市川五郎兵衛記念館前庭からの風景
長野県佐久の地域において、市川五郎兵衛とその功績を知らないものいないでしょう。寛永3年(1626)新田開発許可を出した小諸藩とても藩の事業として二の足を踏んだ事業に巨額の私財を投じ用水を開削することにより、原野を水田にし、結果として食い扶持がなかった民の生活を向上させました。
山や崖の掘削、トンネル貫通(ほりぬき)、谷に木橋、窪地の土盛り(土樋)などの工事を約5年間に渡り約20kmもの水路を完成させた。この水路のおかげで水田耕作が可能となり、村ができることになりました。その苦難、技術面からの手腕や功績の研究されており、それらのことが記された記録も沢山あります。
しかし、この大事業を成功させた市川五郎兵衛という人物を語る記録はあまりありません。墓地がこの新田を見下ろす丘に所在することや、近年の「記念館」の開設などを考えると地域住民の感謝や畏怖の念を抱いていたことはうかがい知れます。特に彼の意志、人を動かす力、利他性は特筆すべき部分だと感じました。その思考や行動力の源は何なのだろう。どんな人だったのだろうということに興味が湧くところです。
事業の企画や製品開発との共通性はないか?そこで、背景をこんな図式で考えてみました。
「何のためにするのか?」まず、目的を考えてみます。
そして、考えていることが整理できており人々に分かってもらえた。共感してもらえた。
だからこそ人々の協力を得て動けた。
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