今回の地震、原発事故で、被害にあわれた方々に、
お見舞い申し上げます。
2011年3月11日。
ちょうど、10日が過ぎました。
やっと、ブログを書く気持ちになりました。
2011年3月11日、その日、わたしは、筑波山の北側の
「茨城県フラワーパーク」に「河津桜」を、スケッチに行き、
筑波山の尾根つたいに、帰宅途中でした。
・・・・この写真。
ラジオをつけていたので、地震速報を聞き、
見晴台に車で少しの間、避難しました。
こんな大きな地震とは分からず、帰宅を急ぎ、
筑波山を車で走っていると、道路は、ひび割れだらけ。
まだ、その時は、事の重大さに気づかず、
「道路に『ひび』が、いっていて、整備状況が、良くないなぁ。」
ユラユラ揺れる中、左右崖状態の道路を、走行するのは、
かなり怖かったのですが、前に進むしかないので。
20分ほど走ると、道路には、数箇所、2メートル位ある岩などが、
落下していました。
この時、不思議に恐怖感は、なく、
「アレ、落ちてる。」
今、思い返せば、よくもまぁ、落下の岩にぶつからなかったと。
尾根のほうが、まだ、安全だったのかもしれません。
その後、筑波山神社付近に、やっとたどり着いたら、
塀は、崩れているし、旅館の方々が、外に出ていました。
その時ですら、事の重大さが、理解できず、
筑波山の山のふもとの美味しいお饅頭屋さんに寄り、
栗饅頭など購入しましたが、
お店の方々、みなさん、外に出ていらっしゃいました。
山から降りて、つくば市内に行ったら、
ものすごい渋滞。
その時は、分からなかったのですが、停電で、
信号機が、作動していなかったのですね。
どうにか家にたどり着いたら、連れ合いが、帰宅していました。
家の中は、メチャクチャでした。
ネコのことが心配で、探しましたが、
一匹は、見つかったものの、もう一匹は、数時間
見つかりませんでした。
ネコ、二匹は、ずっと震えていました。
今回、被災地になった茨城県北部に、
長男がおりますが、連絡が取れたのは、11日の夜。
安否と避難所の場所は、確認できたものの、
その後、まったく連絡が取れませんでした。
また、次男は、就職活動で、都内。
この息子は、まったく、連絡が取れず。
次男は、渋谷から秋葉原まで歩いてきたものの、
つくばへの電車が止まっているので、どうにか一夜を
明かし、次の日、別ルートの電車で、途中まで帰宅したところを、
つくばから、車でお迎えに行きました。
カレは、今住んでいるところが、被害にあったところなので、
帰宅できずにいます。
長男と、どうにか連絡が二日後取れたので、
ガソリンも、スタンドで並んでやっと入手し、
つくばから車で迎えに。
我が家の周辺は、11日から、停電二日。
水道も、3日出ませんでした。
しかし、友人数人から「井戸があるから、使って。」と、
申し出て下さいました。
感謝でした。
個人的なことですが、長男が、3月末、
引越し予定でした。
また、次男が、就職活動中。
二人とも、どうにかなるとは思いますが、
落ち着かないことは、事実です。
また、北の方なので、原発のことも気になります。
連れ合いは、「このような時こそ、絵を描くんだよ。」と
言ってくれますが、なかなか描けませんし、
家の中も片付きません。
ブログも書けなかったのですが、
皆さん、色々心配して下さっているので、
思い切って、書きました。
この写真は、「河津桜」
2011年3月11日の撮影です。
平和に花が咲いているのに、何が起きるか分からない。
でも、我が家の裏の中学校の「桜」は、
大きくつぼみを着けています。
余震が強く続く中ですが、明日に希望を持ち、
今、出来ることをやっていきたいと思います。
郵便局で、義援金してきました。
すぐ、できることから。
少しずつ。
早い復興を、お祈りいたします。
そして、犠牲者の方々に。
合掌。