Mayumi Itsuwa 五輪 真弓 / Tabaco no Kemuri 煙草のけむり 【恋は雨上がりのように】-言葉はさんかく こころは四角- くるり Headphone 篠原りか Billy Joel - The Stranger (Live 1977)
たまには読んできた小説の感想でも。
僕の大好きな青髭
履歴 庄司薫
1937(昭和12)年東京生れ。日比谷高校を経て、東京大学法学部卒。1958年、『喪失』(本名の福田章二で執筆)により中央公論新人賞受賞。1969年『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞受賞。著書に『白鳥の歌なんか聞えない』『さよなら快傑黒頭巾』『ぼくの大好きな青髭』『狼なんかこわくない』『ぼくが猫語を話せるわけ』『バクの飼主めざして』がある。
〇あらすじ
月ロケット・アポロ11号の月着陸の夜、若者の夢を乗せた葦舟ラー号が沈んでいく。突然自殺を図った同級生高橋の「親友」として、熱気渦巻く真夏の新宿に飛び込んだ薫が知ったのは、若者の夢と挫折を待ち受けて消費し発展する現代社会の真相だった。そんな時代をなお愛し続けなければならないのか…。「豊かな社会」へと向かう時代を、若者の切実な視点で描いた不朽の青春小説。
〇レビュー
庄司薫については「赤頭巾ちゃん気をつけて」などで、中学校時代から知ってはいた。しかし、その時は少女小説の作者のような名前とタイトルから自らその小説を手に取ることはなかった。
夢中になったのは大学時代のことである。一緒の下宿に住んでいた先輩から勧められて仕方なく読んだのであるが、その饒舌的な文章や主人公の心理描写に魅かれたのだった。
庄司薫の名義で著された小説は『赤頭巾ちゃん気をつけて』『白鳥の歌なんか聞えない』『さよなら快傑黒頭巾』『ぼくの大好きな青髭』の四編(赤・白・黒・青シリーズ)で、1978年以降、現在まで小説は発表されていない。「総退却」を決めたということだ。今回は最後の作品、『ぼくの大好きな青髭』に触れたいと思う。
舞台は1969年新宿、主人公は薫、友人の自殺未遂からその真相を探るべく新宿を歩き回るうちに「青髭」の存在に気付き全ての謎を解き明かす。このように書くと何だかミステリーぽいがそれだけではなくハードボイルドや恋愛小説的な要素もある。しかしそれらの要素を加えつつ作者が書きたかったことは「若者の夢が世界を動かす時代の終焉」だった。あるいは「新しい世界の創造に苦悩するロマンチストの若者たち」ととってもいいかもしれない。
それはこんな文章をみても分かる。
「この世界はピラミッドの集りだ。生まれ落ちたとたんから、おれたちはピラミッドに圧しひしがれている。家柄のピラミッド、貧富のピラミッド、能力のピラミッド。そして、幼稚園から大学へと連なるピラミッドの階段を、一段一段登るという形でおれたちは成長し、そのあとは会社や権力組織のピラミッドが待ち受けている。そしてその無数のピラミッドが集って出来上がっているのがこの世界で、おれたちはみんなそのピラミッドを息せききって駆け登らされ、そして自らその巨大な弱肉強食のピラミッドを作る小さな石になる。そんな世界のどこに自由があるんだ。いつの間にか、人間の文明全体がピラミッドになっちゃったんだ」
そんな当たり前のことではあるが、当時の若者たちが夢を追い、その夢を追うことがかなわなくなり、これからどうするのか改めて苦悩する心情がよく著わされているのではないかと思う。
ただこの小説はそれだけでは終わらなかった。最後の最後、「青髭」の正体が明らかになったところで「希望」を読者に与えている。その場面の描写は感動的ですらある。
ただ感動的ということであれば他の三編の方がよっぽど心に沁みる小説なのかもしれない。しかし、当時より文明が発達した現在でも未だにその当時の課題が残ったままであることを考えれば、四編の中では非常に共感しやすい小説ではないかと思う。それと言葉を縮めることが得意な今の若者にとってはこの饒舌な文体は「うざったい」かもしれない。それでももし1969年という時代に興味があるのなら一度読んでみてほしい。
庄司薫がどのような作家なのかは村上春樹の「羊をめぐる冒険」あたりを読んでいればよく分かるのではないかと思う。例えて言えば「庄司薫の従兄弟が村上春樹」と言ってもいいかもしれない。それからあの「半沢直樹シリーズ」の池井戸潤も庄司薫ファンだったらしい。
リアルでまったく正反対の書き方をする池井戸氏が?・・・・と考えると驚き以外の何物でもないが。