで、そこをどうかいくぐるかが問われていたようにも思いますが、今は時代が違いますね。
そこを認識していない方はとんでもないことになるんでしょうねえ。
杯洗を使うのは私も実際には見たことがありません。ただ古い杯洗(古いものしかないですね!)には素敵なものがあって私もいくつか持っています。
今の方は杯洗といってもご存じないでしょうね~
それですよね、「うまくかいくぐる」…。
扱いというものに慣れて、世間というものをしってゆく、
そんな時代でした。
嫌なものは嫌、と言えるのは、ありがたいことだし、
正しいことでもあるのでしょうが、過ぎたるはなんとやら。
事と次第によって、また場合によっては「イヤを飲みこむときもある」と、
そういう柔軟性も、大事だと思います。
杯洗、高いんですよねぇ。私もほしいんですが、手がでません。
「ハイセン」…パソコンのならやってあげるよ、なんていわれそうですわ。