写真は縫い取りお召しの着物、解いたものです。
色違いで2枚・・ではなくて、実は大失敗!色落ちです。
左のグレーっぽい柄のものが元々のもの、右が洗ったら色でちゃったもの。
最初にちょっと迷ったんです。元の地の色は濃いし、柄の糸色は薄いし、
恐る恐る水につけたとたんに、ものすごいチョコレート色の水がでたので
「こりゃアカン」と、急いで水をかえてすぐに絞ったのですが、
伸子張りして乾いたら、みごとにぜーんぶ「チョコレート」になっちゃいました。
あーあと思ったのですが、こうして並べてみると、逆にギラギラしていたのが
落ち着いたかな・・と思うのです。テーブルライナーなど、
少し輝きがあるほうがいいものは、元のほうがいいですが、
これは着分ありますので、何かおおきいものに使う予定でした。
それならちょっと落ち着いた右のほうがいいかな・・・と、
自分の失敗をなんとかいいほうに??考えようとしているとんぼです。
さて、この柄は良く見る柄「御所車」、です。
で、本日そこからむりやひっぱって「この時代の乗り物」について・・。
ムリは何事によらず、よくありません。
さぁ乗り物・・と思ったら、「乗り物」というのがあまりないのです。
奈良平安というと、この「御所車」、「牛車(ぎっしゃ)」とも言いますが、
これに「輿(こし)」というのを加えて、この二つくらいしかありません。
輿は特に身分の高い天皇や皇后といった方々、またはそのお血筋専用・・。
牛車は木製の車輪ですし、実際には「ゆれ」がひどかったので
やんごとなき方々は、人の担ぐものを使ったわけでしょうね。
ところでなぜ「牛車」で、「馬車」ではなかったのでしょう。
当時はすでに馬はたくさん使われてはいましたが、ほとんどが一人で乗馬する形、
思うに京都の街中は、道はある程度整備されておりましたが、
西部劇のように、はいよーっと馬を飛ばしたり、カッカッと馬車を走らせたり・・
という状況ではなかったのではないかと、そんなふうに思うのですが・・。
それと、全てにおいてみやびな貴族たちにとっては、
パカパカと足の早い「馬車」は、むかなかったのではないかと思います。
牛くんのゆったりのんびりのリズムが、ちょうどあっていたのではないかと。
シンデレラの馬車がもし「牛車」だったら・・いつになったらお城に着くやら・・
王子様に会う前に魔法は解けてますねぇきっと・・。
さて、この御所車、ある種のバスと同じ乗り方をします。
つまり「後ろ乗り・前降り」です。「券」は取りませんけど!
乗るときは、車をお屋敷の中に引き入れ、乗車専用の出入り口につけます。
そこの妻戸をあけると、直接乗り込めるようになっていました。
降りるときは、牛をはずして「轅(ながえ)」という棒、
あの大八車やリヤカーの、前に伸びた2本の棒にあたるところです、
あれを台に乗せて固定し、更に降りるのに必要な台を置いてそこから降りました。
衣装が大仰でしたから、乗り降りもタイヘンだったでしょうね。
牛車には、模様を書き込んだり窓をつけたりと、いろいろな種類があり
身分や家柄で、使い分けられておりました。この牛車に誰のものかをしめすため
描かれた文様が、「家紋」の始まりと言われております。
美しい花の紋などの場合は、それをズラリと並べて描いたものもあってようです。
ちなみに「安倍清明」の紋は「五芒星」つまり「☆」、ズラリと並べて描いたら、
エレクトリカルパレードのフロートのよーだ・・ったかどうかはわかりませーん。
さて、これで終わっちゃうのもさびしいので、同じ乗り物でも現代のものを。
実は整理の途中で、こーんな古い本が出てきたのです。
昭和43年と44年。
とんぼは中学の頃から、こういう「車」が大好きでした。
当時は今のように「F1」なんて騒がれていませんでした。
レースクィーンも騒がれなかったし、テレビでレースの放映もナシ。
それなのになぜ好きだったのか、自分でもよくわからないのですが、
乗れもしないのに車がすき、というより「形」が好きだったのだと思います。
左の表紙の「ヒゲ紳士」はグラハム・ヒル、当時のトップ・レーサーで、
「チーム・ロータス」のリーダーでした。今は息子さんがレースをやってますね。
右の本はアルファ・ロメオです。
本の中には、当時のF1マシーンと、スポーツ・カーがてんこ盛り!
こちらは私が今でも写真でもあったら飾りたいとおもっているくらい好きな
「トヨタ2000GT」、今はもう作られていません。
世界で一番美しい車・・だと、今でも思っている私、ヘン!?
すぐ下の右側は、同じトヨタのちびスポーツカー「トヨタ・スポーツ800」、
通称「ヨタはち(8)」これはかわいかったです。
お次は、当時若い人に人気のあった「いすずベレット」
下の左はホンダの800.
この頃は、サニー、フェアレディ、スカイラインなど、
若者が「かっこいい」とあこがれる車がどんどん出てきた時代です。
この本が出る、ほんの10年くらい前は「マイ・カー」なんて言葉もなく、
車を持っているのは、お大尽さま・・という感じでした。
やがて、ファミリー・カーといいますか、家族で乗る車・・というのが、
だんだんひろまってきまして、あっというまに「いろんな車」になって
いまや車の大洪水・・・ですねぇ。
このころは、ちょっと見ただけで「○○のナニナニ」と、すぐ言えましたが、
いまや「どれ見ても同じに見える・・」
スーパーの駐車場で、ウチの車どれだっけ・・なんて。
人力、馬力に頼っていた人間が、道具として「自動車」を発明したのは、
画期的なことだと思いますが、いまや「排気ガス」「渋滞」など、
さまざまな問題を引き起こしています。
ひとつには「進むスピード」がはやすぎるんじゃないか・・と、
そんなふうにも思います。牛車でのんびりやっているころは、
それでやってみていいところ悪いところ、いろいろ結果がでて、
改良されて、不要なものはなくなっていって、いいものは残って・・。
それが、今は「今使っているもののどこがいいのか、わるいのか」、
それもよくわからないうちに、メーカーが勝手に「今度ここがよくなりました」と
新しいものを出してくる・・・。まだ壊れてもいないものが捨てられる。
もっとゆっくり、できないもんですかねぇ。
といいつつ、我が家には、パソコンが2台、ホコリかぶってます。はぁ~
昔の車の話題なんて・・と思っておそるおそる写真のせたんですが、
ファンがいることがわかりまして、ははは、ズにのって追加しちまいます。
「黄色のランボルギーニ」はたぶんカウンタックLP400
こちらは「ランボルギーニ・ミウラ」
下は「マツダのコスモスポーツ」
縫い取りお召、手がかかったものですねえ。
こういうのって、今はまだあるのでしょうか・・・。読み進むと、目が釘付け。あああああ
ト、トヨタ2000GTにホンダS800だ…!
世界にその名をとどろかせた、日本が誇る名車中の名車でございます。私の机の上に座っておりますよ。とんぼさんが2000GTを美しいと仰ってくださって、うれしいです(泣)。マニア垂涎でありまして、トヨタ本社で一度みたきりです。ホンダ800もそうで、何度かみたので買おうとしましたが、金かかるよ~と脅され、泣く泣くあきらめました。この頃の車ってのは、それぞれにとても個性がありました。今はどれみても同じ、売れ筋しか作らない。同感です(プンプン)。キモノも似たような状況なのかもですね。いいなあ、この本(ヨダレ)。拝見させていただいて有難うございました
失敗は成功の元、縫い取りお召し
写真で見る限り私も右の方が落ち着いた
感じですきで~す。
これは訪問着なんでしょうか。
トヨタ2000GT、永遠に不滅です!
どこかに、どこかに!ポスターが
しまってあるはずなんです!
実物みてらっしゃるなんて、うらやましい!
ゴーカートのようなAT車も、渋滞のときはまいっか
になってきてしまっているんですが
ほんとーは、MT車礼賛の私です。
陽花 様
これ、小紋なんですよ。
御所車2台の柄が、手のひらくらいです。
合間に橋の架かった庭園柄はあるわ、
花いっぱいの山はあるわ、源氏車の流れはあるわ、
柄でびっしり・・。正直「うるさい着物」です。
やっぱり茶色になってよかった!?と思います。
もっとも、イタリア人のデザインの秀逸さというのは、今だに越えられないものがあるようで、ランボルギーニカウンタックなんかもそうですよね?
私は日本人の独自の秀逸な技術として、マツダのロータリーエンジンを駆ってました。
街中での信号待ちからのゼロ4加速競争では、日産フェアレディZと、よく競り合ってました。
東名で100㌔ほどで高速ツーリング中に、ちょっとアクセルを踏み込むと一気に170㌔位になってしまい、遠くの点の先行車が、すぐ間近に迫ってしまい恐いようでした。但し、燃費が悪いのと、そのエンジン性能についていけない車体のボディバランスが悪く、2台乗ったあと、諦めましたね。
それにしても、懐かしい話でした。
今は、中年おじさんがトヨタワンボックス車で安全走行です!
ロータリーエンジンの、あの「ヒュルル~ン」という音、いやーきらいじゃなかったっすよぉ。私、助手席専門でしたが「カペラ」でした。「Z」もかっこよかったですね。私は今、ジサマにもらった「ノア」くんに乗ってます。もう乗用車は、乗れません。最初がビスタだったんですが、なんたってチビだもんで前が見えなくて・・。車のカタチをかっこいいのなんのといってたころは免許なくて、それでよかったと思います。持ってたら多分、ぼーそーしてます。40過ぎてからの教習所はツラかった・・・。
乗った記憶が・・・
もう免許を取って42年にもなります
これまで何台乗ったことやら
16の頃からだし・・・その当時女性で車やバイクの運転をしていると皆んなが振りかえって見ていました、ほんと懐かしい思い出です
なお百福様、縫い取りお召しは今でも健在です
その最高峰の商品を12月27日付けのブログにアップしております、ちなみにこの商品の価格は松〇屋にて、400万弱とか
免許、昔は16で取れたのですよね。それに「軽4」ってのもありました。ついこの前、といってもだいぶなりますが、「普通」とれれば「原付」もモレなくついてきたのに・・。厳しくなりました。
お召:とほほ、そんなにするのですか。でも、今でもこんな手のこんだものをつくっていること自体、驚くべきことですネ。
結婚して数年たって「オートラマ」でフォード購入。でもコンピュータ部分が壊れて、危うく事故るところ。あのころはコンピュータ部品は、まだまだでしたね。
Fordに半導体を供給するビッグプロジェクトがすすんでいました。
直属上司をふくむ、机を並べた同じシマの住人数人があたっていました。
その壊れた部品が
社製品ではありませんでしたように・・・