今日は明け方に暴走族の爆音に起こされて
中途半端に二度寝してしまい、
寝坊・・・。
昼過ぎまで寝てしまいました。
遅めの朝昼ごはん・・・。
新聞を見ながら食事をしていて・・・。
色々な事件が起こっている昨今・・・
単発に出ている事故や事件の記事が
それぞれ繋がっているような気がしてきました。
それぞれの報道の根底にあるのは何なのか・・・
頭の中のパズルのピースをくっつけて行くことにします。
そのいろいろな記事というのは・・・
●Ⅰ.原子力発電所の再稼働をめぐる論議
●Ⅱ.尖閣諸島を東京都が税金で購入するという事件
●Ⅲ.亀岡市での無免許運転死傷事件
●Ⅳ.京都祇園でのてんかん患者パニック運転死傷事故
●Ⅴ.フランス大統領選での現職サルコジ氏の負け
初めのピースを並べて行くと・・・
福島で事故が起こって1年が過ぎ
エネルギー改革の発端になるのかと思ったら
1年経過しても
1年前とあまり状況が変わらずにいるような気がしてなりません。
終息宣言は形だけ出ているものの
世界に向けてのデマゴーグにすぎません。
本当の解決は
事故の経過を踏まえて
事故原因の究明とその処理、
今後の対策と方向性が大事なのであって
うやむやにして元に戻すことではありません。
もうひとつ付け加えるなら
科学技術の進歩の結晶を否定することと
感情論を一緒にしてはいけないということ。
放射性物質拡散が怖い→「原子力反対」という感情論と
福島第一で原発が壊れたのは
地震が原因なのか津波が原因なのか
詳細な原因究明を今後に生かし発展させることを阻害することです。
一部雑誌では
女川も第二も第一も地震後に
すべて自動停止したとあった。
なのに第一だけ
壊れたのはなぜなのか?
科学的に原因究明が必要です。
このことをあいまいにすることと感情論は別です。
話が逸れそうになったので戻すと・・・、
新聞では今後のまず第一の難題は
原発の再稼働の行方はどうなるのかということ。
国家を揺るがす大きな問題です。
そんな中
敦賀原発2号機の周辺の破砕帯が
実はその1本が活断層で
原発の真下に存在していて
建設できないはずの活断層の真上に位置していたという報告がありました。
政府は藤村官房長官から
旧原子力安全院に慎重に調査させるとしている。
慎重に調査って何なのでしょうね?
早急にの間違いでは・・・。
今の日本の状況では原発がすべて停止し
再稼働できるかはどうなるかわからない。
しかし、
今まで国が施策として推進政策を推し進めて来た事実が有る。
原子力関連産業から
周辺自治体も国も恩恵を受け
周辺住民も
安全神話を信じ受け入れて来た。
また、そこで働き生計を立てて来た人もかなりの数存在し
もし無くなれば
大きく社会が変動する方向に向いて行き社会不安が増加するでしょう。
石炭から石油へエネルギー革命が起こった昭和の後期のように
経済発展を背景に起これば
それなりに痛みは少なく済んだのかもしれません。
残念ながら現在はそうでは無く
地震という負の原因を契機に起こっているため
はるかに大きい費用が必要となり
国策としてのかじ取りも必要になるでしょう。
時期と期間を間違えれば
浪費と疲弊だけが残り
衰退の一途をたどるかもしれません。
この1年東京電力管内などは計画停電などの実施で
エネルギー改革を先送りしてきました。
震災直後の混乱期なら
こういったことは猶予期間として許されることでしょう。
しかし依然として
1年という長い時間が費やされても
電力会社が電力利益を独占し
国家の施策の陰に隠れて
国が動くまで待って言いなりになり
甘い汁を享受しあうという形は依然変わらず
官も民ももっともらしく組織を継続・再編し
なれあいの状況をそのままにしてしまった。
原子力に携わる人が多すぎて
改革すれば
失業者が山ほど発生しどうにもならなくなると考え
何もできないのなら
こういった考えも正論となる。
再稼働するか全廃するか
今後どうするか
事故発生後の放射能が危険という感傷的な考え方を
一度横に置いておいて別の側面から考えてみると・・・。
その考えとは
上でも少し触れかけましたが
原子力は科学技術の一つであるということ。
原子力には諸問題があることは事実ですが
大きな利益をもたらしたことも事実です。
たとえば
農薬が農業にもたらされて
飛躍的に収穫が上がったこと、
青酸カリが金属のメッキに必要不可欠なこと
それ自体に諸問題が有っても
現在でも使用され続けている。
同じように
原子力も科学技術の一つであることは事実です。
それなのに
福島の原発事故で
原子力は危険だと
あまりに大きな問題になってしまって、
更に輪を掛けて
政府などの情報発信面が不誠実で嘘を付くから
国民がどんどん不安に思い
更に大きな問題になってしまった感がする。
事故が起こってしまったことを
具体的に
誠実に
完全に透明にして
事故処理、
危機管理体制の再構築や
今後の対策を十分にして
努力を継続しなければいけない。
責任の転嫁や自己弁護のための言い訳に終始する体制は
良いことは何も生み出さない。
国や自治体だけでは無い
特に電力会社は強いを意思持って
慣れ合いをして責任転嫁しているのではなく
独自に施設ごとの対策を明示し
政府や行政が動くのを待っているのではなく
独自に動かなければいけないと思います。
原発を稼働させないから値上げするというように
世間で判断されるような趨勢が
もはや取り返しがつかない状況になり掛けてしまっている。
国が動くのを待って
言いなりになっていると
現在のような不信状態に陥るわけで
改革が必要なのはこの部分ではないか。
国も施策で進めて来たわけで
自治体も受け入れて
補助金を受けて来たわけなんだから
福島事故が収束していないとか
同じことばかり言ってないで
独自に動いて調査すれば良いのでは。
早く動くことが一番の様な気がする。
これが鍵となるのでは。
口だけで行動が伴わない現状で無く
電力会社のどの部署でもいい、どこでもいい、
いち早く大きく動いたら
きっと会社も国も自治体も委員会も
すべてを含めて全体が動くことでしょう。
原子力発電所は
それぞれの立地風土、気候、独特の地層、
出来た年代によっても機種に違いが有り
施設もかなり違い
危機管理もかなり違う。
今回の福島事故のように
事故が起こっても
嘘ばかりの情報発表で
放射線が飛んでいる方向に逃げさせたりした。
こんなことをするから
不安感が増すのであって
そこの問題も第一に修正しなければいけない点では無いでしょうか。
菅首相が静岡の原発を勝手に止めましたが
政治家もああいう非科学的な手法で止めてしまうから
今の大混乱になってしまったわけで・・・。
原子力を再稼働するなら
福島との違いを明確にし
事故における対策と保障を嘘偽りなく明示し、
それでも反対されるなら廃止し
原発をなくす方向に持っていけばいい。
政府も危機管理や新エネルギー施策を打ち出し
同時進行で
原発が再稼働できないとなれば
すぐに新しい発電が出来るように
メタンハイドレードなど
新資源があると分かっている日本海や尖閣の東シナ海などから
採掘できるように準備しておくことも
重要なのではないでしょうか。
送電独占、
新規参入を難しい状態にして
既得権益に群がっている現状でも
いずれは無くなる方向に向かうわけで、
新規の電力会社が電気を発電しても送れないという事実
電力送電の独占という問題も
早急に自由化しないと
国益に反すると思います。
代替手段を構築し
それでも原発が必要なら
そこで判断を下せばいい。
核兵器を持てない日本に
いつでも核を作れる技術が有るという抑止力を
背景にしたいなら
それはそれで正論になると思うからです。
このことは下の
欧米の選挙のニュースにも関わってきます。
で、次のピースへ・・・
記事尖閣諸島・・・。
尖閣と言えば
中国漁船の海保巡視艇突撃事件の頃は
連日報道されていましたが
最近はほとんど報道もされず
消費税と政局ニュースばかりでどうなったか心配していました。
中国が今後民間舟だけでなく
資源開発やそれを奪取することをもくろんだ
軍隊関係の作戦が遂行されるのは
目に見えていると思っていました。
中国では
習近平氏が次期国家主席になることは確実で
軍事にバックボーンのある彼が主席になったら
軍を背景に何をしでかすかわかりません。
尖閣の問題でよく耳にするのは
“尖閣に領土の問題は無い”という言葉。
確かに歴史学問では
1895年に閣議決定で正式に日本領土になっています。
その後、
サンフランシスコ講和条約で
1952年に日本が被占領国家から
独立国家と認められました。
しかし、
その時に
尖閣諸島を含む沖縄県は
アメリカの統治下に置きますと発表されています。
その時に中国は尖閣のことについて何も言わなかった。
この時点で
領土は沖縄に含まれるわけだとされています。
しかし、
1969年に国連の世界資源調査で
東シナ海の尖閣諸島の海洋資源が無尽蔵に埋まっていると
報告が有った。
当時の日本では資源のない国ということで
意識が統一されていたので
否定が国民の不信を招く恐れからか
当時の日本は何もできなかった。
そして、
1972年に沖縄が日本に返還され
尖閣も日本に戻ったのです。
その後、
降ってわいたように
莫大な資源がほしいために
中国は
尖閣は中国領土だと言い出したというのが歴史の事実です。
領土というより
資源がほしいというのが中国の本音でしょう。
そんな尖閣を政府はずっと放置したままで
個人の土地を借用するという形で維持してきました。
国有地に買い上げ
日本国の国益のために
中国を排除する努力を明確化すれば
もっと違った形が出たかもしれません。
しかし、
中国漁船衝突事故以来目立った行動を取ってこなかった政府
それに業を煮やした東京都知事
それでこういった形で行動に出たのではないでしょうか。
みっともないのは
その後に
東京都が買うなら国が買っても良いという議論が出ていました。
政治家の劣化が進んでいる証拠のようで
残念でなりません。
この事件も
上の原子力と同じようで
早く行動すると全体が動くようです。
繋がっているのでしょうか。
次に亀岡の事件。
業務上(自動車運転)過失致死致傷罪という
普通の交通事故と同じように
事故処理しようとしているようです。
通学路をいつものように歩いていて
母親と小学生と胎児を
いきなり居眠りしていて殺しておいて
新しくできた危険運転致死致傷罪で
より重い刑罰を与えられると思っていました。
しかし、
テレビで法律家がアホみたいなことを言っていました。
「条文にある運転の技能のないもの
にはあたらず、無免許運転を繰り返していたことで
技能は有していると判断される、だから適用は難しい」
社会通念上
通学路を集団で通学しているだけで
無免許で居眠りして10人以上殺傷して
危険運転に当たらない・・・などということが有って良いのでしょうか。
これが判例になってしまったら
社会の秩序を守るために制定されている法律が
一部の専門家の遊び道具に(パズル)に
成り下がってしまうのではないでしょうか。
文字を面白おかしく屁理屈を並べて解釈し
社会通念と社会常識から逸脱して適用されるなら
屁理屈を上手に言ったもん勝ちになってしまう。
真実はいつもひとつ
法律は社会通念や社会常識に適応すべきです。
また、
無免許運転で以前に無免許運転で補導歴が有り
それにも拘わらず常習的に無免許運転を繰り返し
今回の犯行に至ったようです。
反省が無い。
こういった人間は少年法で守る価値も無く
甘えているだけで
厳罰に処すべきでしょう。
即時極刑でも良いと思います。
人権という言葉がよく出てきますが
亡くなった胎児や妊婦の人権はどうなるのでしょうか。
小学生の今後の人生は誰が取り戻せるのでしょうか。
人は過ちを犯すものです。
ミスのない人間はいません。
だからこそ
罪を悔い改める時間と
再起のための謝罪と反省及び刑罰が有るわけです。
しかしながら、今回の加害者は
意味が違います。
常習犯です。
反省の余地も無く
悔い改めることも無かった。
こういった人間を
税金で養う(刑務所)必要は無い。
即時極刑で十分です。
本当に過失だけで送検となると
世間に対する影響が大きすぎると思います。
少年法の範囲内なら
無免許運転でも
事故を起こしても
匿名で処理され
服役も短期間で
出所しても誰にもばれないと思われる。
そんなことを思いながら
記事をさらに読んで行くと
警察官が
加害者の親が被害者に謝罪したいからとのことで
連絡先を教えてしまったと出ていました。
守秘義務のある公務員には有り得ない失態・・・。
私も15年公務員していましたが
個人情報だけは本当にきつく管理していました。
なのにこの警察官は何をやっているのでしょう。
非常に残念です。
ただ、こういった問題が出てくるのは
世間の誰もが持っている可能性であって
いつ何時当事者になり
時には加害者側に回るかもしれないということです。
彼らにしてみれば
子供の非を謝りたいと願い出た親は
結局は
自己の欲求を満たしたいだけで
相手の立場に立ってものを考え行動するという
思慮に欠けた
精神的に大人になり切れていない人物で、
警察官は
懇願され、どうしても気の毒になってしまって
個人情報を渡してしまったと言っていますが
愛する家族が殺され
常軌を逸している精神状態にある被害者遺族のことを
普通に考えると
加害者の関係者が現れたら復讐心に火が付き
二次的犯罪が行われる可能性が非常に大きいことは
すぐにわかりそうなこと・・・。
結局この警官も
自分がかわいくて
懇願された人のために役だったと
訳のわからない満足感を得るために
自己満足したかった
精神的に大人になり切れていない人物だったのでしょう。
しかし、
今の世の中
こういった自己満足型兼欲求直進型の人が
実に多くなりました。
携帯電話の車内通話を遠慮してとアナウンスされても
掲示が有ってもお構いなしに実行する。
子供から大人まですべての年齢で男女問わずです。
ゴミはどこでも捨てるし、
映画館でも平気でしゃべる、メールする。
どこでも化粧するし、
先日は飛行機の隣の席で
香水をシュッシュッとしよった。
ツケマしてるだけでも驚きだったのに
世の中ここまで落ちたかと失望してしまった。
いじめをなくそうとか
絆を大事にとか言う割に
人が集まれば誰かの悪口や愚痴を言ってるし・・・。
自分を大きく時には偉く見せるために
高級ブランド品を見せびらかし
高級な嗜好の自慢話に終始し
または攻撃、批難を繰り返し自己を高めている人が
実に多く存在する。
運転してても
隙間が無いのにどこでも割り込んでくるし
ブレーキ掛けなければ
衝突していることかなりある。
左折車優先にもかかわらず
必ず右折車が割って入って来る。
歩道のない狭い道でも
携帯電話しながら運転してるヤツが必ずいる。
横断歩道で無いのに
いきなりJウォークしてきたり
自転車の無謀な車線変更や傍若無人な横断、
信号無視や一通の逆走など数え切れない。
すべてにおいて
誰もが一度はやったことが有ることでしょう。
だからこそ
当事者になる可能性が
誰にでもあるということなのです。
被害者だけで無く
知らない間に加害者になっていたり
気付かぬうちにほう助していたり
本人はその気が無くても
必然的に事故が起こったり
だれでも当事者になる可能性があるのです。
どこか自分には関係ないと
マスコミで知った事件や報道をみて
あの人が悪い、
だからダメだとか
せつな的な感想に終始し
その事件や報道の背景は
ワイドショーで取り上げられたり
コメンテイターの意見を
まるっぽ信じきったり
考えなかったりするのが日常・・・。
人は個人のエゴの中で生きているものです。
ワガママという意味ではなく
自己の意志のままに
それが正しいと思い込み
行動しているという意味です。
人が多く集まれば
社会というものを形成し
秩序というものを維持するために
法律や常識・道徳というものを生み出す。
エゴは誰にでも有るもの・・・。
ただ、
それが通用するのは
“許されているだけ”であって
決して“正しいこと”ではない
と私は思うのです。
これだけ多くの人が生を営み
平和な世の中が当たり前で
価値観が多様化して来た昨今・・・
何でも選択できる自由が
当たり前のように広がっている昨今・・・
喜ぶべきことであると同時に
多様化したが故に
迷いが生まれたのも事実・・・。
迷いは不安を増大させ
あげく
自分の価値観を他人に押し付け
否定されることを恐れ
攻撃や批難に終始し
他人を貶めることでしか
自己の価値観を見いだせなくなってしまった。
そんな人が増大しているように感じます。
エゴの押しつけが多くの価値観の中
自分の考えだけが正しいと考え、
周りとの価値観の共有を排除し
尊重するという理念を構築することなく
人間の本来の思考力を
合理性、経済性に置き換えられ
批難されないこと
少数派や批判者を異と認識し
排除する関係を是とする社会認識を
流通させてしまった。
本来の多様性と自由な選択は、
多くの血が流れ獲得した「崇高な憧れ」だったはずのに・・・
「幸福」をもたらすはずだったのに・・・
単に「乏しい」だけの
多様性と自由のそれになってしまっている。
自己のエゴの正当化が
すべての価値観に優越してしまっているからなのか・・・。
人には人の気持ちなどわからない。
仕方のないことなのだろうか・・・。
学校教育では相手の気持ちになってと
しきりに教師は子供たちに説き伏せます。
本当にわかるのでしょうか。
分かった風に自己満足しているだけのことでは。
同じ経験をしたものしか絶対にわからない
同じ経験をしていても
本当のその人の心に内は
本人にしか分からない。
それも事実です。
だからといって
自己のエゴを押し通すことが
個人の自由の範疇にはいるのでしょうか。
自己の行動が正しいのではなく
社会の中で生活して行く上で
“ただ許されているだけ”ではないでしょうか。
中には
不愉快に思っている人が
いる場合もあるということです。
無意識で相手を傷つけ
卑しめることをやってしまっている。
だからこそ
人は思慮深く行動しなければならず
時には先を読み
目の前の不平不満や
泣き脅しなどに対抗して
その場から逃げたいという自己満足と
闘わなければいけないと思うのです。
一時的に許されているだけだと
認識し自己責任を
常に負うことを覚悟しなければいけないと思うのです。
個人情報を流してしまった警察官は
嘆願に負けてしまい
相手の希望をかなえて自己満足することを
選択したのだと言っているのです。
世の中のテレビのドラマなど
ほとんどが復讐がテーマであって
必殺シリーズやサスペンスドラマなど
恨みと復讐がなければ
成り立たないくらいの人間の普通の感情です。
それを分かって無いところが恐ろしい・・・。
精神的に大人になっていない
自己満足型人間が増加中ということでしょうか。
先のことを考えて行動できない人が増えているのでしょうか。
原発の処理がなかなか進まないのも
こういったタイプの人が多いからなのでしょうか。
価値観の多様性のために
自己の価値観を押し通すために
批難することに終始し
共有することを排除してしまっている側面はないだろうか・・・。
祇園の自動車無謀運転殺人事件も同じで
てんかんの持病を隠して車を運転し
タクシーと接触事故を起こして
パニックになって逃走し暴走
挙句の果てに
轢き殺して殺人を仕出かしてしまった。
結局
これも先を考えずにした行動の結果で
就職という難題に行き詰って
嘘で固めて手に入れたため
メッキがはがれてしまったようです。
多様化しすぎて
選択の幅が広くなりすぎて
逆に視野が狭くなって
嘘で固めた保身が
身の破滅を呼び込んでしまったのではないでしょうか。
他人の人生をも巻き添えにして・・・。
最後に
フランス大統領選挙・・・。
社会党のオランド氏が29%で第1位。
第2位が
27%現職国民運動連合サルコジ氏。
ミッテラン氏やシラク氏が2期務めたように
サルコジ氏も2期目を狙いましたが
過半数を獲得できず
1位、2位の決選投票となりました。
どうやら
オーランド氏の社会党が政権を取りそうですが
過半数に近い数で1位、2位が決まれば問題なかったのすが
1位ですら29%という低支持で
3分の1にすら達せず
単独与党での政策運営は難しく
日本同様の
“ねじれ状態”か連立政権になりそうです。
今後かなり混乱しそうなフランスの政治です・・・。
中でも驚いたことは、
今回の選挙の第3位が
「国民戦線」のルペン氏となっているところです。
前回選挙までは
極小政党だったはずなのに
今回は
なんと18%近く得票があり
大躍進を遂げています。
大混乱振りが垣間見えますね・・・。
しかも、
この国民戦線という政党・・・、
確か極右政党のはずでは・・・。
現代西洋民主主義ではなく
戦争前の
保守的西洋国家を理想に掲げているはず・・・。
ユーロ圏の現代西洋民主主義の理想系として
連合したヨーロッパ各国。
ギリシャの財政破たんで浮き彫りになった嘘っぱち政治・・・。
各国の財政赤字、
不景気経済の長期化など
こういった問題から
EUユーロの西洋理想国家が
内部から崩れて来ている兆候なのかもしれません。
かなり危険な兆候ではないでしょうか・・・。
東ドイツやポーランド、
ギリシャなどを含めた弱い国家を助けて
ヨーロッパ全体を統合し
助け合おうとしていたはず・・・。
その理念と
人口減少懸念から
移民を受け入れたものの
更に問題が増幅し・・・。
すべてが間違いだった・・・。
フランス国民は、
古き良き時代に、
昔に戻ろうという理念を
抱き始めているのでしょうか・・・。
古き良きフランス・・・。
「そんな時代に戻ろう」
そんな政党に
18%も得票数がある・・・。
今のような金融不安や財政不安が続くと
次期選挙では第一党になるかもしれません。
恐るべしフランスです。
EUが崩壊する危険性がかなり高くなっています。
ついでに出しますが・・・
同じようにアメリカ大統領選も今年です。
現職オバマ氏と
共和党ロムニー氏のどちらかが選ばれる模様です。
しかし
ロムニー氏は富裕層の候補者です。
昨年冬ニューヨークのウォール街で
格差社会是正を掲げて民衆暴動事件がありました。
1%の富裕層が
99%の市民を支配し得をしていると訴えての暴動だったはず。
オバマ氏は
医療保険制度改革など弱者救済制度を前面に出してきましたが
上手く行きませんでした。
それなのに
共和党は
富裕層のロムニー氏が候補者に選ばれるのはどうしてだろうか。
疑問に思っていました。
日本と同じように
政治家の劣化が起こっているのか
潜在的なアメリカ人の気質
“成功するか、落ちぶれるかは
個人の責任であって、
成功するものは、幼少から努力し、
勉強して来たからそうなるのである。
よって成功し強いものは賞賛され
弱い者は努力が足らないからなのだ”ということ。
ロムニー氏はボンボンかもしれませんが
少なくとも仕事で成功した人。
そういった人が候補者になるということは
潜在的なアメリカ人の嗜好に戻ろうとしているのではないでしょうか。
フランスの極右政党ルペン氏躍進と
アメリカ二大政党制の片方の大統領候補が
富裕層のロムニー氏ということを考えると
長引く先進国の不景気の動向が
他の先進国も含めて
「古き良き時代に戻ろう」という
一種の回顧主義的まやかしの世界に
引きづり込もうとしているのかもしれません。
本来なら
99%の一般市民の味方になる施策を打ち出し
慣例のキリスト教信者から候補者を出すはず。
それが出来ない・・・。
社会的根本から
アメリカ自体が何か
変わって来たのかもしれない・・・。
というより
以前のような強大国で
世界のリーダーでは無くなって来たのかもしれません。
中国が
南シナ海の資源を目を付け
ベトナムに喧嘩を売って
共同開発にこぎつけたように
尖閣も同じつてを踏むかもしれんせん。
アメリカが弱くなって来たなら
沖縄県などの基地問題も
縮小して行くべきではないでしょうか。
アメリカに引き上げてもらうということです。
抑止力という言葉ももしかすると
今後の対中国との関係では
独自に強気に取り組む必要が出てきているのかもしれません。
上でも触れましたが
この関係の抑止力で核が必要と考えている理論があるかもしれません。
そのために平和利用を隠れ蓑に
原子力を維持したいというなら
それはそれで正論なのかもしれません。
確かにこの考え方は
極論かもしれません。
何度も繰り返しますが
他者を批判して自己を正当化する
自分の価値観に合わないものをやみくもに排除してしまう
現在の衝動にかられ
せつな的に判断してしまう
そんな感情が支配する人間が多くなったため、
価値観の多様化を受け入れられず
共有や尊重といった感情を排除するということが
起こってしまったのではないでしょうか。
かといって
行動を起こさなければ
日常は始まりません。
人は行動を起こせば誰かを味方につけ
賛同を得る。
が、しかし、どこかで誰かが傷つき
反感を買う・・・
それが誤解であっても
誤解かどうかも確認されず日常は過ぎて行く。
平衡感覚バランスが難しいと・・・。
私が思うに・・・
あくまで個人的見解ですが。
価値観の共有と尊重を持ってすれば
基本的に物事が進みやすくなると思うのです
なぜなら
原発再稼働にしても廃止にしても
全部一緒では無く
場所に応じて行うことができるようになるからです。
たぶん
とある田舎町では
原発の恩恵は計り知ることが出来ないくらい大きいでしょう。
危険性は十分承知の上で
それでもなお再稼働したと考えている人は大勢いることでしょう。
その人達にとっては原子力は
科学技術の一部でしかないからなのです。
そういう価値観を持っている人もいると言うことなのです。
放射能は危険なのは分かっています。
では
農薬はどうなのでしょうか
先にも触れましたが
農薬漬けバナナをダイエットと称して
毎日食べることは危険ではないのでしょうか。
また
亀岡の事故で未成年が無免許で車を運転した事件で
その契機を考慮して
自動車が無免許でエンジンが掛かることがおかしいと
何故議論が涌かないのでしょうか。
こんにゃく畑では
お年寄りや幼児がのどを詰まらせるのは
こんにゃく畑が悪いとなり改善させられました。
エンジンが免許なしで掛かる方が悪いと何故ならないのか。
免許証をICチップ化して
鍵では無く
そのICカードと指紋認証でしか
エンジンが掛からないようにするとか
そういった価値観を持った人もいると言うことです。
価値観の多様化を認め受け入れ
誠意を持って尊重することを前提にすれば
皆がそれぞれの役割を演じることが
簡単になるのではないでしょうか。
映画を例に取ってみれば
皆が主役では映画は成り立ちません。
相手役、敵約、脇役、エキストラなど
裏方も含めて
皆が役割分担をしっかり演じるから成り立つのです。
皆が主役主役と目立ちたがっては
良い脚本も台無しです。
良い作品などできるわけがありません。
相手の価値を認めることは
自分の価値も認めると言うこと
そのうえで
どういう役を演じれば良いか
全体の構成もおのずと見えてくるもの。
自己の価値を
他人に押し付けることで
自己の価値観を見出すものが多いと
みんなが主役を演じたがり
物語は成立しません。
どうしょうもない陳腐な自己満足なものしか
出来上がりません。
完成を見ずに出来あがらないかもしれません。
日本には1億2千万もの多くの人が
それぞれの自己の役割を演じています。
主婦を演じたり
看護師を演じたり
学生を演じたり・・・。
それぞれが所属する組織の中で
みな自己の役割を演じていると
私は考えています。
そこの組織で通用する社会通念の上において
他者の価値観を受け入れ尊重し
そのうえで
自己の役割を演じていると考えています。
しかし、
そこで起こる事件(日常的であれ、非日常的であれ)
その事件を
否定的な批難に終始し
価値観の共有が崩れてしまったら
皆が自分の役割を演じることが出来なくなって行きます。
なぜなら
人間は自己のエゴが自身を支配しているからです。
演じていた役割の崩壊が始まるのです。
人を動かす原動力が
エゴを中心に変わり
自己防衛、自己正当化が始まるからです。
役割の重要な部分はは
自分が周りの人の価値観を受け入れ尊重するが故に
その組織での役割が生まれ
その役を誠意を持って演じることで
その組織の構成員から同じように
価値観の共有と尊重を受けられるからなのです。
日常的な議論やちょっとした喧嘩はあっても
すぐに修正が効くのは
役割が明確になっているからなのです。
その関係の崩れを修復したり
他の異組織との関係を新規に構築するには
やはり価値を共有し尊重するしかありません。
高度な議論や討論がなされることでしょう。
こういった考えもあるということです。
普段の私とは違った考えが
食事をしていて浮かびました。
世の中
多くの人が文句を言わず、黙々と
価値観の共有と尊重のために
自分の役を演じ頑張っているのです。
50人のクラスが有って
担任教師は1人。
手の掛かる問題児は2~3人。
いじめや不登校、暴力、犯罪行為など・・・。
しかし、
残りの47~48人の生徒は
問題行動を取らないからといって
まじめな生徒で片付けて良いのでしょうか。
その他大勢の生徒も
個々の人間であり
日々悩んでいるし
葛藤と戦っている。
それぞれ皆違った考えを持っているし
皆大変なのです。
問題を起こさないから黙っているからといって
決めつけはいけません。
同じように
原発問題にしても
国や委員会、電力会社は
中央の机上の理論に終始しています。
福島には福島の事情が有り
現地で有効な事故処理を行い
大飯は大飯、
敦賀は敦賀と地元の人が中心になって
別に考えてはどうでしょうか。
琵琶湖という存在が有る以上
周辺の街だけでは済まされない地理的な事情もあるわけで
そこに住む人にはそこの人の価値観が存在する・・・。
大飯は稼働、敦賀は廃炉というように
別の方向性を示すのも良いかもしれません。
地元の意向他
それを踏まえたうえで
それでもなお全国一律で
国が寸分たがわず管理規定すると言うならば
それはそれで許される範囲の正論だと思います。
国からの補助を受け
国の責任にしているのですから。
。。。。
中途半端に二度寝してしまい、
寝坊・・・。
昼過ぎまで寝てしまいました。
遅めの朝昼ごはん・・・。
新聞を見ながら食事をしていて・・・。
色々な事件が起こっている昨今・・・
単発に出ている事故や事件の記事が
それぞれ繋がっているような気がしてきました。
それぞれの報道の根底にあるのは何なのか・・・
頭の中のパズルのピースをくっつけて行くことにします。
そのいろいろな記事というのは・・・
●Ⅰ.原子力発電所の再稼働をめぐる論議
●Ⅱ.尖閣諸島を東京都が税金で購入するという事件
●Ⅲ.亀岡市での無免許運転死傷事件
●Ⅳ.京都祇園でのてんかん患者パニック運転死傷事故
●Ⅴ.フランス大統領選での現職サルコジ氏の負け
初めのピースを並べて行くと・・・
福島で事故が起こって1年が過ぎ
エネルギー改革の発端になるのかと思ったら
1年経過しても
1年前とあまり状況が変わらずにいるような気がしてなりません。
終息宣言は形だけ出ているものの
世界に向けてのデマゴーグにすぎません。
本当の解決は
事故の経過を踏まえて
事故原因の究明とその処理、
今後の対策と方向性が大事なのであって
うやむやにして元に戻すことではありません。
もうひとつ付け加えるなら
科学技術の進歩の結晶を否定することと
感情論を一緒にしてはいけないということ。
放射性物質拡散が怖い→「原子力反対」という感情論と
福島第一で原発が壊れたのは
地震が原因なのか津波が原因なのか
詳細な原因究明を今後に生かし発展させることを阻害することです。
一部雑誌では
女川も第二も第一も地震後に
すべて自動停止したとあった。
なのに第一だけ
壊れたのはなぜなのか?
科学的に原因究明が必要です。
このことをあいまいにすることと感情論は別です。
話が逸れそうになったので戻すと・・・、
新聞では今後のまず第一の難題は
原発の再稼働の行方はどうなるのかということ。
国家を揺るがす大きな問題です。
そんな中
敦賀原発2号機の周辺の破砕帯が
実はその1本が活断層で
原発の真下に存在していて
建設できないはずの活断層の真上に位置していたという報告がありました。
政府は藤村官房長官から
旧原子力安全院に慎重に調査させるとしている。
慎重に調査って何なのでしょうね?
早急にの間違いでは・・・。
今の日本の状況では原発がすべて停止し
再稼働できるかはどうなるかわからない。
しかし、
今まで国が施策として推進政策を推し進めて来た事実が有る。
原子力関連産業から
周辺自治体も国も恩恵を受け
周辺住民も
安全神話を信じ受け入れて来た。
また、そこで働き生計を立てて来た人もかなりの数存在し
もし無くなれば
大きく社会が変動する方向に向いて行き社会不安が増加するでしょう。
石炭から石油へエネルギー革命が起こった昭和の後期のように
経済発展を背景に起これば
それなりに痛みは少なく済んだのかもしれません。
残念ながら現在はそうでは無く
地震という負の原因を契機に起こっているため
はるかに大きい費用が必要となり
国策としてのかじ取りも必要になるでしょう。
時期と期間を間違えれば
浪費と疲弊だけが残り
衰退の一途をたどるかもしれません。
この1年東京電力管内などは計画停電などの実施で
エネルギー改革を先送りしてきました。
震災直後の混乱期なら
こういったことは猶予期間として許されることでしょう。
しかし依然として
1年という長い時間が費やされても
電力会社が電力利益を独占し
国家の施策の陰に隠れて
国が動くまで待って言いなりになり
甘い汁を享受しあうという形は依然変わらず
官も民ももっともらしく組織を継続・再編し
なれあいの状況をそのままにしてしまった。
原子力に携わる人が多すぎて
改革すれば
失業者が山ほど発生しどうにもならなくなると考え
何もできないのなら
こういった考えも正論となる。
再稼働するか全廃するか
今後どうするか
事故発生後の放射能が危険という感傷的な考え方を
一度横に置いておいて別の側面から考えてみると・・・。
その考えとは
上でも少し触れかけましたが
原子力は科学技術の一つであるということ。
原子力には諸問題があることは事実ですが
大きな利益をもたらしたことも事実です。
たとえば
農薬が農業にもたらされて
飛躍的に収穫が上がったこと、
青酸カリが金属のメッキに必要不可欠なこと
それ自体に諸問題が有っても
現在でも使用され続けている。
同じように
原子力も科学技術の一つであることは事実です。
それなのに
福島の原発事故で
原子力は危険だと
あまりに大きな問題になってしまって、
更に輪を掛けて
政府などの情報発信面が不誠実で嘘を付くから
国民がどんどん不安に思い
更に大きな問題になってしまった感がする。
事故が起こってしまったことを
具体的に
誠実に
完全に透明にして
事故処理、
危機管理体制の再構築や
今後の対策を十分にして
努力を継続しなければいけない。
責任の転嫁や自己弁護のための言い訳に終始する体制は
良いことは何も生み出さない。
国や自治体だけでは無い
特に電力会社は強いを意思持って
慣れ合いをして責任転嫁しているのではなく
独自に施設ごとの対策を明示し
政府や行政が動くのを待っているのではなく
独自に動かなければいけないと思います。
原発を稼働させないから値上げするというように
世間で判断されるような趨勢が
もはや取り返しがつかない状況になり掛けてしまっている。
国が動くのを待って
言いなりになっていると
現在のような不信状態に陥るわけで
改革が必要なのはこの部分ではないか。
国も施策で進めて来たわけで
自治体も受け入れて
補助金を受けて来たわけなんだから
福島事故が収束していないとか
同じことばかり言ってないで
独自に動いて調査すれば良いのでは。
早く動くことが一番の様な気がする。
これが鍵となるのでは。
口だけで行動が伴わない現状で無く
電力会社のどの部署でもいい、どこでもいい、
いち早く大きく動いたら
きっと会社も国も自治体も委員会も
すべてを含めて全体が動くことでしょう。
原子力発電所は
それぞれの立地風土、気候、独特の地層、
出来た年代によっても機種に違いが有り
施設もかなり違い
危機管理もかなり違う。
今回の福島事故のように
事故が起こっても
嘘ばかりの情報発表で
放射線が飛んでいる方向に逃げさせたりした。
こんなことをするから
不安感が増すのであって
そこの問題も第一に修正しなければいけない点では無いでしょうか。
菅首相が静岡の原発を勝手に止めましたが
政治家もああいう非科学的な手法で止めてしまうから
今の大混乱になってしまったわけで・・・。
原子力を再稼働するなら
福島との違いを明確にし
事故における対策と保障を嘘偽りなく明示し、
それでも反対されるなら廃止し
原発をなくす方向に持っていけばいい。
政府も危機管理や新エネルギー施策を打ち出し
同時進行で
原発が再稼働できないとなれば
すぐに新しい発電が出来るように
メタンハイドレードなど
新資源があると分かっている日本海や尖閣の東シナ海などから
採掘できるように準備しておくことも
重要なのではないでしょうか。
送電独占、
新規参入を難しい状態にして
既得権益に群がっている現状でも
いずれは無くなる方向に向かうわけで、
新規の電力会社が電気を発電しても送れないという事実
電力送電の独占という問題も
早急に自由化しないと
国益に反すると思います。
代替手段を構築し
それでも原発が必要なら
そこで判断を下せばいい。
核兵器を持てない日本に
いつでも核を作れる技術が有るという抑止力を
背景にしたいなら
それはそれで正論になると思うからです。
このことは下の
欧米の選挙のニュースにも関わってきます。
で、次のピースへ・・・
記事尖閣諸島・・・。
尖閣と言えば
中国漁船の海保巡視艇突撃事件の頃は
連日報道されていましたが
最近はほとんど報道もされず
消費税と政局ニュースばかりでどうなったか心配していました。
中国が今後民間舟だけでなく
資源開発やそれを奪取することをもくろんだ
軍隊関係の作戦が遂行されるのは
目に見えていると思っていました。
中国では
習近平氏が次期国家主席になることは確実で
軍事にバックボーンのある彼が主席になったら
軍を背景に何をしでかすかわかりません。
尖閣の問題でよく耳にするのは
“尖閣に領土の問題は無い”という言葉。
確かに歴史学問では
1895年に閣議決定で正式に日本領土になっています。
その後、
サンフランシスコ講和条約で
1952年に日本が被占領国家から
独立国家と認められました。
しかし、
その時に
尖閣諸島を含む沖縄県は
アメリカの統治下に置きますと発表されています。
その時に中国は尖閣のことについて何も言わなかった。
この時点で
領土は沖縄に含まれるわけだとされています。
しかし、
1969年に国連の世界資源調査で
東シナ海の尖閣諸島の海洋資源が無尽蔵に埋まっていると
報告が有った。
当時の日本では資源のない国ということで
意識が統一されていたので
否定が国民の不信を招く恐れからか
当時の日本は何もできなかった。
そして、
1972年に沖縄が日本に返還され
尖閣も日本に戻ったのです。
その後、
降ってわいたように
莫大な資源がほしいために
中国は
尖閣は中国領土だと言い出したというのが歴史の事実です。
領土というより
資源がほしいというのが中国の本音でしょう。
そんな尖閣を政府はずっと放置したままで
個人の土地を借用するという形で維持してきました。
国有地に買い上げ
日本国の国益のために
中国を排除する努力を明確化すれば
もっと違った形が出たかもしれません。
しかし、
中国漁船衝突事故以来目立った行動を取ってこなかった政府
それに業を煮やした東京都知事
それでこういった形で行動に出たのではないでしょうか。
みっともないのは
その後に
東京都が買うなら国が買っても良いという議論が出ていました。
政治家の劣化が進んでいる証拠のようで
残念でなりません。
この事件も
上の原子力と同じようで
早く行動すると全体が動くようです。
繋がっているのでしょうか。
次に亀岡の事件。
業務上(自動車運転)過失致死致傷罪という
普通の交通事故と同じように
事故処理しようとしているようです。
通学路をいつものように歩いていて
母親と小学生と胎児を
いきなり居眠りしていて殺しておいて
新しくできた危険運転致死致傷罪で
より重い刑罰を与えられると思っていました。
しかし、
テレビで法律家がアホみたいなことを言っていました。
「条文にある運転の技能のないもの
にはあたらず、無免許運転を繰り返していたことで
技能は有していると判断される、だから適用は難しい」
社会通念上
通学路を集団で通学しているだけで
無免許で居眠りして10人以上殺傷して
危険運転に当たらない・・・などということが有って良いのでしょうか。
これが判例になってしまったら
社会の秩序を守るために制定されている法律が
一部の専門家の遊び道具に(パズル)に
成り下がってしまうのではないでしょうか。
文字を面白おかしく屁理屈を並べて解釈し
社会通念と社会常識から逸脱して適用されるなら
屁理屈を上手に言ったもん勝ちになってしまう。
真実はいつもひとつ
法律は社会通念や社会常識に適応すべきです。
また、
無免許運転で以前に無免許運転で補導歴が有り
それにも拘わらず常習的に無免許運転を繰り返し
今回の犯行に至ったようです。
反省が無い。
こういった人間は少年法で守る価値も無く
甘えているだけで
厳罰に処すべきでしょう。
即時極刑でも良いと思います。
人権という言葉がよく出てきますが
亡くなった胎児や妊婦の人権はどうなるのでしょうか。
小学生の今後の人生は誰が取り戻せるのでしょうか。
人は過ちを犯すものです。
ミスのない人間はいません。
だからこそ
罪を悔い改める時間と
再起のための謝罪と反省及び刑罰が有るわけです。
しかしながら、今回の加害者は
意味が違います。
常習犯です。
反省の余地も無く
悔い改めることも無かった。
こういった人間を
税金で養う(刑務所)必要は無い。
即時極刑で十分です。
本当に過失だけで送検となると
世間に対する影響が大きすぎると思います。
少年法の範囲内なら
無免許運転でも
事故を起こしても
匿名で処理され
服役も短期間で
出所しても誰にもばれないと思われる。
そんなことを思いながら
記事をさらに読んで行くと
警察官が
加害者の親が被害者に謝罪したいからとのことで
連絡先を教えてしまったと出ていました。
守秘義務のある公務員には有り得ない失態・・・。
私も15年公務員していましたが
個人情報だけは本当にきつく管理していました。
なのにこの警察官は何をやっているのでしょう。
非常に残念です。
ただ、こういった問題が出てくるのは
世間の誰もが持っている可能性であって
いつ何時当事者になり
時には加害者側に回るかもしれないということです。
彼らにしてみれば
子供の非を謝りたいと願い出た親は
結局は
自己の欲求を満たしたいだけで
相手の立場に立ってものを考え行動するという
思慮に欠けた
精神的に大人になり切れていない人物で、
警察官は
懇願され、どうしても気の毒になってしまって
個人情報を渡してしまったと言っていますが
愛する家族が殺され
常軌を逸している精神状態にある被害者遺族のことを
普通に考えると
加害者の関係者が現れたら復讐心に火が付き
二次的犯罪が行われる可能性が非常に大きいことは
すぐにわかりそうなこと・・・。
結局この警官も
自分がかわいくて
懇願された人のために役だったと
訳のわからない満足感を得るために
自己満足したかった
精神的に大人になり切れていない人物だったのでしょう。
しかし、
今の世の中
こういった自己満足型兼欲求直進型の人が
実に多くなりました。
携帯電話の車内通話を遠慮してとアナウンスされても
掲示が有ってもお構いなしに実行する。
子供から大人まですべての年齢で男女問わずです。
ゴミはどこでも捨てるし、
映画館でも平気でしゃべる、メールする。
どこでも化粧するし、
先日は飛行機の隣の席で
香水をシュッシュッとしよった。
ツケマしてるだけでも驚きだったのに
世の中ここまで落ちたかと失望してしまった。
いじめをなくそうとか
絆を大事にとか言う割に
人が集まれば誰かの悪口や愚痴を言ってるし・・・。
自分を大きく時には偉く見せるために
高級ブランド品を見せびらかし
高級な嗜好の自慢話に終始し
または攻撃、批難を繰り返し自己を高めている人が
実に多く存在する。
運転してても
隙間が無いのにどこでも割り込んでくるし
ブレーキ掛けなければ
衝突していることかなりある。
左折車優先にもかかわらず
必ず右折車が割って入って来る。
歩道のない狭い道でも
携帯電話しながら運転してるヤツが必ずいる。
横断歩道で無いのに
いきなりJウォークしてきたり
自転車の無謀な車線変更や傍若無人な横断、
信号無視や一通の逆走など数え切れない。
すべてにおいて
誰もが一度はやったことが有ることでしょう。
だからこそ
当事者になる可能性が
誰にでもあるということなのです。
被害者だけで無く
知らない間に加害者になっていたり
気付かぬうちにほう助していたり
本人はその気が無くても
必然的に事故が起こったり
だれでも当事者になる可能性があるのです。
どこか自分には関係ないと
マスコミで知った事件や報道をみて
あの人が悪い、
だからダメだとか
せつな的な感想に終始し
その事件や報道の背景は
ワイドショーで取り上げられたり
コメンテイターの意見を
まるっぽ信じきったり
考えなかったりするのが日常・・・。
人は個人のエゴの中で生きているものです。
ワガママという意味ではなく
自己の意志のままに
それが正しいと思い込み
行動しているという意味です。
人が多く集まれば
社会というものを形成し
秩序というものを維持するために
法律や常識・道徳というものを生み出す。
エゴは誰にでも有るもの・・・。
ただ、
それが通用するのは
“許されているだけ”であって
決して“正しいこと”ではない
と私は思うのです。
これだけ多くの人が生を営み
平和な世の中が当たり前で
価値観が多様化して来た昨今・・・
何でも選択できる自由が
当たり前のように広がっている昨今・・・
喜ぶべきことであると同時に
多様化したが故に
迷いが生まれたのも事実・・・。
迷いは不安を増大させ
あげく
自分の価値観を他人に押し付け
否定されることを恐れ
攻撃や批難に終始し
他人を貶めることでしか
自己の価値観を見いだせなくなってしまった。
そんな人が増大しているように感じます。
エゴの押しつけが多くの価値観の中
自分の考えだけが正しいと考え、
周りとの価値観の共有を排除し
尊重するという理念を構築することなく
人間の本来の思考力を
合理性、経済性に置き換えられ
批難されないこと
少数派や批判者を異と認識し
排除する関係を是とする社会認識を
流通させてしまった。
本来の多様性と自由な選択は、
多くの血が流れ獲得した「崇高な憧れ」だったはずのに・・・
「幸福」をもたらすはずだったのに・・・
単に「乏しい」だけの
多様性と自由のそれになってしまっている。
自己のエゴの正当化が
すべての価値観に優越してしまっているからなのか・・・。
人には人の気持ちなどわからない。
仕方のないことなのだろうか・・・。
学校教育では相手の気持ちになってと
しきりに教師は子供たちに説き伏せます。
本当にわかるのでしょうか。
分かった風に自己満足しているだけのことでは。
同じ経験をしたものしか絶対にわからない
同じ経験をしていても
本当のその人の心に内は
本人にしか分からない。
それも事実です。
だからといって
自己のエゴを押し通すことが
個人の自由の範疇にはいるのでしょうか。
自己の行動が正しいのではなく
社会の中で生活して行く上で
“ただ許されているだけ”ではないでしょうか。
中には
不愉快に思っている人が
いる場合もあるということです。
無意識で相手を傷つけ
卑しめることをやってしまっている。
だからこそ
人は思慮深く行動しなければならず
時には先を読み
目の前の不平不満や
泣き脅しなどに対抗して
その場から逃げたいという自己満足と
闘わなければいけないと思うのです。
一時的に許されているだけだと
認識し自己責任を
常に負うことを覚悟しなければいけないと思うのです。
個人情報を流してしまった警察官は
嘆願に負けてしまい
相手の希望をかなえて自己満足することを
選択したのだと言っているのです。
世の中のテレビのドラマなど
ほとんどが復讐がテーマであって
必殺シリーズやサスペンスドラマなど
恨みと復讐がなければ
成り立たないくらいの人間の普通の感情です。
それを分かって無いところが恐ろしい・・・。
精神的に大人になっていない
自己満足型人間が増加中ということでしょうか。
先のことを考えて行動できない人が増えているのでしょうか。
原発の処理がなかなか進まないのも
こういったタイプの人が多いからなのでしょうか。
価値観の多様性のために
自己の価値観を押し通すために
批難することに終始し
共有することを排除してしまっている側面はないだろうか・・・。
祇園の自動車無謀運転殺人事件も同じで
てんかんの持病を隠して車を運転し
タクシーと接触事故を起こして
パニックになって逃走し暴走
挙句の果てに
轢き殺して殺人を仕出かしてしまった。
結局
これも先を考えずにした行動の結果で
就職という難題に行き詰って
嘘で固めて手に入れたため
メッキがはがれてしまったようです。
多様化しすぎて
選択の幅が広くなりすぎて
逆に視野が狭くなって
嘘で固めた保身が
身の破滅を呼び込んでしまったのではないでしょうか。
他人の人生をも巻き添えにして・・・。
最後に
フランス大統領選挙・・・。
社会党のオランド氏が29%で第1位。
第2位が
27%現職国民運動連合サルコジ氏。
ミッテラン氏やシラク氏が2期務めたように
サルコジ氏も2期目を狙いましたが
過半数を獲得できず
1位、2位の決選投票となりました。
どうやら
オーランド氏の社会党が政権を取りそうですが
過半数に近い数で1位、2位が決まれば問題なかったのすが
1位ですら29%という低支持で
3分の1にすら達せず
単独与党での政策運営は難しく
日本同様の
“ねじれ状態”か連立政権になりそうです。
今後かなり混乱しそうなフランスの政治です・・・。
中でも驚いたことは、
今回の選挙の第3位が
「国民戦線」のルペン氏となっているところです。
前回選挙までは
極小政党だったはずなのに
今回は
なんと18%近く得票があり
大躍進を遂げています。
大混乱振りが垣間見えますね・・・。
しかも、
この国民戦線という政党・・・、
確か極右政党のはずでは・・・。
現代西洋民主主義ではなく
戦争前の
保守的西洋国家を理想に掲げているはず・・・。
ユーロ圏の現代西洋民主主義の理想系として
連合したヨーロッパ各国。
ギリシャの財政破たんで浮き彫りになった嘘っぱち政治・・・。
各国の財政赤字、
不景気経済の長期化など
こういった問題から
EUユーロの西洋理想国家が
内部から崩れて来ている兆候なのかもしれません。
かなり危険な兆候ではないでしょうか・・・。
東ドイツやポーランド、
ギリシャなどを含めた弱い国家を助けて
ヨーロッパ全体を統合し
助け合おうとしていたはず・・・。
その理念と
人口減少懸念から
移民を受け入れたものの
更に問題が増幅し・・・。
すべてが間違いだった・・・。
フランス国民は、
古き良き時代に、
昔に戻ろうという理念を
抱き始めているのでしょうか・・・。
古き良きフランス・・・。
「そんな時代に戻ろう」
そんな政党に
18%も得票数がある・・・。
今のような金融不安や財政不安が続くと
次期選挙では第一党になるかもしれません。
恐るべしフランスです。
EUが崩壊する危険性がかなり高くなっています。
ついでに出しますが・・・
同じようにアメリカ大統領選も今年です。
現職オバマ氏と
共和党ロムニー氏のどちらかが選ばれる模様です。
しかし
ロムニー氏は富裕層の候補者です。
昨年冬ニューヨークのウォール街で
格差社会是正を掲げて民衆暴動事件がありました。
1%の富裕層が
99%の市民を支配し得をしていると訴えての暴動だったはず。
オバマ氏は
医療保険制度改革など弱者救済制度を前面に出してきましたが
上手く行きませんでした。
それなのに
共和党は
富裕層のロムニー氏が候補者に選ばれるのはどうしてだろうか。
疑問に思っていました。
日本と同じように
政治家の劣化が起こっているのか
潜在的なアメリカ人の気質
“成功するか、落ちぶれるかは
個人の責任であって、
成功するものは、幼少から努力し、
勉強して来たからそうなるのである。
よって成功し強いものは賞賛され
弱い者は努力が足らないからなのだ”ということ。
ロムニー氏はボンボンかもしれませんが
少なくとも仕事で成功した人。
そういった人が候補者になるということは
潜在的なアメリカ人の嗜好に戻ろうとしているのではないでしょうか。
フランスの極右政党ルペン氏躍進と
アメリカ二大政党制の片方の大統領候補が
富裕層のロムニー氏ということを考えると
長引く先進国の不景気の動向が
他の先進国も含めて
「古き良き時代に戻ろう」という
一種の回顧主義的まやかしの世界に
引きづり込もうとしているのかもしれません。
本来なら
99%の一般市民の味方になる施策を打ち出し
慣例のキリスト教信者から候補者を出すはず。
それが出来ない・・・。
社会的根本から
アメリカ自体が何か
変わって来たのかもしれない・・・。
というより
以前のような強大国で
世界のリーダーでは無くなって来たのかもしれません。
中国が
南シナ海の資源を目を付け
ベトナムに喧嘩を売って
共同開発にこぎつけたように
尖閣も同じつてを踏むかもしれんせん。
アメリカが弱くなって来たなら
沖縄県などの基地問題も
縮小して行くべきではないでしょうか。
アメリカに引き上げてもらうということです。
抑止力という言葉ももしかすると
今後の対中国との関係では
独自に強気に取り組む必要が出てきているのかもしれません。
上でも触れましたが
この関係の抑止力で核が必要と考えている理論があるかもしれません。
そのために平和利用を隠れ蓑に
原子力を維持したいというなら
それはそれで正論なのかもしれません。
確かにこの考え方は
極論かもしれません。
何度も繰り返しますが
他者を批判して自己を正当化する
自分の価値観に合わないものをやみくもに排除してしまう
現在の衝動にかられ
せつな的に判断してしまう
そんな感情が支配する人間が多くなったため、
価値観の多様化を受け入れられず
共有や尊重といった感情を排除するということが
起こってしまったのではないでしょうか。
かといって
行動を起こさなければ
日常は始まりません。
人は行動を起こせば誰かを味方につけ
賛同を得る。
が、しかし、どこかで誰かが傷つき
反感を買う・・・
それが誤解であっても
誤解かどうかも確認されず日常は過ぎて行く。
平衡感覚バランスが難しいと・・・。
私が思うに・・・
あくまで個人的見解ですが。
価値観の共有と尊重を持ってすれば
基本的に物事が進みやすくなると思うのです
なぜなら
原発再稼働にしても廃止にしても
全部一緒では無く
場所に応じて行うことができるようになるからです。
たぶん
とある田舎町では
原発の恩恵は計り知ることが出来ないくらい大きいでしょう。
危険性は十分承知の上で
それでもなお再稼働したと考えている人は大勢いることでしょう。
その人達にとっては原子力は
科学技術の一部でしかないからなのです。
そういう価値観を持っている人もいると言うことなのです。
放射能は危険なのは分かっています。
では
農薬はどうなのでしょうか
先にも触れましたが
農薬漬けバナナをダイエットと称して
毎日食べることは危険ではないのでしょうか。
また
亀岡の事故で未成年が無免許で車を運転した事件で
その契機を考慮して
自動車が無免許でエンジンが掛かることがおかしいと
何故議論が涌かないのでしょうか。
こんにゃく畑では
お年寄りや幼児がのどを詰まらせるのは
こんにゃく畑が悪いとなり改善させられました。
エンジンが免許なしで掛かる方が悪いと何故ならないのか。
免許証をICチップ化して
鍵では無く
そのICカードと指紋認証でしか
エンジンが掛からないようにするとか
そういった価値観を持った人もいると言うことです。
価値観の多様化を認め受け入れ
誠意を持って尊重することを前提にすれば
皆がそれぞれの役割を演じることが
簡単になるのではないでしょうか。
映画を例に取ってみれば
皆が主役では映画は成り立ちません。
相手役、敵約、脇役、エキストラなど
裏方も含めて
皆が役割分担をしっかり演じるから成り立つのです。
皆が主役主役と目立ちたがっては
良い脚本も台無しです。
良い作品などできるわけがありません。
相手の価値を認めることは
自分の価値も認めると言うこと
そのうえで
どういう役を演じれば良いか
全体の構成もおのずと見えてくるもの。
自己の価値を
他人に押し付けることで
自己の価値観を見出すものが多いと
みんなが主役を演じたがり
物語は成立しません。
どうしょうもない陳腐な自己満足なものしか
出来上がりません。
完成を見ずに出来あがらないかもしれません。
日本には1億2千万もの多くの人が
それぞれの自己の役割を演じています。
主婦を演じたり
看護師を演じたり
学生を演じたり・・・。
それぞれが所属する組織の中で
みな自己の役割を演じていると
私は考えています。
そこの組織で通用する社会通念の上において
他者の価値観を受け入れ尊重し
そのうえで
自己の役割を演じていると考えています。
しかし、
そこで起こる事件(日常的であれ、非日常的であれ)
その事件を
否定的な批難に終始し
価値観の共有が崩れてしまったら
皆が自分の役割を演じることが出来なくなって行きます。
なぜなら
人間は自己のエゴが自身を支配しているからです。
演じていた役割の崩壊が始まるのです。
人を動かす原動力が
エゴを中心に変わり
自己防衛、自己正当化が始まるからです。
役割の重要な部分はは
自分が周りの人の価値観を受け入れ尊重するが故に
その組織での役割が生まれ
その役を誠意を持って演じることで
その組織の構成員から同じように
価値観の共有と尊重を受けられるからなのです。
日常的な議論やちょっとした喧嘩はあっても
すぐに修正が効くのは
役割が明確になっているからなのです。
その関係の崩れを修復したり
他の異組織との関係を新規に構築するには
やはり価値を共有し尊重するしかありません。
高度な議論や討論がなされることでしょう。
こういった考えもあるということです。
普段の私とは違った考えが
食事をしていて浮かびました。
世の中
多くの人が文句を言わず、黙々と
価値観の共有と尊重のために
自分の役を演じ頑張っているのです。
50人のクラスが有って
担任教師は1人。
手の掛かる問題児は2~3人。
いじめや不登校、暴力、犯罪行為など・・・。
しかし、
残りの47~48人の生徒は
問題行動を取らないからといって
まじめな生徒で片付けて良いのでしょうか。
その他大勢の生徒も
個々の人間であり
日々悩んでいるし
葛藤と戦っている。
それぞれ皆違った考えを持っているし
皆大変なのです。
問題を起こさないから黙っているからといって
決めつけはいけません。
同じように
原発問題にしても
国や委員会、電力会社は
中央の机上の理論に終始しています。
福島には福島の事情が有り
現地で有効な事故処理を行い
大飯は大飯、
敦賀は敦賀と地元の人が中心になって
別に考えてはどうでしょうか。
琵琶湖という存在が有る以上
周辺の街だけでは済まされない地理的な事情もあるわけで
そこに住む人にはそこの人の価値観が存在する・・・。
大飯は稼働、敦賀は廃炉というように
別の方向性を示すのも良いかもしれません。
地元の意向他
それを踏まえたうえで
それでもなお全国一律で
国が寸分たがわず管理規定すると言うならば
それはそれで許される範囲の正論だと思います。
国からの補助を受け
国の責任にしているのですから。
。。。。
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