このところ、着物話題が少なくなってまして…年末ってたいがいこうなりますねぇ。
まぁじっさい、足がどうのこうの言っていても、結局はお尻たたかれてる感じは同じでして、
今日も年賀状書いてましたら、いつのまにか表が暗くなってました。
残すところもあと10日です。ぼちぼち…と思いつつ、気になることを少しずつ。
というわけで、来年年が明けたら解いて洗おうと思っている着物の中の一枚です。
すごーくジミ…(いや、とんぼならそれほどでも…なんて、今思ったでしょ、でしょ!)。
ごくあっさりの前柄。折りかえっているところは八掛です。
筏乗りの柄は、割と見かける柄ですが、だいたいは夏物の着物とか、帯とか、
男性のじゅばんとか、羽裏とか…あまり華やかにメインになる柄ではありません。
それでも見るからに涼しげで、動きがある柄のため、小紋より絵羽柄のほうが多いですね。
これは珍しくも袷の一つ紋、訪問着です。
ちょっと体格のよかった女性だったようで、私が着ると袖口は手の甲まで隠れそうになります。
身幅はおかげさまでたっぷりですねぇ。
私は、人間が書いてあるのはまず「カオ」重視なんですが、顔がないときは体の線や描写で、
やはりうまい絵が好きなんです。えぇ自分がヘタだからですー。
筏師の柄はいろいろ見ていますが、今回惚れたのは「このヒト」。
この体の角度がなんとも「熟練の筏師」を思わせて…。
えーとなんだったか漫才師のセリフにありましたね「惚れてまうやろー」ってあれです。
モアレみたいにでちゃったので、更にズーム。足の角度なんかいいでしょう。
けっこうさらさらっと描いてあるんですけどね。
筏師の仕事、つまり筏流しは、要するに材木運搬が主です。
日本では家でも城でも、その他さまざまな建造物に、「木材」を多用しました。
そのため、トラックも何もない時代、筏にして材木を山から平地まで運ぶことは、
一番確実で早い運搬方法だったわけです。
国が狭く、海と山がせっついていて、川はどれも短く、流れは急…なんてことは、学校で習いましたね。
でも、短くても川はそれぞれの特徴があって、あまり岩がごつごつしていない川もあれば、
支流がたくさんある川もあれば、途中に滝がある川なんてのもあるわけです。
それぞれの土地で、筏を流せる川では、それぞれの工夫がありました。
筏流しは、もうなくなっていますが、まだわずかに経験者が残っている…というところもあって、
保存の努力がされているところもあります。
今、実際の筏流しは観光用としていくつか残っているだけですが、
観光となると「ヒトがたくさん乗る乗り物」ということで、その作り方なども違うわけです。
実際の筏にする木材は、まず伐採されると、枝を払い、外の皮を剥いでから年単位で乾燥させます。
乾燥しないとうまく浮かないんですね。
筏にするにはある程度の寸法が規定されていましたから、筏にする木を並べ、
穴を開けてそこにフジヅルなど天然素材の縄をとおしてつなぎ合わせます。
この一個の筏を1枚と数え、流すときは川によってですが、一人で20枚とかをつなげて流したのだそうです。
木曾節に出てくる「中乗りさん」は、長くつないだ筏の先頭を「舵乗り」、真ん中を「中乗り」、最後尾を「舳乗り」
と呼んだそうで、その真ん中のひと。
流れの強い川で先頭の筏で舵を取るヒトは危険を伴うため、「弟乗り」と言って、
あとを継ぐための長男は乗らなかった、というような話は今回調べて初めて知りました。
筏には一枚目の筏に方向を決めるための「舵」をつけます。
これは長い丸太を先頭の筏から後ろに向かって伸ばした格好でつけて、
流れに乗って右、左とこれを動かし、先頭の筏のアタマの方向をつけたわけです。
筏の製造過程は、動画などもありますので見るとわかりますが、
何本かを縄でくりくりっとつなげた、なんていうカンタンなものじゃないんですね。
流れが速かったり、岩がごつごつしたところなどをゆったりした下流まで、傷をつけたりバラバラにしないように
うまく操るわけですから、筏師というのは、たいへんな仕事だったのですね。
今は観光用で、距離や場所も決められて、一時間くらいで下れるところくらいですが、
実際には、雨の具合で水の増減もあったり、時には堰のようなところもありますから、
何日もかけて泊まりながら、町まで流したそうです。
木材が建築材料としてしっかりと需要があった時代は、今で言うところの組合のような組織なども作られ、
長く隆盛を誇ったわけですが、海外から安い木材がはいってきたり、
運送運搬も、道路整備やトラックなどの「道具」の進歩も影響して、衰退しました。
でも、まだ現役だったヒトが高齢でも存在しているということは、つい何十年か前まで、
日本の川には「筏師」の姿があったということなんですよね。
さて、着物の柄の筏は、あっさりと細長い形のよさと、それを操る筏師の蓑笠姿がポピュラーです。
当然、デフォルメされています。図柄の筏師は「蓑と笠」がほとんど。
確かに筏師は水にぬれる職業ですが、夏などはかえってそのままのほうが涼しいんじゃないかと思ったり、
蓑や笠を使ったのは、雨や雪のとき、それと冬場の防寒を必要とするときだったんじゃないかと思ったり…。
いやいや、木曾節には「夏でも寒い」と歌われていますから、上流の水しぶきがかかるところなどは、
夏でも蓑笠だったかもですね。
この訪問着は、色目もジミですし、柄の量も少ないので、ある程度の年齢をいった方のもの。
写真で見たときは、こういう色なので、たぶん肩先、袖山、脇の縫い線あたりなどに
色あせやヤケがあって当然と思っていたのですが、それほどでもありませんでした。
かわりにシミと汚れ、ぐちゃぐちゃにしてあったらしく余計なしわしわも…。
元々帯にしたい、と思っていたので、あまりきにしていなかったのですが、
この程度なら、なんとかなるかしらん…なんて思っちゃううと、よけいな欲がでます。イカンイカン。
紋は「蔦紋」ですから、通紋ってことで着られますね。(だから着ようと思わないのよっ)
それに「中蔭」(ちゅういん・輪郭のみ太く描いてあるもの)ですから、略式ですし。(欲張りっ!)
どうするか、もう少し考えたいと思います。(あ~~~帯にするんでなかったのかい…)
明日は関東でも雪、ここら辺は雨だといってますが、みぞれくらいになるかもですね。
体格が良い方が着ていらっしゃったらしく 裄が大きいなどと聞くと
物欲が・・・
でも 丈は足りそうもありませんね
そうなんです、横に広い方だったようで、丈は私向き。
それとやはり汚れがねぇでしたよ。
いやそれにしてもこれは惠様や私にはジミすぎです。
着るとしても10年先ですねぇ。
帯にしたらと思っていたので、やっぱりそうなるかなぁです。