Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

浮き草

2025-02-04 23:30:36 | ひとから学ぶ

 「浮き草」についてコトバンクでは、「水面上に浮かんで生育する草の総称。根が水中に垂れて固定しないことから、人の世の定めないことにたとえ、「浮き」を「憂き」にかけて用いることが多い。また、生活、職業等が不安定なことのたとえにもいう。」とある。またWikipediaには「ウキクサは水面を漂うため、不安定で落ち着かない生き方をウキクサ (浮草) に例えて表現することがある」と記している。

 よく立ち寄るお客さんのところで、ひとりで事務を担っている女性が、そこの役員さんのことを「浮き草」と表現される。とりわけ今回はわが社の担当者がある物件について提案をしたものの、役員がなかなか結論を出されない。数日前も役員が集まってその物件について話し合いを持ったものの、役員の中に「うちにやらせろ」と強引な意見を口にする人がいて、そこに仕事をさせたくない役員は結論を先送りにする。わが社の担当もこれぞという提案ができず、ふらふらしているので一層話が進まない。意味がよくわからない役員は無言で内心は「こんな会議には出たくない」と思っている。何度となく開かれる会議は無駄に時間だけが費やされていく。そんな光景を見ていて女性は「浮き草集団」とも言う。その中のある役員に至っては、女性は「ミスター浮き草」と表現する。「どういうことなんですか」と聞くと、川の中を流れていてぶつかりそうになると波に押されて回避する。またぶつかりそうになると同じように押し返されてぶつからない」。そんな生き方をしている典型的な人、だからミスターなのだと…。でもミスターに限らず「みんな浮き草」と言うのは、繰り返される結論の出ない無駄な会議に呆れてのこと。

 考えてみればひとはみな壁にぶつかりたくないから外部の声に限らず、身内の言葉でも流されてぶつからないようにするもの。みんな「浮き草」である。とは言うものの、決めなくてはならないことをちゃんと決められないのも困ったもの。その姿を見ているとじれったくて仕方ないわけだ。ぶつかっているばかりの人生だったわたしには、女性の言葉におかしくて仕方なかった。「みーんな、浮き草」という言葉に…。黒板の予定表にただ「会議」と記されている日が数日後に予定されていて、「あれは?」と聞くとまたこの物件の会議をするらしい。浮き草集団の結論は?、「出るわけないじゃん」、とは女性の弁である。


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