六角牛山は遠野の最も尊い三つの山、「遠野三山」一角です。
「ろっこうしさん」と読みます。遠野物語に載るこの話が有名です。
→母女神と三人の娘の話
また、「遠野物語」では、六角牛山には猿の経立(「ふったち」年を経て変化したもの)が出たり、サムトの婆(何十年と行方不明になってあるときふと戻ってきたおばあさんの話)が「六角牛山にいた」なんていう話が伝わります。
この山に登ってみたいというのは以前からの宿願でした。
六角牛山神社から登ります。
盛岡から行くと、遠野の奥座敷って感じで時間がけっこうかかります。道中、ずっと小雨。
ようやく登山口につきました。7時過ぎ。雨はやみました。
概略はこんな感じのようです。
(写真が縦になりません…。申し訳ない)
で、六角牛山神社です。たぶん、ご神体は山本体です。
なぜ、この山がそこまで神聖化されるのかはよくわかりません。登れば、わかるのでしょうか。
神社から未舗装の林道を登っていきます。
追分の碑(道の案内板みたいなもの)です。古そう。
文字が読み取れます。
「鳥居跡」と言っても、痕跡は全くありません。
ようやく、登山口です。
車を止める場所もあり、ここから登ればよさそうです。
登山記録。一応書いていきます。
山頂まで、2200m。近い。雨はやみました。予報は一日曇り。山の天気はどうなるかわかりませんが、降りそうな気配はありません。
現時点で天気は良くないけど、行けそう!?…(そう思ったのがまちがい)
のぼりはじめましょう。
多少、道は濡れていますが、なだらかでとても歩きやすいです。
まるで里山のようです。これなら山頂まで楽勝。(こう思ったのが間違いの始まり)
??歩いて2~3分でなんか建物があります。
雨量計の建物らしいです。
まだ、なだらかな山道が続きます。これが、天気が良かったらなあ…。
10分ほど歩くと、二合目。この奇怪な石が目印。
なんでも六角牛山(ろっこうしさん)は「六皇子」(ろくこうし)のことで六人の貴人が隠れ住み、その御陵があるといわれています。(ホンマかいな)
この大石はその御陵の一つなのでしょうか。いや、そんなわけはないでしょうなあ…。
そして、4合目くらいまでは、この里山のような感じ。
とっても楽。これなら山頂まで楽なもんだ、と思っていた(これが間違い)
さっきまで雨が降っていたから、山はかなりガスっている…。
だんだん、この辺から、山道らしくなってきます。
だんだん、坂がきつく、道もきつくなってきます。
6合目から8合目は実に地獄の坂。登りもかなりきついですけど、帰りの方がさらにきついです。
岩が多くなってきます。
草が濡れていて、体中がびしょびしょになってきます。
ようやく8合目。石碑には何が書いてあるか見えません。
たぶん、山小屋ですが、もう使われていないようです。
8合目からはまた、割となだらか。頭上の枝もなくなりつつあります。
ただ、足元がどんどん濡れてきます。足元対策をもっとすべきだった。
ガスが本当にひどくなってきました。
山頂まで、あとわずか。奇跡的に雨は降っていません。
ようやく、山頂っぽいところに出ました。
「石像」?
わずか40mほど下ればいいそうなので、見てみましょう。
これは不思議なところ。山腹にいきなりの岩場。これが例の「御陵」でしょうか…。
祀ってあるのはただの地蔵菩薩のように見えます。
ほか、山頂付近。どうやら、いくつも登り口があって、ここで合流するらしい。
建物の前の手水鉢。
この建物は何なのでしょう?
また、山小屋?
……神社…?なのかな?
このタンクも何なのだろう…?
さっきの標識のあるエリアからもう少し高いところがあるようです。そこが山頂でしょう。
こっちが本当の山頂のようですね。
いやあ、2200mは長かった。
山頂からの景色は、この日、真っ白です。
帰りに、林道を通って、他の登山口も見てみました。
そのとき、山中で、シカ発見!!
で、林道の出口、暮坪方面です。
林道はけっこう長かった。普通にもと来た道を帰ったらとても早かっただろうに…。
で、帰りに、農家で
獅子踊りやってましたよ。
たぶん、家々を訪問する形なんでしょう。いいなあ、昔の風情を残していて…。
その他情報
→遠野文化研究センター
→闇・遠野物語「六角牛山の語源と長慶天皇の謎」
「ろっこうしさん」と読みます。遠野物語に載るこの話が有名です。
→母女神と三人の娘の話
また、「遠野物語」では、六角牛山には猿の経立(「ふったち」年を経て変化したもの)が出たり、サムトの婆(何十年と行方不明になってあるときふと戻ってきたおばあさんの話)が「六角牛山にいた」なんていう話が伝わります。
この山に登ってみたいというのは以前からの宿願でした。
六角牛山神社から登ります。
盛岡から行くと、遠野の奥座敷って感じで時間がけっこうかかります。道中、ずっと小雨。
ようやく登山口につきました。7時過ぎ。雨はやみました。
概略はこんな感じのようです。
(写真が縦になりません…。申し訳ない)
で、六角牛山神社です。たぶん、ご神体は山本体です。
なぜ、この山がそこまで神聖化されるのかはよくわかりません。登れば、わかるのでしょうか。
神社から未舗装の林道を登っていきます。
追分の碑(道の案内板みたいなもの)です。古そう。
文字が読み取れます。
「鳥居跡」と言っても、痕跡は全くありません。
ようやく、登山口です。
車を止める場所もあり、ここから登ればよさそうです。
登山記録。一応書いていきます。
山頂まで、2200m。近い。雨はやみました。予報は一日曇り。山の天気はどうなるかわかりませんが、降りそうな気配はありません。
現時点で天気は良くないけど、行けそう!?…(そう思ったのがまちがい)
のぼりはじめましょう。
多少、道は濡れていますが、なだらかでとても歩きやすいです。
まるで里山のようです。これなら山頂まで楽勝。(こう思ったのが間違いの始まり)
??歩いて2~3分でなんか建物があります。
雨量計の建物らしいです。
まだ、なだらかな山道が続きます。これが、天気が良かったらなあ…。
10分ほど歩くと、二合目。この奇怪な石が目印。
なんでも六角牛山(ろっこうしさん)は「六皇子」(ろくこうし)のことで六人の貴人が隠れ住み、その御陵があるといわれています。(ホンマかいな)
この大石はその御陵の一つなのでしょうか。いや、そんなわけはないでしょうなあ…。
そして、4合目くらいまでは、この里山のような感じ。
とっても楽。これなら山頂まで楽なもんだ、と思っていた(これが間違い)
さっきまで雨が降っていたから、山はかなりガスっている…。
だんだん、この辺から、山道らしくなってきます。
だんだん、坂がきつく、道もきつくなってきます。
6合目から8合目は実に地獄の坂。登りもかなりきついですけど、帰りの方がさらにきついです。
岩が多くなってきます。
草が濡れていて、体中がびしょびしょになってきます。
ようやく8合目。石碑には何が書いてあるか見えません。
たぶん、山小屋ですが、もう使われていないようです。
8合目からはまた、割となだらか。頭上の枝もなくなりつつあります。
ただ、足元がどんどん濡れてきます。足元対策をもっとすべきだった。
ガスが本当にひどくなってきました。
山頂まで、あとわずか。奇跡的に雨は降っていません。
ようやく、山頂っぽいところに出ました。
「石像」?
わずか40mほど下ればいいそうなので、見てみましょう。
これは不思議なところ。山腹にいきなりの岩場。これが例の「御陵」でしょうか…。
祀ってあるのはただの地蔵菩薩のように見えます。
ほか、山頂付近。どうやら、いくつも登り口があって、ここで合流するらしい。
建物の前の手水鉢。
この建物は何なのでしょう?
また、山小屋?
……神社…?なのかな?
このタンクも何なのだろう…?
さっきの標識のあるエリアからもう少し高いところがあるようです。そこが山頂でしょう。
こっちが本当の山頂のようですね。
いやあ、2200mは長かった。
山頂からの景色は、この日、真っ白です。
帰りに、林道を通って、他の登山口も見てみました。
そのとき、山中で、シカ発見!!
で、林道の出口、暮坪方面です。
林道はけっこう長かった。普通にもと来た道を帰ったらとても早かっただろうに…。
で、帰りに、農家で
獅子踊りやってましたよ。
たぶん、家々を訪問する形なんでしょう。いいなあ、昔の風情を残していて…。
その他情報
→遠野文化研究センター
→闇・遠野物語「六角牛山の語源と長慶天皇の謎」
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