長旅のまえに

好きなだけ、存分に、思ったまま、怒涛のように書こう

ゆり子さん

2023-12-29 18:27:47 | 日記
銀座のお店にはさ元華族の奥様だったゆり子さんがいたよ。
おっとりしててねホステス流の接客なんかしなかった。ボトルをいれましょ的なことさ。

だけどいつも売上はいいんだよ。
華族だなんて言わないんだけどさ、闇屋の親父が客になるんだよ。
うちの店に来るほどになってんだからやり手の野心家闇屋だね。
みんな金は持ってる。

その親父たちが何にも言わないのにボトルを入れて勝手に金を使うのさ。
しかもだよ、親父たちはゆり子さんを口説かないんだ。
高貴なものに闇屋の親父たちは惹かれてたんだね。

ゆり子さんは着物だって上等じゃなかったよ。全部、空襲で焼けちゃったからね。
夫は有り金、事業をしましょうと出資させられて結核で死んじまった。
娘が一人いたよ。

そんなゆり子さんにうんと年下の黒服が惚れたんだ。
あの男は黒服のなかでも浮いてたね。
せっせと金をためてワインの勉強なんかしちゃってさ。
客には好かれたけどね。

誰もみんなゆり子さんはあの黒服に騙されてるんだと言ってたよ。
騙してないまでも便利に利用されてると思ってた。
不釣り合いもいいとこだったからね。

しかもさ、ゆり子さんをおいてフランスに行っちまった。
やっぱりねとみんな言ったよ。
なのにゆり子さんは微笑んでるだけ。

数年経ってさ、私らにも真実が見えたけどね。
しばらくしてゆり子さんは店を辞めて築地に立ち飲みの珈琲店を出したのさ。
築地の客はみんな忙しい。
店は集中的に混雑するけどね。
狭い店でも充分さ。
私も買えば良かったよ。

その店の資金はあの黒服が出したんだよ。
待ってて欲しいって。俺は親も兄弟もいない、日本で待ってる人が欲しいんだってね。

おっとり優しいゆり子さんはあの黒服の聖母だったんだろうね。
築地の珈琲店の資金を出したと知ってみんな唖然としたよ。
ドケチだったもの。
ゆり子さんに本気だったんだと信じたよ。

けどさ、ゆり子さんは天に帰っちゃったんだよね。
店で倒れてそれっきり。
私もね、それから後の事は知らないんだよ。
なんかさ、運ってあるような気がしちゃうね。
仕事運があるぶん、家庭運がないっていうかさ。






冬の和菓子

2023-12-29 13:03:22 | 日記
頂き物である。
和菓子の美しさが今はケーキより気持ちにしっくりくる。

どれにしようか迷いながら選ぶ。

「寒椿」にした。
白餡がぎゅうひに包まれている。

名前も美しい。
椿姫のカメリアという言葉も好きだ。

祖母は椿が嫌いだった。
打首を連想するから庭に植えてはいけないと言われて育った。
私には大好きな祖母なのだけど祖母が嫌った「椿」も「藤」も「猫」も私は大好きなのである。
祖母が好きだから後ろめたい気もする。
愛情とは不思議な作用があるみたいだ。


指環

2023-12-29 07:25:11 | 日記
アクセサリーを身に付けるのがあまり好きではないタイプだった。
歳を重ねるごとにそのおもいは強くなる。
邪魔なのだ。

でもマダムとよばれる年齢になった女性たちがアクセサリーを重ね付しているのを見るのは大好きだ。
お洒落に前向きな方々は人生にも前向きに感じる。素敵。

だけど私は私でしかない。
私でしかないのだけれど一度もデコラティブな指環を嵌めたことがないのが悔やまれる。
似合わないしね。

でもガーネットは好きだ。
人生最後の指環を数年前に買った。
値段は安かったがデザインに心をひかれた。
この指環を左手の人差し指に嵌めよう。
なんだかとても嬉しかった。
私でないような変身願望が叶ったような。
この指環をしまうための猫型小物入れも買った。
青い瞳が可愛い猫だ。

この指環をはめるときは滅多にない。
でも時々、医療的確認ではめる。
指環で浮腫を確認するのだ。

乙女心の憧憬が浮腫確認になってしまうとは。
人生の年輪を刻むといろんなことに……笑えるもんだ。

つい猫で試してしまった

2023-12-28 16:33:53 | 日記
スマホの動画に猫の喧嘩があった。
ギャーオと2匹の猫が叫んでいる。

つい出来心で我が家の三匹のお猫様にスマホ動画を向けてしまった。
白黒猫は私が向けるスマホにスリスリした。
スマホも私の体の一部的な扱いだ。

白猫はスマホを見ないで私の目だけ見つめる。
軽蔑の眼差しなのだろうか?
黒猫は私と目を合わせないようにしている。
だからと言って猫の喧嘩の声に反応しているようでもない。

スマホからの猫の喧嘩声は機械音でしかないのかもしれない。
庭から猫の喧嘩の気配などしたら白黒猫は豹変するから。
びびりの黒猫は家の中でも固まるけどね。


猫のあるじ三者三様

2023-12-28 11:00:15 | 日記
清士郎の飼い主は男性の一人暮らし。
なかなか子猫の里親になれなかった。
虐待事件は起きてるしそんな事件は圧倒的に男性が起こすから各ボランティアさんが子猫の引渡しに二の足を踏むのも仕方がないことだった。

あれこれあったが清士郎は里子に行った。立派な名前だ。
半分おふざけで私が付た仮の名前だったが里親さんがとても気に入ってくれたのだ。
漢字も聞かれた。
考えてもいなかったのだか「清士郎」と答えた。
「そうだと思いました。僕も同じ漢字を考えていたのです」
嘘つきな私である。
清士郎がそろそろ手術の時期となった。
麻酔をかけるために朝から絶食だ。
「清士郎は今日、手術なんです。水さえ飲ませてやれなくて。僕もアイツが食べられるまで飲み食いしません」
いや、珈琲くらい飲んだら?とか言ったが拒否された。

本当なら自由にさせてやりたい。でも人間の都合で手術もさせる。
麻酔が覚めて飲み食いできるまで絶対に何も口にしないと頑固であった。

別の飼い主さんは紹介した獣医師に「あの子の体の一部を捨てるなんてしないでください。ホルマリンに漬けて私に渡して」と懇願した。
初めてのリクエストだと獣医師から聞かされた。

もう一人は夫婦で歌舞伎町で飲んだくれた。
渋谷の動物病院に預けたものの自宅に帰るのも足が向かない。
昼間だし仕方ないから夫婦で歌舞伎町で飲んだくれて待つことにしたという。
三毛猫を溺愛していた。
この三毛猫は私がミルクで育てた。
小さくてとても生き延びられないと思っていたが生命力とは予測不能なしろものだ。
だから溺愛されているのは私にとっても幸せなのだ。

ただその溺愛が昼まっから歌舞伎町で飲んだくれることになぜ繋がるのかは下戸の私には理解できない。