ひかりとしずく(虹の伝言)

勉強会や講演会、上映会のレポートなど主に載せています。

本当の民主主義へ、とこれからの暮しについて ①

2012-11-03 | 季刊誌なな色メールより
8月に入ってすぐ福島っ子たちの秋田での保養キャンプの海遊びに臨時ボランティアで長男(小5)とともに参加しました。長男は以前も海辺の自然学校のプログラムを体験していたこともあり、シーカヤックを漕いだりウェットスーツの着脱方法の紹介時モデルになったりでお手伝いをして参加していました。その他は一緒にというか、我先に夢中で遊んでいたのですが・・・。
お話した福島のお母さんたちは明るく振舞っていましたが、日常では放射線量の高い二階ではベッドを置いた寝室がせっかくあっても使わず一階で寝起きしているとか、洗濯物も家の中干し、小学校低学年の子どもさんのお母さんは、リビングの真ん中が家の中で一番線量が低いところなのでそこにお子さんをいるように生活していると話していました。子どもたちも、外遊びができないので、象潟の海を見たとたん、服を着たまま飛び込んだと聞きました。やはり、そのような生活ではストレスが多いと思います。
 
8月6日は暦のワークショップに参加しました。私たちが出会ったシュタイナーの楽光のことをブログに載せていたことから、昨年から若いママさんたちから問い合わせをネット上で受けていました。そのうちのひとりの方からのお誘いでしたが、講師は何と「Actio」にも記事をお書きになっている冨田貴史さん。主催の「ママは原発いりません秋田」の中心メンバーの一人、Mさんは福島からの避難者です。彼女は被災当初は九州に行かれ、その際に前述の会を立ち上げるなど活動をそちらでもしていたとのこと。その時に冨田さんとも縁を持たれたとのこと。彼は911の後のイラクでの戦争勃発で反戦運動を呼びかけピースウォークを名古屋で行い、それから2003年には『六ヶ所村ラプソディー』を全国120箇所で上映の企画をしました。その後も脱原発活動(原発寿命引き伸ばしに対するハイロアクション)を予定していた前夜311が起き、原発事故が生じ、大変悔しかったと話されていました。でも、そのネットワークができていたお蔭で震災後、声明文を逸早く出す事ができたと言っていました。これからは既存のPTAや子ども会、自治体など今まであった集り以外の場を市民自らで作っていくことが大事で、地域での自立、自給というものを提案しているとのこと。
午後のシェアタイムの初めにも冨田さんが自分の今の活動について話してくれました。お金で物を手に入れる仕組みから自立(自給)の生活への変換を提案。(大豆味噌や、草木染のワークショップも開いている。)福島の親子の保養プロジェクトを行っている。今後もライフワークとして一生行っていくつもりである。食養についてもこれからの日本には大事だと思っている。医療費にお金がかかっている。情報の自給、自分たちで放射能レベルを測って教え合い情報を自分たちで流す。放射能の影響で障害児が今後増えてくる事はあるだろう。偏見なく、受け入れていける社会を作っておく必要がある。
 
それから、参加者同士で分かれて話し合いを持ちました。意見は最後発表してシェアし合いました。自給・自立:ハーブ、米、大豆各々作った物を交換するシステムを取り入れる。(衣・食・住)別の形でも行う。電気:自家発電や、暗さを愉しむライフスタイルに変えていく。 薪ストーブで料理をする。ガソリン車 → 菜種油の廃油で車を走らせる。
市民の声を政治へ:若者の政治離れ(デモ、集会、反対運動―――負の気持ち(怒りなど)で行っても、人は敬遠する。デモは明るく楽しく行い、反感をかわない物とするべきだ。
“食”:放射能汚染 → 内部被爆の不安がある。(家族間の意見の相違から夫婦ケンカも)→ 話し合う。 牛乳、肉を食べなくても、良質の蛋白源がある。“大豆”“大豆製品”の植物性のものを摂る。外食、弁当などは子どもには出来るだけ避けさせたいので外食しなくなった。 本で勉強して、周りに教えて、味方を増やすよう働きかけをする。オーガニックおやつを紹介するなど。
米のとぎ汁乳酸菌 → 掃除や自家製ヨーグルト、酵素ジュースを作っている。
○ 本紹介『微生物が放射能を消した!!』『発酵マニアの天然工房』
『食品の放射線マニュアル』『放射能汚染のない食品を見わける本』

鎌仲ひとみ監督の本『原発の、その先へ…ミツバチ革命始まる』を読みました。彼女の活動の始まりは医療問題からでした。映画作りの勉強のための渡米で市民メディア運動に出会っていたのも大きいようです。日本での子どものアレルギーや家庭の崩壊といった問題に着目している頃、阪神淡路大震災のボランティアで伊藤政子さんと知り合い、彼女からイラクの子どもたちの白血病が増えていること、経済制裁のため薬が無いことを聞き、1998年イラクへと入りそこで『ヒバクシャ』を撮るきっかけとなるラシャと出会います。最初は放射能の影響だとは全く考えずにいたとのこと。
アメリカに肥田医師と共に行った時、ハンフォードの人々はあきらめていた。人に語ったところでどうなるのかと。肥田先生から「被害者である人たちみずからが、自分たちの被害を否定することによって加害者になるという構造。それは過去からずっと続いてきた事です。このことを政府もメディアも利用する。この構造を乗り越えていためには、周りの人々が被害者が語ることができる環境を準備しなければならないのは当然のことですが、一方、被害者である人たちも一歩踏み出すことが大切なのではないでしょうか。自分に何が起きたのかということを語らなきゃいけない。語ることで、他の誰かをこんな目に遭わせなくてすむようになるかも知れない。」と言われ、その心境は変化しました。今の日本でも福島の方々も含め、日本中、影響されています。東電だけのせいにしたい訳ではありませんが、黙っていてはいけない。政府、国のあり方を本当の民主主義というものに変えていかねば。

今の日本での状況(デモやさまざまなアクションが市民レベルで発生している)を民主主義のエクササイズと鎌仲監督は言っています。
“責任の欠如”と指摘しています。今、鎌仲ひとみ監督の作品や『第四の革命』『シェーナウの想い』などを観て、自分たちも動こうという人が増えています。今までの日本は“経済優先”“発展のため”と謳い一次産業を軽視し、人々はそこからはなれざるを得なくなり、皆一介の労働者となっていき、それを “根こぎ”と彼女は言う。
「自民党政権が農漁業を軽視し、そこから労働を得るために、農漁業では食べられなくして、人々の生活の根を引き抜いて、一介の労働者にしてしまった。「根こぎ」をやった。(中略)原発を受け入れ、漁業権を売り渡してしまうと、人々の心にあった精神性が変容してしまいます。それは、そのままそこに住みながら、根が無くなっていくようなありさまです。近代的な教育システムそのものが、根こぎの作用を持っているのです。
福島の人々が避難しない理由はさまざまですが、最大の理由は現在の放射線量は問題ないとする政府の見解だと思います。国が出した指針に従っている。経済的に補償もないので移住しようがない。何よりもほんとうの意味でリスクが理解されていない。理解している人々は最大限被ばくを避ける努力をしたり、避難を補償しろという運動をしていますが大多数の人は行動を起こさない。それをするための心が折られている。立ち上がる力が奪われている。」本中の文抜粋。
秋田県内に避難している人たちも多くいるようです。福島県内に暮らすという道を選んだ人のことも責めるべきではありません。が、今までの暮らしを捨てて移住するという道を選んだ人をその人たちが責めるのも良くないと思います。
福島県から秋田に避難している方々のお話を聞く機会がありました。・・・安全説を唱えて暮らしている人、その人たちは避難した人に怒っている。子どもを連れて避難した妻に暴言を言う夫がいる。避難したのに「安全だから戻れ」と言われるし、それを拒否し続けるのは、心理的にも経済的にもとても苦しい状況となっているとのこと。私は秋田に住んでいても安心ではないと思います。東北六県の結束を強めようと放射能汚染レベルの高い地域からの食糧が流通してきます。確かに生産者を応援したいけれど、子どもたちを守りたい。瓦礫の受け入れも始まり、産業廃棄物にいたっては、知らない間に近隣で処理されています。放射能汚染物質は隔離するのが国際的な対処法です。自分や子どもを守れない場所でどうやって前向きに暮らせるか・・・。考えます。

秋田県内へ避難されているM・Nさんの避難者支援のプロジェクトがあります。協力できる方を募っています。
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