今日もまた歩いています。
しとしと降る梅雨の日の午後は
人のいない海軍壕公園の展望台が心地いい。
観光客が多い時もありますが
基本的に人があまりいない。
小禄交差点から坂道を登って行くとトンネルがあり
そこの横にある歩道階段を上がるとすぐに公園入口が見えます。
展望台まで少々階段があり・・・・・
夏場は夕刻になるとハブが出たりします。
展望台へ到着。
やはり人はいません。
独占状態でしばらく那覇の街並みを見学・・・・。
しばらく見物して展望台下へ向かい・・・・。
壕の中に入る入口があります。
中は有料ですが展示スペースは無料です。
戦争中の貴重な写真が数点展示してあり
時間が過ぎるのを忘れるくらい見いってしまう・・・
気持ちがつらく、悲しくなる・・・・
そんな思いに駆られている自分を振り返ってみて
いろいろな思いが頭の中を過りました。
沖縄・・・・
今は観光地としていろいろな人が訪れるこの街。
美しく華やかな観光地というイメージとは異なり
本州等各地に住む若者は
実は
計り知れない非常に悲惨で惨い歴史と
表裏一体となっていることをイメージしていない。
この街には
65年ほど前に実際に
この沖縄という日本の国で起こっていた戦争という出来事が
街の各所で見られるのです。
「戦争の歴史の跡」と
ひとことに言ってしまうのはあまりに簡単すぎる。
街かどに捨てられたペットボトルや
お菓子の屑などを見ていて
悲惨な体験は
歴史上のいちページとして
風化してしまいそうな昨今・・・。
沖縄だけでなく
関東大空襲も
広島長崎の原爆も
軍隊が行ってきたであろう外国での行為他様々な歴史も含めて
終戦の日や
原爆の落ちた日だけが
戦没者を追悼する日なのでしょうか。
それではあまりに寂し過ぎる。
私がなぜ沖縄の街を一人で歩き回るのか
なぜ日本を旅して回るのか・・・。
実は、沖縄だけではなく
日本の街が今現在どれだけ発展して
どれだけ多くの人が
いろんな暮らしをして今という時代を
生きているか見たいからなのです。
戦時中などの資料は図書館などで見学できます。
数少ない映像資料や写真、
文献などいろいろ読みました。
この国では
65年前にはすべてが疲弊し荒廃していたのです。
荒廃していたのは
建物や国土だけでなく
人の心も荒廃していたのです。
当時の陸軍上官が唱えて
兵士を鼓舞していた言葉に
武士道を謳った「葉隠れ」という書の一節
“武士道とは死ぬことと見付けたり”
があります。
それを曲解して
帝国軍人はサムライである
サムライなら潔く死んで来い
そう言って戦地に送り出していたのです。
本来の「武士道」の意味は
死ぬこと・・・ではない。
私利私欲のためではなく
他人(ひと)のことを思いやって
ひとのために死ねること
つまりは
思いやりを持ち
ひとのこころに寄り添い
世のためひとのため役に立って「生きよ」という意味なのです。
日本国のために
特攻など
帰ることは許されない作戦を
甘んじて受け入れ
祖国のために死んでいった何万の兵士がいたのです。
特攻は志願兵のみと
ある書籍には書いてあったけれど
拒否すれば
激戦地へすぐに送られるか
軍法会議で死刑か
残された家族は誹謗中傷され非国民と差別させたのです。
行くも残るも死しか待っていなかったのです。
言うなれば
「人命軽視の思想」が
全国民の中にあったのかもしれません。
あったというよりは
そう思わざる負えない状況だったのかもしれません。
あたかも
現代の陰湿ないじめの中で
周りの人たちがいじめに加担することは
悪いことだとわかっていても
恐怖で思考能力が低下し
見て見ぬふりをするかのごとく・・・。
何もかもが荒廃して行ったのです。
マスコミ(新聞)は嘘の情報を国民に伝え
心裡を隠し偽りの愛国心を植え付け
ひとを壊していったのです。
荒廃は戦後も続き
マスコミは
戦前とは間逆の思想に変説し
戦前のすべてを否定し
「愛国心」を悪のごとく論陣をはり
日本国民の自信と誇りを欠落させた。
戦前の戦争と軍部の過ちを正すという名目で
愛国心を持つことを間違いだとした。
結果
今でも日本人の心には
ある種の荒廃が残り続けているような気がします。
荒廃から立ち直ったというが
日本の国を愛すること、
日本の国民であることに
自信と誇りを主張することが
なにか悪いことのように少なからず思うようになってしまった。
国旗を掲げ
国歌を歌うことが
まるで罪であるかのような主張をする輩までいる。
自らを軽蔑し
自己否定を心のどこかに持ち
近隣諸国におもねる態度になってしまった。
他にそんな国が世界にあるでしょうか。
時代が流れ・・・
世界一位の経済大国になった・・・。
2010年、
お金さえあればほぼ何でも手に入ります。
お腹がすけば
24時間どこでも何か食べることができます。
自転車、車、バイク、バス、船、
飛行機、電車様々な交通手段があり
どこへでも行くことができます。
テレビ、インターネット、書籍、
ラジオ、新聞など情報は簡単に入手できます。
レジャー、グルメ、スポーツ何でも自由にできます。
65年で信じられないくらい進化しました。
以前の私は
こういった目で見える世界だけが
現実だと思っていました。
文化が発展してどんどん便利になって行くことが
普通に感じていたのでした。
それは10代20代ずっと同じでした。
おいしくないものは食べない、
新しいものはとにかく試してみて
面白くなければすぐに捨てるといった具合に
使い捨てが当たり前でした。
歴史とか遺産とかまったく興味がなく
終戦記念日に黙とうなんかしたこともなかった。
冷淡で
どこかとっつきにくい感じのしていた私は
表向きは好青年を演じていましたが
実は
女遊びとギャンブルが生活の中心でした。
自分を出すのが怖くて
周りの大人の言う安定と成功を信じて
それを演じることが協調性で
社会に受け入れられることの条件と思っていました。
また、要領が良かったので
何でも無難にこなせたため
就職氷河期も苦労せず公務員になれ
何不自由なく
人の言う安定な成功した人生が設計できた。
人生が幸せとか不幸とか
考えることすらなく
その日が楽しければそれでよかった。
人間関係にも
基本が人間嫌いで
冷淡かつ独りが好きだったため
有能でできる人間とは付き合うが
できない人間とは付き合わないという
信じられない冷淡な部分があり
それを人に悟られないように
隠す技術を持っていました。
更に、友情など存在しないとさえ思い
また人を尊敬したり
信頼したりなどまったくしていなかった。
そんな人間が
32歳を過ぎたある日のこと・・・
ひどい頭痛で苦しんでいるところを助けられた。
ひどい人間なのに・・・
そんな人物なのを知ってて
そばにいてくれた人が助けてくれた。
脳血栓・・・。
たぶん死んでたでしょう。
でも処置が早く死ななかった。
死ということが
現実に目の前にぶら下がると
心が真っ白になる。
そして、死の場面が夢のように浮かび上がる。
病院で家族にみとられる死、
突然事故で亡くなる死、
自殺する死、
ホスピスでひっそり死ぬ死、
殺される死、
死刑になる死、
自宅で孤独死する死、
いろいろな死が目の前に浮かんでくるのです。
いつかは死ぬ。
ではどうやって死のうか。
病院のベッドの上でか・・・。
そんなことを
考えているうちに
驚異的に病気は回復してしまった。
少しの後遺症であとは何ともない。
本当の自分を知られるのが嫌で
逃げるように病院を後にしました・・・
普段の生活に戻っても
死のことが頭から離れない。
そんなとき
今井雅之さんの演劇
「ウインズ オブ ゴッド」を観ました。
現代の漫才師が戦時中へタイムスリップし
特攻隊員になってしまうという物語。
そのころから
戦死という言葉が頭から
離れなくなってしまいました。
今まで興味のなかった歴史分野に
手が出るようになりました。
そんな中・・・、
見せかけではあったけど
現実に自分が作り上げた生活は
ここに存在するわけで・・・
今まで積み上げてきた将来の人生設計や結婚、仕事、
社会関係ほか、いろいろ築いてきたすべてが
突然の死で奪われることへの絶望と恐怖に
襲われるようになりました。
人の本質を考え始めました。
本音をひた隠しする自分を
どうすれば許せるのか・・・
考えはじめました。
そんな時ふと思い起こすのは・・・
こんな人間でも愛してくれる人はいました。
こんな人間でも頼りにしてくれる人はいました。
こんな人間でも信頼してくれる人はいました。
しかし、突然訪れる死が
その人たちを苦しめるのではないか・・・。
「独りになりたい」
「独りが良い、独りが好き」
「人は嫌い」
と思い続けていた
こんな冷淡な人間が
思いつくはずが無いこんな言葉が
何故、思いつくのか・・・
不思議でした。
愛してくれたことへの
感謝なのでしょうか・・・
そういう思いが
日に日に大きくなり
リセットして
ゼロからの出発を
考えるようになりました。
仕事も何もすべて、
どこかで区切りをつけて
厭世に入って行き
人生をフェイドアウトしようと
思うようになりました。
昔の私はその時に死にました。
古い過去の自分は死にました。
そして今・・・
以前は気もつかなかった社会の発展の中に
自分が存在していたことが
この上なく幸せに思えるようになったのでした。
自分の足で歩けること、
字が読めること、
ごはんを食べることができること、
乗り物に乗れること、
海が見れること、
なんでも自由にできる今の時代が
とても幸せに思っている自分が
ここにいるのです。
フェイドアウト・・・
もちろん他にも要素はありました。
介護の悲惨な現場だったり・・・
転機はいっぱいありました。
話を戻して・・・・
私はそのことが
とても幸せに思えて仕方がないのです。
ある意味感謝をしているのでしょう・・・。
人として日本に生まれ、
この国の歴史を
時間がある限り体験して行きたい
そんな思いが心を満たしました。
図書館や資料館で
昔の写真や映像を見て、
今のその同じ場所を見ることができる
ということが幸せなのです。
幸せいっぱいなんですが
首相批判やいろいろ
ブログには少し支離滅裂なことも書いていますが
それは独り言ですのでお許しください。
そんなことを思い浮かべつつ
海軍壕を後にしました。
夕飯にいただいたソーキそば
とてもおいしかったです。
感謝の気持ちを込めて
「ごちそうさまでした」
そして、また明日もどこかの街を歩きます。
。。。。。