久しぶりに自宅に帰って来て
今日のネットニュースを観ていると
「花嫁修業は二ートですか?」という記事が目に付きました。
お見合いや婚活などで
女性側の職業の欄でよく使われる
「家事手伝い」という言葉があります。
この言葉も以前から非常に違和感が有りました。
花嫁修業って何なのでしょうか。
家事手伝いって何なのでしょうか。
家事を手伝わないとまわらない家族って、
小さい子供が10人くらいいるのでしょうか。
家族介護の必要なお年寄りが2人いるとか・・・。
花嫁修業・・・
何を修行するのでしょうか・・・
ニュースを読んでいると
なにやら
「料理の作り方とか掃除とか洗濯などいろいろ」とありました。
はっきり言って
おかしな話です。
必要に迫られると
そんなこと誰でもできる。
私は自分で何でもできます。
アイロンも料理も洗濯も掃除も何でもできます。
同居人がいた時も
自分でやっていました。
私が先に帰ってきたら夕飯の支度もしていました。
お仕事でも
高脂血症や骨粗しょう症などの
予防健康料理栄養教室の担当で
栄養士と一緒に料理教室しましたし
後のエプロンなどの洗濯も一人で対応しました。
家事くらい
なんとでもなるのです。
花嫁修業中の家事手伝い・・・
結局は何か「肩書き」がほしいからの
ごまかしでしかないように思うのです。
無職でいいでしょ。
中には違う人もいるでしょうが
ほとんどの人はニートでしょ。
私はシングルマザーで立派に子育てして
家事も仕事も立派にやってのけた方を多く知っています。
彼女たちは
驚くほどの業務量をこなし
立派に生きて来られました。
昨今の多くなる離婚状況を鑑みて
果たして
花嫁の修業といわれることに時間を消費して
若い人生の大事な時間を無駄に使って
結婚が成り立たなくなった場合
どうするおつもりなのでしょうか?
将来
旦那になる方の会社も傾くかも知れないのに・・・
親のお金もいつまであるか・・・
インフレなど懸念される現状
先行きは不透明です。
生きる術は
どんな時も身につけていないと
人に頼る人生は結局のところ
責任転嫁しか残っていないように思うのです。
人に頼れる人というのは、
自分がどこを助けてほしいか
理解することが出来、
どの部分を助けてほしいのか
発言できる人、
それが「人に頼れる人」だと思うのです。
自分を理解するには
自分の限界と能力を知らねばいけません。
自己解析力です。
人に頼ることは
決して逃げているのではありません。
自己解析力は
若いころから
いろいろな経験を積まないと身につきません。
何もできない大人になって
「やみくもに助けてください」では
なかなか助けてくれる人が少ないのが世の中です。
それを知る機会も無く生活出来て来たのなら
幸せと感じるか不幸せと感じるか
人それぞれでしょうが
私は不幸せだと思います。
人生の機微を実感する機会を
自ら捨てたとしか思えないからです。
また、多くの機微を実感した人は
同じように年輪を重ねた友を見つけることが出来るのです。
その機会も逃してしまって
人生の幸せを
半分以上自分の手で摘み取ってしまって
とても残念に思うからです。
(きっと友の意味もわからないでしょうね・・・)
。。。。
今日のネットニュースを観ていると
「花嫁修業は二ートですか?」という記事が目に付きました。
お見合いや婚活などで
女性側の職業の欄でよく使われる
「家事手伝い」という言葉があります。
この言葉も以前から非常に違和感が有りました。
花嫁修業って何なのでしょうか。
家事手伝いって何なのでしょうか。
家事を手伝わないとまわらない家族って、
小さい子供が10人くらいいるのでしょうか。
家族介護の必要なお年寄りが2人いるとか・・・。
花嫁修業・・・
何を修行するのでしょうか・・・
ニュースを読んでいると
なにやら
「料理の作り方とか掃除とか洗濯などいろいろ」とありました。
はっきり言って
おかしな話です。
必要に迫られると
そんなこと誰でもできる。
私は自分で何でもできます。
アイロンも料理も洗濯も掃除も何でもできます。
同居人がいた時も
自分でやっていました。
私が先に帰ってきたら夕飯の支度もしていました。
お仕事でも
高脂血症や骨粗しょう症などの
予防健康料理栄養教室の担当で
栄養士と一緒に料理教室しましたし
後のエプロンなどの洗濯も一人で対応しました。
家事くらい
なんとでもなるのです。
花嫁修業中の家事手伝い・・・
結局は何か「肩書き」がほしいからの
ごまかしでしかないように思うのです。
無職でいいでしょ。
中には違う人もいるでしょうが
ほとんどの人はニートでしょ。
私はシングルマザーで立派に子育てして
家事も仕事も立派にやってのけた方を多く知っています。
彼女たちは
驚くほどの業務量をこなし
立派に生きて来られました。
昨今の多くなる離婚状況を鑑みて
果たして
花嫁の修業といわれることに時間を消費して
若い人生の大事な時間を無駄に使って
結婚が成り立たなくなった場合
どうするおつもりなのでしょうか?
将来
旦那になる方の会社も傾くかも知れないのに・・・
親のお金もいつまであるか・・・
インフレなど懸念される現状
先行きは不透明です。
生きる術は
どんな時も身につけていないと
人に頼る人生は結局のところ
責任転嫁しか残っていないように思うのです。
人に頼れる人というのは、
自分がどこを助けてほしいか
理解することが出来、
どの部分を助けてほしいのか
発言できる人、
それが「人に頼れる人」だと思うのです。
自分を理解するには
自分の限界と能力を知らねばいけません。
自己解析力です。
人に頼ることは
決して逃げているのではありません。
自己解析力は
若いころから
いろいろな経験を積まないと身につきません。
何もできない大人になって
「やみくもに助けてください」では
なかなか助けてくれる人が少ないのが世の中です。
それを知る機会も無く生活出来て来たのなら
幸せと感じるか不幸せと感じるか
人それぞれでしょうが
私は不幸せだと思います。
人生の機微を実感する機会を
自ら捨てたとしか思えないからです。
また、多くの機微を実感した人は
同じように年輪を重ねた友を見つけることが出来るのです。
その機会も逃してしまって
人生の幸せを
半分以上自分の手で摘み取ってしまって
とても残念に思うからです。
(きっと友の意味もわからないでしょうね・・・)
。。。。
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