男物襦袢です。なかなかおもしろい柄です。
でもねぇなんか…フネ、変っ!船部分の線が太くて濃いのもバランスわるいんですが、
なんともこの遠近法も、消失点も、立体感も、全く無視した描き方…ある意味スゴい…。
最初にヤフオクの写真を見たときは、あまりにも船がオドロキでスルーしたんですが、
「踊ってるこの人とかさ、なんか南蛮人とかさ、気になるんだもん」と入札したわけです。
予想通りのランクちょっと下目の粗い染でしたが、いやおもしろいです。
ヒトが一番多い真ん中アップ。
まぁ一口に言ってしまえば、どこかのお殿様が、南蛮人と一緒に船上宴会…なのでしょうけれど、
なんとも船上の絵の細かさと、船の描き方の大雑把さのアンバランス?
だって帆柱真ん中にないし、その帆もとんでもないほう向いてるし…。
特に真ん中の帆、下の帆桁はどこ…凧じゃないんだから…。
船については、乗るのが好きではないので?詳しくはないのですが、
人物から見て時代は安土桃山くらい…となると、そのころの日本では、
大きな船といえば安宅(あたけ)船が有名ですが、いわば軍艦ですから帆の数もこまかくありませんし、
大和朝廷時代の遣唐使船にしても、後年の安宅船にしても、帆はあっても「人力」を使いますから
船べりの下にヒトが並んでわっせわっせとカッターレースのように漕ぐ構造です。コレにはそれがありません。
江戸時代初期までくらいかと思いますが、和船の帆は上下に帆桁がある構造で帆はいつも四角。
つまり三角帆やヨットのように帆の向きを変えるということが、容易にできませんでした。
江戸時代に入って海運が盛んになって、船も改造されていきましたが、荷物を運ぶのが主でしたから、
荷物がたくさん載るように、帆柱は少ない方がよかったのですね。
あらら、なんか船の話ばかりになってしまいました。
これは船の構造よりも遠近法よりも、それよりもなによりも! 船の中の宴会の楽しさ「最優先」…の絵なのですね。
やっぱりいました「お殿様」、前のカゴはお饅頭?おにぎり?で、盆栽もご乗船…。
コレは気がつかなかった「船尾で景色見てる南蛮人」…
真ん中で踊っている人、桃山風の動きです。囃し方、楽しそうですねぇ。
こちらは歌舞音曲興味なしでしょうか、どうやらすごろくをしているようです。
このころのすごろくは「バックギャモン」。
かわいそうなのはこの人たち、こんな狭いところに押し込まれて…何するヒト?
左下のヒトなんか、波かぶりそうで、心なしか泣き顔のような…。
こちらは踊りも見られず、前方を見張るお役目?
その右下はちょんまげで洋服です。くぎ抜きかと思うような「キセル」で一服中。
ヒマに明かして数えました。一回ですのでミスってるかもしれませんが、総勢53人。
そして、これだけ人がいるのに、なんと女性はこの人たった一人なんです。なんでぇ。眼もないしー。
更にフシギは「屋根の上」…なんでニワトリとスズメがおんねん…。
おかしなところばっかり探していてもなんですから…。
こちらは南蛮人と並んで座っているところですが、全部衣装の色柄をかえているところなんか細かいですね。
まぁ南蛮人に「絣」ってのもなんですが…。
「蛮」という字は「野蛮」とか「蛮行」などと使われるように、あまりいい意味を持ちません。
これは元々は中国大陸で「漢民族」が、漢より南方の異民族に対して使っていた「蔑称」でした。
ヒトではないもの、というような意味もあるかなりひどい言葉でもあります。
やがて時代が下がって中国では、支配者がたびたび変わり、自分たちの国に属さない異民族のことを
見下した言い方として使われるようになりました。
日本もこの思想的な意味合いを受け継ぎ、朝廷から離れた遠い島(琉球など)を「蛮国」扱いしていたそうです。
やがて南蛮貿易が始まったわけですが、それまで「外国人といえば中国か朝鮮」だったところに、
金髪やらなにやら来たわけですから、未知の者たちで、やはり「蛮」のイメージ…。
そりゃガタイはおおきいわ、毛深いわ、肉は食べるわ、ヘンな服きてるわ…恐ろしかったでしょうね。
ところが、彼らが持ち込んだものは、今まで日本には届かなかったすばらしいものが多かったわけです。
そこで、やがては「南蛮」というと「珍しい外国もの」という意味に使われるようになったわけです。
元々日本は長い間、外国といえばお隣の中国韓国でしたから、
「唐」という言葉を使うと、中国に限定せず「遠い異国」という意味にも使われました。
母などは、私が子供のころ時々「ケトウ」という言葉を使いました。聞いたことありませんか?
蔑称になるのでしょうが「毛唐」です。つまり外国人のこと。
これは「中国人ではないけれど、遠くからきた毛深い人たち」で「毛唐人」と呼ばれたから。
また赤毛がおおかったため「紅毛人」ともよばれたそうです。
なんとも名作なのか迷作なのか、よく分からない絵ではありますが、
細かく描かれた人たちは、ほんとに楽しそうです。
ほかの部分にシミや汚れもあるし、船部分だけ羽裏に使おうかと思案中です。
いやー今日はルーペ片手に、これ眺めて半日過ごしちゃいました。
4000円でしたが、安かったかもです。
この葉裏も、ほんとに一枚絵ですね。
訪問着も一枚の絵とは言われますけど。
これだけのもの、手描きだとしたら当時はどのくらいしたのやら、今誂える程では無いとしても、庶民の収入に対する割合で考えたら、あまり変わらないんではないかと思ったりします。
楽しめる事を、とんぼ様のおかげで
少しずつ分かりかけてきました。
それにしても、何でもお詳しいのには
驚きです。
これは凄いですよ! 武士も町人も、その上、毛唐人も、全く上下関係がありません。 階級も偏見も蔑視も無縁の世界です。 世界は一つ、平和を求めたいとの願望があったのでしょう。
エッチなものも含め、男の襦袢の柄は遊び心溢れるものが多いけれど、もともと誂えられた方はどんな方だったのだろうかと想像を膨らませます。
私には、洋行の経験があり、海外の事情も十分にご存じの方だったのかな、などと思えます。
これだけの柄を手に入れたら、細かく見て楽しまなくては!ですね。
人物一人一人は本当に小さいでしょうに、良く描かれていて、日本の手業のすごさを感じます。
たった一人の女性、どういう素性の人なんでしょう?
しかも目が無い?!
でも、ちゃんとお顔が白い!
しっかり楽しませていただきました~。
見ていたいw
それにしても帆柱はいったいどこから
生えてるんでしょうねww
いろいろな楽しい&興味深いものを
発掘してご紹介いただいて、いつも
楽しませていただいてます。
それにしてもとんぼさんの博識なこと!
これを手描きでといったら、今も昔も
かなりだと思います。
これは型染めですから、同じものが何枚か作られたはずです。
ちょっと細かいですから、それなりによくある柄よりは割高だったかもですね。
今、同じ柄を手描きで…だと、描くヒトがいるかどうかからして問題です。
さみしいことですねぇ。
細かすぎて、目が疲れましたが、
とても楽しい柄です。
ついついのめりこんで見てしまいます。
こちらこそ、ご無沙汰です。
おっしゃるとおりですねぇ。
なんか浮世のウサなど忘れましょ、みたいな、
実に明るくておもしろい柄です。
モノはたぶん戦前だと思いますが、
そういう時代なればこその思いもこめられていたかもですね。
どんなヒトが着たのか、古い着物を手にするといつもそれを思います。
ほんとに細かくて、加工するのにピクセル等倍にすると、目がいいかげんだったり柄もズレてたり、
それでもおもしろいです。
女のヒトが一人ってのが、ちょっと古いですけど
「ウォーリーを探せ」みたいで、楽しいです。
ちゃんとカオが白いというのが、気を使っていないようで、使ってるってコトですよね。
だれなんだろなぁ…。
ルーペ片手に、あちこち探索?しちゃいました。
こんなの、今はありませんので、ほんとつまらないです。
帆柱がなくて、とんでもないところに帆がついてて、
そのアタリはもう大笑いですが、ここまでハズしてくれると、
すごいわ、楽しい!ですね。
私の知識はごく「浅い」ところが問題なんですー。