不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

37年前のドンド焼きの話題

2017-01-31 23:27:54 | 民俗学

 今から37年前、昭和55年1月10日の地域新聞『南信州』(南信州新聞社)に笑えるような記事が掲載されていた。「〝伝統の行事〟行き過ぎ?」というもので、「父兄が松飾り盗み指導」という大きなタイトルが印象的だ。どんど焼き行事を昔のようにしたら良い、と父兄が指導したことによって問題になったもの。その舞台は飯田市松尾久井である。市街地ではないが、比較的市街地に近い、いってみれば地方都市近郊である。この年、これまで大人主導であったどんど焼きを子どもたち主体に戻したという。松飾りを集める作業なども子どもたちが自主的に行うように、指導したのは大人のようだ。そこで大人たちは昔のように子どもたちを集会所に集めて「徹夜番」(記事にはそう記されている)を許可した(させたとも言える)いい、そこで大人たちから過去のどんど焼きの話を聞かされた。面白そうだったのだろう、子どもたちは「近くの畑からカゼ棒を失敬したのを始め夜中には四、五、六年生のタテ割り編成して他の門松を奪いに出かけた」という。「タテ割り編成にしたのは来年度以降も下級生が〝伝統行事〟をマスターできるようにという配慮」だったというが、「同級生以外とは行動できない現代のこどもにカツをいれたかったという」と記事には書かれており、このあたりも大人が指導したものかも。

 ところが他に侵入したのが見つかり、そこの子どもたちと取っ組み合いのけんかになったという。驚いた父兄たちが仲介に入ったというが、盗みに入られた地区の父兄が収まらなかった。「大人が松ドロボーを教えるなど行き過ぎではないか」「ケンカによる負傷者が出た場合誰が責任をとるのか」と抗議になった。これが賛否両論になったというから、まだおおらかな時代だったかもしれない。大人たちの賛否両論をよそに、子どもたちは「こんなに面白いドンド焼きはなかった」と大喜びで、「ケンカのしこりもなく同夜のうちに両の児童会が同盟を結んで、さらに他へ松やダルマを盗みに行って大きな成果をあげたという」と記事には記されている。「久井のドンド焼きは二十余年ぶりにみるなつかしい光景だった」と記事は締めている。

 そういえばと思い出すのは道祖神盗みの話。かつて他村の道祖神を盗むという風習が松本平を中心に行われたと言われるが、当時も盗みはするものの、やはり「盗み」であることに違いはなく大っぴらなものではなかったよう。あえて「盗む」ことに意味があったとも考えられるが、「伝統だから」と言って「盗み」を奨励した37年前の大人たちの時代性がうかがえる。「伝統」には悪習もあるわけで、人々はそれを学んで地域社会を向上しようとしていく。民俗はだからこそ変容していくものなのだが、もちろん今はこのようなことは継続されていないだろう。というか、賛否両論はこの年だけで終焉となったのではないだろうか、と思いきや、この話を妻が覚えていた。妻に言わせると「学校が盗みをすすめるとはなんだ」というような話にもなったとか。当時の校長さんが、先に亡くなった義父だったともいうが、昭和55年の新春のことだから、それ以前の話かも知れない。とはいえ、妻がそう言うからには、翌年にもこの話題が継続していたとも考えられる。とりわけ話題になることをしたという義父のこと、偶然紐解いた歴史だった。


コメント    この記事についてブログを書く
« 伊賀良井のこと | トップ | タイムリーな〝話〟 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事