上田市塩田富士山日米神社の盃状穴
昨日日米神社境内にある道祖神について触れたが、道祖神のある日米神社、1685年に社殿を再建しており、12世紀末期の建立というが定かではない、と紹介されている。天照皇大神と豊受皇大神を祀る神社といい、拝殿正面はオープンなスタイル。その拝殿の中に入ってみると、寄付者の掲示板があり、「日米神社拝殿屋根瓦葺替え工事」のもの。下段にある「寄付者芳名」を見ると、ちょうど70名の名前が記されている。全て「壱万壱阡円」だから71万円となる。最後に「平成二年十月五日」とあるからもう30年以上前のもの。氏子総代として4名の名が連記されていて、もちろんその4名は芳名欄に記載されている。富士山の神社なのだろうから、冨士山には当時70戸ほどあったということなのだろう。全戸から均等に1万1千円を集めたということで、それ以外に上段の掲示板に「特別寄付御芳名」が記載されている。そこには工事を請け負った会社が13万7千円、氏子総代のトップに名前が記載されている方、おそらく総代長だったと思われる方が5万円、3万円の特別寄付は総代のお一人と、あと3名の名が記載されていて、もうお一方1万5千円を寄付されている。この特別寄付者は工事会社を除くと、全て寄付者芳名」に同じ名前があるから、均等割り以外に寄付をされた方々。合計すると103万2千円となる。
さて本題である。拝殿へ上る階段の下、石垣の天端石に杯状穴が見えた。気がついてあちこち見てみると、拝殿の石垣のあちこちに盃状穴が見られた。屋根の雨が落ちてできたとも考えられなくもないが、おそらく今までにも触れてきたような理由でできた盃状穴に違いない。