写真は「喪」の雨ゲタ、親はこんなものまで持たせてくれました。
だけど…一度もはいていません。ゴムが劣化し始めてますー。
まず先に…
昨日の「卒・入」の着物、コメントを拝見すると、
ほんとにいろいろな状況があるものなのですね。
私が最近耳にしたのは、どちらかというと
「着物着たいのに、着たらオオゲサみたいに言われる」というほうでした。
友人のお子さんも小学校入学なんだけど、
周りのお母さんから「着物はやめたほうがいい」といわれたと…。
学校というところは「入学」だと、これからお付き合いしていくわけだから、
最初から「何?あの人」と思われないほうがいいし…と言ってました。
そういうこと考えると、簡単に着ちゃいなさいよ、とは言いにくいですね。
逆に、みんな訪問着らしい、となったら、それに合わせて、
たとえ洋服でも、それなりのしたくですよね。
我が家では、ずっと養護学校でしたから、障害の重い子のお母さんたちは、
ハレの日でも子供の世話ができるように、という場合もあるし、
割と自由で、着物着ていても「あっあの人きものだー」くらいでしたねぇ。
学校関係は、個人で祝うだけじゃないからたいへんですね。
さて、今日は…ここまできたら弔事の方も…。
いえべつに「おくりびと」が受賞したからってわけじゃないんですよ、ホント。
今更聞けないなんとやら、ではありませんが、
私の知っている範囲でお話してみましょう。
まず、喪服は日本では元々は白が長く着られてきました。
いや実はですねぇ、何か衣装の話し、というとどの本を読んでも
「こうだった」と書かれているのは「身分の高い人」の記述ばかりです。
たとえば、平安時代の女性の衣装は?はーい十二単…。
庶民は十二単着て田植えしてまへんがな…。
まぁ記録というものが数ないでしょうから仕方ないとも思うのですが、
麻しかないような暮らしの中で、真っ白な綸子の喪服なんて、ムリでしょ。
きっと庶民は長い間「喪服」なんて持っていなかったと思います。
ある本で「庶民がきちんと埋葬とか葬儀とかをするようになったのは、
江戸時代になってから」というようなことを読んだ記憶があります。
確かに、江戸時代に入るとやっと木綿が普及し始めますから。
それも、あとあと解いて着物の裏に使ったとか、そんなこともあります。
着物を縫うことは女の仕事として当たり前だった時代は、
それも面倒ではなかったわけですね。
ちなみに、江戸時代は人が亡くなると、親族以外の女性が三人以上で分業して、
その日のうちに「経帷子」を縫ったそうです。
その際には、糸のお尻の結び玉は作りませんでした。
さてさて、今の時代の「喪」に関する事。
まず、これもまたあちこち覗いてみると、言ってることが違うってのはあります。
参考にするなら「葬儀屋さん」のHPがいいです。
実はそれとても、また「住む場所が違うと」があるんですけどね。
最近の風潮で、いまだにやっぱりなじめないのは「通夜から黒服」。
知人が「今はお通夜に行ったら告別式に行かない人が多いから、
それでいいんだ」と言いました。でも、お通夜はお通夜、葬儀は葬儀、ですよね。
とりあえず、たいがいの本やHPでかいてあること、
「お通夜は喪服ではなくジミ目の服装で」、ほらねぇ。
でも、最近はどこでも真っ黒けですよ。
どこにも書いてあること「準備していました」というようで失礼だから。
「急を聞いてとりあえず伺いました」という心を表すため。ほらねぇ。
そうであるべきだと思うんですけどね。
本来、本喪服は「親族」と世話人が着るもの。
だから弔問客は「縞のお召しに黒羽織」で良かったわけです。
そして、着物だけでいうなら、告別式も親族が本喪服なのですから、
こちらは半喪服でいいのです。たとえばグレーとか茶色などの色無地とか。
もちろん、故人や家族との関係もありますが、一般的に言って、です。
じみな色目の色無地に帯や帯締めなどを黒にする、
もしくは喪服でも帯締め帯揚げ草履などを、
薄墨色にする、など。これが逆に親族の本喪服に対する礼儀…
だったんですけどねぇ…。
最近はほとんどが洋装ですから、和装のしきたりをそのまま洋装に
持ち込めばいいと思うのですが、どうも洋装は最初から黒で通す感じです。
まだ船橋にいたころ、同じマンションに住む方のご主人がなくなられ、
近くの斎場でお通夜がありました。
主人にまだ赤ちゃんだった息子を預けてのバタバタでしたので洋装にしました。
私はお通夜だからと思い、黒のブレザー(これ重宝です、黒羽織並みに)の下に
白いブラウス、黒の細いスカーフをゆるくネクタイのようにして、
下はグレーのスカート。
ところが行ってみると、誰も彼もが全身真っ黒け、
ジミなスーツなどは、故人のお勤め先の会社の方々だけで、
会社の帰りにこられたわけです。私一人浮いてました。
これはもう個人のポリシーですかねぇ。
小物についてのお話をしましょう。
まず、靴とバッグ、昔は「皮製は殺生を表すからいけない」といわれました。
私の仏事用のバッグも布製です。
こちら、私の仏事セット?バッグのマチは5cmくらいしかありません。
紺は今風の袱紗、数珠入れがハデなのでなんとかしなければと思いつつ、
そのまんまです。
最近は「皮でも爬虫類のバッグがいけない」とするところもあります。
なんの皮であれ「動物やんか」と思うのですが…。
でもねぇ、バッグはまぁなんとかするとしても、靴は今の時代ムリでしょ。
第一「殺生」なんてのは仏教からきたことですし、昔は雪駄や草履だったから、
皮製じゃなかったんですよ、いまや草履だって皮製…。
もっとも喪服用の草履は、表だけは布製ですけどね。
皮製のものがダメだといわれたら、男性のベルトなんかどーするの?です。
そのあたりは、ポイントとして「皮であってもツヤがないこと、飾りがないこと」
靴ならば「サンダルタイプでないこと」くらいでしょうね。
次に「真珠のネックレス」、これもよく言われるのですが、
「それをつけなければならない」のではなく「それならつけていい」です。
つまり、基本的に葬儀の時はアクセは結婚指輪だけ、と考えればいいのです。
オシャレしていくところではないのですから。
もしつけるとすれば…の仮定で「真珠なら」です。
それと一連のもののみ、二連三連のものは「重なる」といって嫌がられます。
気をつけるのは「時計」です。女性モノは意外と宝石がはいっていたり、
ベルトがキンキラキンだったりしますから。
葬儀の場合はとにかく「光らないこと、赤くないこと」です。
洋装の場合、お通夜は肌色ストッキング、告別式は黒ストッキングです。
よく聞くのが「仏事用のバッグは小さくてものが入らない」、
これねぇほんとにそうなんですが、
近くならもう最低必要限度のものしか持たない工夫ですねぇ。
もしバッグがほんとに小さくて別に持たなきゃならないときは、
着物だとこういうとき「風呂敷」という便利なものがあるのですが、
洋装の場合は、黒い生地で手提げ袋のようなものを作っておくといいですね。
私は遠くの葬儀は、息子がいるのでまず行かれませんから、
近いところ用に、黒い布製の小さい手提げをバーゲンで買いました。
ちょっと雨もよいのときの用心の傘とか、お手伝いがあるかも、のときの
エプロンとか、ストッキングの予備とかその程度が入るもの。
自分で作るなら、古い留袖や喪服をといたもので作ればいいですね。
黒でなくても、グレーや紺でもいいと思います。
最近は、会場の受付で荷物を預かってくれるところも増えてきました。
以前、割と盛大な告別式に参列したときのこと、
いよいよお見送りになって、みんなが外に出ると、
手に手に持っているのが「紙袋」、デパート、ケーキやさん、ブティック…。
たしかにきれいな模様とかシャレたロゴなんですが、なんともねぇ。
まぁ、そんな細かいことまで、といわれてしまうかもしれませんが、
葬儀は故人にとって、本当に最後のお別れです。
どこまでも厳粛に、と思うと紙袋もせめて地味なものを…?!
お化粧については「しないのも失礼」「しすぎも失礼」です。
昔は片化粧と言って、口紅だけはつけなかったものですが、
最近はバッチリつけてます。せめてハデにならないように。
こいアイシャドウとか真っ赤な口紅、光る口紅は控えます。
そういえば、10年くらい前でしたか、
知り合いで髪をけっこう明るい茶色に染めている人がいて、
いくら地味な着物を着てもアタマが浮いちゃう、と洋装にしました。
私は別にいいと思ったんですけどね、お姑さんが…って。
結婚すると、そういうことも…あぁ~たいへんだなぁ。
しきたりなんて古いから…という部分も確かにありますし、
変えたほうが今の暮らしには便利、ということもあるかもしれません。
でも、便利ばかりに走ると、何かを置き忘れそうな気がします。
バサマの実家のあるところは、今でも「初七日・二七日…」と、
四十九日まで、ちゃんとお経をあげています。
むこうは「お逮夜(おたいや)」と言って、法要の前夜にもお経をあげます。
最近は両方一緒らしいですが、それでもちゃんとやるんですよね。
忌明け(四十九日)は「満中陰(まんちゅういん)」といいます。
香典返しはこちらは「志」ですが、あちらは「粗供養」、
それも七日ごとにやると当然七日ごとにお返しをする…らしいんですね。
近所の人は、せいぜい「お線香代」程度だと思うんですが、
必ずお返しを持たせるらしいのです。
あまり近くない身内のお葬式のときはバサマが「満中陰にこられへんし」と
余分にどうも包むらしい…。そうすると、いわゆる「香典返し」として
「粗供養」がやまほど送られてくるのですが、これが全部日用品雑貨。
洗剤とかシャンプー、ラップ、ホイル、キッチンペーパー、…それの詰め合わせ。
どうも、近所の人のお返しも一回ずつそういうものをちょこっと
お返ししているのではないかと。よくわからないんですけれど。
おかげでたまにある「お葬式」のあとは「家庭用品分配日」があります。
私としては、ブランドものの厚くて絞れないようなタオルより、
ラップとホイルセットの方がうれしいですー。
郷に入っては郷に従え、と言いますが、慶事も仏事も、
大切なのは「思い」です。確かに周囲とのあつれきもたいへんかもしれませんが、
誰の何を祝うのか、悼むのか、をみんながそれぞれに考えたら、
おのずと方向性ってのはみえてくるものじゃないか、なんて、
淡~い期待を持つあたしって、甘い…。
だけど…一度もはいていません。ゴムが劣化し始めてますー。
まず先に…
昨日の「卒・入」の着物、コメントを拝見すると、
ほんとにいろいろな状況があるものなのですね。
私が最近耳にしたのは、どちらかというと
「着物着たいのに、着たらオオゲサみたいに言われる」というほうでした。
友人のお子さんも小学校入学なんだけど、
周りのお母さんから「着物はやめたほうがいい」といわれたと…。
学校というところは「入学」だと、これからお付き合いしていくわけだから、
最初から「何?あの人」と思われないほうがいいし…と言ってました。
そういうこと考えると、簡単に着ちゃいなさいよ、とは言いにくいですね。
逆に、みんな訪問着らしい、となったら、それに合わせて、
たとえ洋服でも、それなりのしたくですよね。
我が家では、ずっと養護学校でしたから、障害の重い子のお母さんたちは、
ハレの日でも子供の世話ができるように、という場合もあるし、
割と自由で、着物着ていても「あっあの人きものだー」くらいでしたねぇ。
学校関係は、個人で祝うだけじゃないからたいへんですね。
さて、今日は…ここまできたら弔事の方も…。
いえべつに「おくりびと」が受賞したからってわけじゃないんですよ、ホント。
今更聞けないなんとやら、ではありませんが、
私の知っている範囲でお話してみましょう。
まず、喪服は日本では元々は白が長く着られてきました。
いや実はですねぇ、何か衣装の話し、というとどの本を読んでも
「こうだった」と書かれているのは「身分の高い人」の記述ばかりです。
たとえば、平安時代の女性の衣装は?はーい十二単…。
庶民は十二単着て田植えしてまへんがな…。
まぁ記録というものが数ないでしょうから仕方ないとも思うのですが、
麻しかないような暮らしの中で、真っ白な綸子の喪服なんて、ムリでしょ。
きっと庶民は長い間「喪服」なんて持っていなかったと思います。
ある本で「庶民がきちんと埋葬とか葬儀とかをするようになったのは、
江戸時代になってから」というようなことを読んだ記憶があります。
確かに、江戸時代に入るとやっと木綿が普及し始めますから。
それも、あとあと解いて着物の裏に使ったとか、そんなこともあります。
着物を縫うことは女の仕事として当たり前だった時代は、
それも面倒ではなかったわけですね。
ちなみに、江戸時代は人が亡くなると、親族以外の女性が三人以上で分業して、
その日のうちに「経帷子」を縫ったそうです。
その際には、糸のお尻の結び玉は作りませんでした。
さてさて、今の時代の「喪」に関する事。
まず、これもまたあちこち覗いてみると、言ってることが違うってのはあります。
参考にするなら「葬儀屋さん」のHPがいいです。
実はそれとても、また「住む場所が違うと」があるんですけどね。
最近の風潮で、いまだにやっぱりなじめないのは「通夜から黒服」。
知人が「今はお通夜に行ったら告別式に行かない人が多いから、
それでいいんだ」と言いました。でも、お通夜はお通夜、葬儀は葬儀、ですよね。
とりあえず、たいがいの本やHPでかいてあること、
「お通夜は喪服ではなくジミ目の服装で」、ほらねぇ。
でも、最近はどこでも真っ黒けですよ。
どこにも書いてあること「準備していました」というようで失礼だから。
「急を聞いてとりあえず伺いました」という心を表すため。ほらねぇ。
そうであるべきだと思うんですけどね。
本来、本喪服は「親族」と世話人が着るもの。
だから弔問客は「縞のお召しに黒羽織」で良かったわけです。
そして、着物だけでいうなら、告別式も親族が本喪服なのですから、
こちらは半喪服でいいのです。たとえばグレーとか茶色などの色無地とか。
もちろん、故人や家族との関係もありますが、一般的に言って、です。
じみな色目の色無地に帯や帯締めなどを黒にする、
もしくは喪服でも帯締め帯揚げ草履などを、
薄墨色にする、など。これが逆に親族の本喪服に対する礼儀…
だったんですけどねぇ…。
最近はほとんどが洋装ですから、和装のしきたりをそのまま洋装に
持ち込めばいいと思うのですが、どうも洋装は最初から黒で通す感じです。
まだ船橋にいたころ、同じマンションに住む方のご主人がなくなられ、
近くの斎場でお通夜がありました。
主人にまだ赤ちゃんだった息子を預けてのバタバタでしたので洋装にしました。
私はお通夜だからと思い、黒のブレザー(これ重宝です、黒羽織並みに)の下に
白いブラウス、黒の細いスカーフをゆるくネクタイのようにして、
下はグレーのスカート。
ところが行ってみると、誰も彼もが全身真っ黒け、
ジミなスーツなどは、故人のお勤め先の会社の方々だけで、
会社の帰りにこられたわけです。私一人浮いてました。
これはもう個人のポリシーですかねぇ。
小物についてのお話をしましょう。
まず、靴とバッグ、昔は「皮製は殺生を表すからいけない」といわれました。
私の仏事用のバッグも布製です。
こちら、私の仏事セット?バッグのマチは5cmくらいしかありません。
紺は今風の袱紗、数珠入れがハデなのでなんとかしなければと思いつつ、
そのまんまです。
最近は「皮でも爬虫類のバッグがいけない」とするところもあります。
なんの皮であれ「動物やんか」と思うのですが…。
でもねぇ、バッグはまぁなんとかするとしても、靴は今の時代ムリでしょ。
第一「殺生」なんてのは仏教からきたことですし、昔は雪駄や草履だったから、
皮製じゃなかったんですよ、いまや草履だって皮製…。
もっとも喪服用の草履は、表だけは布製ですけどね。
皮製のものがダメだといわれたら、男性のベルトなんかどーするの?です。
そのあたりは、ポイントとして「皮であってもツヤがないこと、飾りがないこと」
靴ならば「サンダルタイプでないこと」くらいでしょうね。
次に「真珠のネックレス」、これもよく言われるのですが、
「それをつけなければならない」のではなく「それならつけていい」です。
つまり、基本的に葬儀の時はアクセは結婚指輪だけ、と考えればいいのです。
オシャレしていくところではないのですから。
もしつけるとすれば…の仮定で「真珠なら」です。
それと一連のもののみ、二連三連のものは「重なる」といって嫌がられます。
気をつけるのは「時計」です。女性モノは意外と宝石がはいっていたり、
ベルトがキンキラキンだったりしますから。
葬儀の場合はとにかく「光らないこと、赤くないこと」です。
洋装の場合、お通夜は肌色ストッキング、告別式は黒ストッキングです。
よく聞くのが「仏事用のバッグは小さくてものが入らない」、
これねぇほんとにそうなんですが、
近くならもう最低必要限度のものしか持たない工夫ですねぇ。
もしバッグがほんとに小さくて別に持たなきゃならないときは、
着物だとこういうとき「風呂敷」という便利なものがあるのですが、
洋装の場合は、黒い生地で手提げ袋のようなものを作っておくといいですね。
私は遠くの葬儀は、息子がいるのでまず行かれませんから、
近いところ用に、黒い布製の小さい手提げをバーゲンで買いました。
ちょっと雨もよいのときの用心の傘とか、お手伝いがあるかも、のときの
エプロンとか、ストッキングの予備とかその程度が入るもの。
自分で作るなら、古い留袖や喪服をといたもので作ればいいですね。
黒でなくても、グレーや紺でもいいと思います。
最近は、会場の受付で荷物を預かってくれるところも増えてきました。
以前、割と盛大な告別式に参列したときのこと、
いよいよお見送りになって、みんなが外に出ると、
手に手に持っているのが「紙袋」、デパート、ケーキやさん、ブティック…。
たしかにきれいな模様とかシャレたロゴなんですが、なんともねぇ。
まぁ、そんな細かいことまで、といわれてしまうかもしれませんが、
葬儀は故人にとって、本当に最後のお別れです。
どこまでも厳粛に、と思うと紙袋もせめて地味なものを…?!
お化粧については「しないのも失礼」「しすぎも失礼」です。
昔は片化粧と言って、口紅だけはつけなかったものですが、
最近はバッチリつけてます。せめてハデにならないように。
こいアイシャドウとか真っ赤な口紅、光る口紅は控えます。
そういえば、10年くらい前でしたか、
知り合いで髪をけっこう明るい茶色に染めている人がいて、
いくら地味な着物を着てもアタマが浮いちゃう、と洋装にしました。
私は別にいいと思ったんですけどね、お姑さんが…って。
結婚すると、そういうことも…あぁ~たいへんだなぁ。
しきたりなんて古いから…という部分も確かにありますし、
変えたほうが今の暮らしには便利、ということもあるかもしれません。
でも、便利ばかりに走ると、何かを置き忘れそうな気がします。
バサマの実家のあるところは、今でも「初七日・二七日…」と、
四十九日まで、ちゃんとお経をあげています。
むこうは「お逮夜(おたいや)」と言って、法要の前夜にもお経をあげます。
最近は両方一緒らしいですが、それでもちゃんとやるんですよね。
忌明け(四十九日)は「満中陰(まんちゅういん)」といいます。
香典返しはこちらは「志」ですが、あちらは「粗供養」、
それも七日ごとにやると当然七日ごとにお返しをする…らしいんですね。
近所の人は、せいぜい「お線香代」程度だと思うんですが、
必ずお返しを持たせるらしいのです。
あまり近くない身内のお葬式のときはバサマが「満中陰にこられへんし」と
余分にどうも包むらしい…。そうすると、いわゆる「香典返し」として
「粗供養」がやまほど送られてくるのですが、これが全部日用品雑貨。
洗剤とかシャンプー、ラップ、ホイル、キッチンペーパー、…それの詰め合わせ。
どうも、近所の人のお返しも一回ずつそういうものをちょこっと
お返ししているのではないかと。よくわからないんですけれど。
おかげでたまにある「お葬式」のあとは「家庭用品分配日」があります。
私としては、ブランドものの厚くて絞れないようなタオルより、
ラップとホイルセットの方がうれしいですー。
郷に入っては郷に従え、と言いますが、慶事も仏事も、
大切なのは「思い」です。確かに周囲とのあつれきもたいへんかもしれませんが、
誰の何を祝うのか、悼むのか、をみんながそれぞれに考えたら、
おのずと方向性ってのはみえてくるものじゃないか、なんて、
淡~い期待を持つあたしって、甘い…。
50年前のお隣のお婆ちゃんのお葬式の時は
濃い身内の方は白装束で素足にわらじでした。
まだ土葬が行われていた頃です。
田舎は四間どりの家が多いので、ほとんどの
場合は自宅で行われますが、最近は葬儀場が
出来てだんだん簡素化になりつつあります。
この辺も初七日と満中忌にはお供えをして
そのおさがりといって、果物やお菓子、
ジュースなどお供え物を分けていただきます。
昔からのしきたりでされておられる所も
残っているでしょうし、最近よく言われる
家族葬なども簡素化の表れですから・・・
どちらがとも言えないし、やっぱり
郷に従えでしようか。。。
それにしても喪の下駄まで持ってこられたの
ですか。わたし初めて見ました。
(伝統芸能とかそういった職業ではなく)
中学時代の同級生が急にみまかられて
お通夜に浅葱色で喪の帯の支度で行ったところ
既婚者の男性の弔いに
若い身内でもない女性が喪の和服で来たと
非難されたそうです。弔意を着物で表した事を、そんな風に
とらえられた事が悲しかったとありました。
かんがえさせらました。
見せていただいて 感謝です。
私の地方 以前土葬の時は お墓までの履物の
藁ぞうり作っていました。
埋葬の後墓で燃して帰りますので 帰りは素足でした。
改めて 思い出しています。
革製品がいけないことなども初めて知りました。
私は布製を使っていますが娘には皮を買っちゃったよ~。
真珠のネックレスを買うまえに鞄を買おう。
私は姑の葬儀のとき、体調が悪かったので洋服を着ました。義妹も私に合わせて洋服にしてくれましたが、やはり喪主が着物ではないと片身が狭かったです。
通夜についてですが、特に首都圏では通夜と葬儀が逆転していると思います。
一昨年身内を送りましたが、まさに通夜が会葬者の多い葬儀のようで、葬儀は身内中心の昔の通夜のようでした。
西から駆けつけてくれた親戚たちはびっくりしていましたが。
現代の一般的な9時5時の勤務形態、首都圏の通勤時間(東京中心にそれぞれ1時間半なら南と北、西と東では、片道3時間になってしまいます)を考えれば、昼間、休みをとってお見送りしたいと思っても、近しい親族か、取引先といった公的な関係者でもなければかないません。
通夜も現在では葬儀場で行われることが多いですから、昔の自宅で身内が見守るという形態とは変わっています。
知人・友人をお見送りしたい、弔意を示したいという気持ちが、ブラックフォーマルを着るという行為になっているのでしょう。
私自身、最近はお通夜にしか伺えないことが多く、ブラックフォーマルを着てしまいます。
ただ、通夜に親族でもないのに和装の喪服を着るかとなると、そうはならないですね。
現在のブラックフォーマルが本当に洋装の正式喪服と言えるのかどうか、そのあたりも関係しているのではないでしょうか。
和装にしても洋装にしても、婚儀、葬儀の服装は明治時代もしくは戦後、伝統が途切れて新しくできた様式のような気がします。
時代時代で少しずつ変わっていくのは仕方がないとも思います。
でも、当事者、親族からすると、祝意・弔意が感じられれば、忙しいのに出席してくださったということだけで感謝、感謝ですよね。
実母だけは父の意向で自宅で通夜、葬儀を
いたしました。
ご近所のかたのお手伝いと孫たちが
車の誘導や、駅での案内、タクシーの配車などを
手伝い、兄弟、孫が父の希望を聞きながら、
母を送ったものでした。
今でも皆んなの心に父の母への思いが残っていて
よかったと思っています。
父のときは規模が違いますので、すべて葬儀社に
頼み、夜通しのお線香は絶やさないようにと
孫たちが交代でできたぐらいでした。
そのときの服装は私、嫁たちは葬儀のときは
和服でしたが、家にあるものを持っていくことも
出来ず、用意されたもので、嫁入りのときに
持たされた主人の家の紋ではありませんでしたのが
今でも不思議に心に残っています。
主人のときは勤めていた会社の協力が大きく、
こちらの希望を伝えるだけで、後はお任せ状態
でした。真夏でしたので、また、喪服は用意されて
いました。すべて会社の方が手伝ってくださいました。
そんなわけで喪の着物はもう手を通すことはなくなり、
和ダンスの底に一式ねむっています。
今は通夜、葬儀とも洋装でうかがっていますし、
着物姿は喪主以外はあまり見かけなくなりました。
時代の流れなのでしょうか?
これからも核家族になり、兄弟も少なくなると
伝承する機会もなく、それぞれの思いの服装で
参列し、場の雰囲気を考えれば<黒>が多くなるのも
うなずけますね。
古くからその土地に住みつづけているからこその
<しきたり>であり、伝承であるのかも
しれません、が、今回受賞した<おくりびと>を
観ながら考えさせられることが多くありました。
時代の流れの速さのなかで、流されないで!!と
叫びたくなることが多すぎるこの頃です。
私の実父の解きは家でやりました。
狭くてもよかったと思います。
そりゃべつのところでやったほうが
便利ですけどね。
便利なようにかわっていくことで、
潤いがなくなる部分もあったりる…。
フクザツです。
このゲタ、どうも京都から送ってもらった
みたいです。私も当たり前にもらいましたが、
そういえば、見たことないですね。
むずかしいところですよね。
だからおっくうになって、右へ倣えに
なったりしちゃう。
いいことだけ伝わるわけじゃないですしね。
まだ一時代すぎたというわけでもないのに、
どんどん変わっていきますね。
忙しすぎる、そんな気がします。
今日祖母のお葬式のことを書きました。
私はおぼえていませんけれど、
懐かしさがあるんです。
私は義母の葬儀のとき、まだ息子が小さくて
洋装でお許し下さいと親戚に言ったんですが、
わざわざ着物なんか着るつもりだったの?
みたいな感じで、拍子抜けしました。
所変われば人変われば…ですわ。
最近は、つやのないものなら皮でも
だいじょうぶのようですよ。
口金をひっくり返すと金色のとめ具が
隠れる、なんてのもあるようです。
やっかいですね、いろいろ。