色平哲郎先生の、Facebookから文章をいただきました。
『ヒロシマというとき』
〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
壕(ごう)のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈(はず)の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼(や)かれるパリアだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない
(『ヒロシマというとき』1976年3月)
色平先生の文章、シェアさせていただきます。
本当に。
知れば知るほど、これは正論なのかと愕然とし、私が『ヒロシマ』を、あの地獄を追体験でしか無いけど、伝えていくことの大切さにも躊躇される。
他の地での悲惨な事をしっかり見て、皆で武器を捨てる道を作りたいです。
#ヒロシマという時
#日本とアジア