誕生日
2016-08-31 | 音楽
押し入れを片付けしていたら、大量のポケットアルバムが頭の上に雪崩れ込んできた。
いてっ!
私の頭を直撃したアルバム群は床に落ち、アルバムに挟んだだけの写真が見事に散らばった。
あ~あ
私は片付けをいったん止め、床に落ちた写真とアルバムを拾い集めた。
頭をかきかき床に落ちた写真を拾っていたら、一枚の写真に目が留まった。
スーツを着た私と義父と義母の三人が笑って写っている写真だ。
一体いつ撮った写真なんだろう?
私には憶えのない写真だった。
私が記憶を思い起こそうとしばらくその写真を眺めて座り込んでいると、陽子が”まあ、なんてことを”というような顔をしてやってきた。
「なに散らかしているのよ!」
「いや、押し入れを片付けていたんだ」
「片付けがなんでこうなるのよ」
「いや、ちょっと手をかけたらこうなっちまった」
「ばかねえ」
私が間抜けた顔で、説明すると陽子は仕方がないといった風に散らかった写真を片付け始めてくれた。
「ねえ」
「何?」
「この写真・・・」
私が手にした写真を差し出すと陽子は、ニヤリとして「ああ、あの時の写真ね」と手に取った。
「あの時って?」
「憶えてないの?」
「うん、憶えてない!」
私が自信を持って言うと陽子は少し驚いたような顔を私に向け、それから少し残念そうに呟いた。
「・・・・あなたが挨拶に来た日」
「えっ?」
「だからぁ、あなたが私の両親に私をもらいに来た日よ」
そう言われて、記憶が一気に蘇ってきた。
そうだ。あの日、あの時俺は陽子の実家に挨拶に行って、帰りがけに記念写真を撮ったのだった。
そんな私の様子を見ていて彼女は、まったくもう、と口を尖らせた。
私が陽子の実家に挨拶に行ったのは1993年の夏だった。
ミンミンゼミがうるさいくらい鳴いていた時期だったから間違いない。
午前中、街から山の麓にある彼女の実家まで車で40分はかかっただろうか。
車を降り、辺りを見回すと山、山、山の景色。
私はかなり緊張していて目前にある彼女の実家を凝視し、深呼吸をしたのだった。
陽子の実家はよくある田舎のタバコ屋で、正面が店になっている。
さて、どこから入ったものかと考えていると、裏手から彼女が出てきて、遅かったじゃないと言いながら手招きをした。
「10分前だぞ」
私がいうと彼女は「うちの父親はせっかちなのよ。早めに来てって言っておいたでしょ」と言い、先頭にたって私を入口に導いた。
樋口という表札が掲げられた玄関入口に立った私は緊張を解き放つ意味も込め、思い切って「こんにちは」と大声を出した。隣にいた陽子は、バカ!何を大声出しているのよ、と小声で窘めた。
「まあまあ、よくいらしたねえ。こんな田舎まで大変だったでしょう」
彼女の母親が出てきた。
「いえいえ、車だとすぐなので」
「ほー、立派な方だこと、陽子にはもったいない」
「母さん、そんなことより父さんのところへ連れてくよ。こんな挨拶さっさと終わらせたいから」
陽子がそういうと母親は、まったくもう、この娘は、といいながら私をどうぞどうぞと家に上がらせて奥の座敷まで私を連れて行ってくれた。
座敷まで行くと、陽子の父親の顔が見えた。厳格そうな父親だ。私の緊張は一気に最高潮に達した。
「初めまして、貝原亮太と申します。本日はご挨拶にお伺いしました」
テーブルをはさんで向う側に、父親。私は立ったまま慇懃に挨拶をした。
すると、厳格そうな父親はすかさず相好を崩し、「まあ、まあ、そんな気張らずに。まずは座って座って」と言った。
私は父親のあまりの変わりように拍子抜けし、少しよろけながら座布団の上に正座した。
隣に陽子も座り、さあ、さっさと済ましてよという陽子の視線を感じたので、私が話の口火を切ろうと前のめりになった瞬間、
「・・こういうときはなにからしゃべったらいいんだろう・・」
父親は誰ともなしに呟いた。
「えっ?」
「いやね、こういうの苦手だからさ。話の糸口が掴めないんだ」
「・・・・・」
「う~ん、そうだな。じゃあ、まず職業から聞いちゃおう。・・どこにお勤めかな」
「〇〇信用金庫です」
「ほぉー、大したところにお勤めなんだねえ」
「いえ、銀行さんに比べれば大したことありません」
「いやいや、大したもんだ。で、信用金庫ではなにやってるの?」
「営業です」
「営業さんかあ・・・。あれだろ、預金集めたりするんだろう?」
「ええ、まあ」
「年齢は?」
「32です」
私がとりあえず受け答えをしていると、短気な陽子は耐えきれなくなったのか、「ねえ、父さん、そんなの私が前もって話しておいたでしょ。今日はもっと別な話があるんだから・・・」と口をはさんできた。
私は陽子の言うことも、もっともだと思い、再び姿勢を正し「・・・本日お伺いしたのは」と父親の目を見た。
「・・・・私と陽子さんも付き合って一年、そろそろだと思っているのです」
「そろそろ?」
「そうです。それで今日はお父さんにお願いにあがりました」
そこまで言葉を続けたとき、陽子の父親は右手の手のひらを私の前に向けて、ストップをかけた。
「・・・・そこから先はいいよ。言うな」
「で、でも」
私が戸惑っていると、彼はもとの厳格な顔に戻った。
「・・・恐らく君はまるでドラマのごとく、あの言葉を言いたいんだろうと思う。でも、私はそれを言われたらきっと”NO”と言ってしまう。理性では分かっているんだ。理性では”YES”といっている。けれど感情では”NO”なのだ。後生だ。言わないでいてくれないか・・・。そのかわり君たちが結婚しようとなにしようと自由だ。もし君が言ってしまえば、結婚さえも危うくなる。私はそれさえも許さなくなるだろう。だから言わないでいてくれないか・・・」
彼の顔を見た。それは父親の顔だった。大事に大事に育てた自分の娘を、意地でもどこの馬の骨とも分からない奴にくれてやるもんかという親父の顔だった。
私はそれを見て、なにも言えなくなった。勇気もなくなった。
そして、なぜだかわからないが深い敗北感を感じた。
隣にいた陽子をみると彼女は茫然としている。きっと父親の突然の告白が信じられないのだろう。
失礼いたします。
私は立ち上がり、早々に退散することに決めた。
「ちょっと待って」
車に乗り込む寸前に陽子の母親が私を呼び止めた。
「ねえ、お父さんと私と写真を撮りませんか?」
こんなときになにを言うのだと思ったが、記念にと言われ、承知した。
陽子の母親は渋る夫を外に連れ出し、私たちは三人並び陽子が撮影者になった。
さあ、笑って笑って。
カシャッ
シャッター音がむなしく感じた。
「あれから、まだ君のお父さんに君をもらうことを許してもらってない」
私がいうと、陽子は尖らせた口を両端に広げてフンと笑った。
「なにが可笑しい?」
「だって、もらいようがないでしょ。父は3年前に亡くなったのだから・・」
「・・そうだったな。もう永久に許してはもらえないんだな」
「だから、私は永久に樋口家の娘」
「そりゃないぜ」
私が困惑した表情を見せると、彼女は続けてクスリと笑った。
「お父さんは俺のことをきっと嫌な奴だと思っていたんだろうな。・・どこの馬の骨ともわからない・・・」
私がそう当時を振り返りながら言うと、陽子は急に大きな声を上げて笑い出した。
「な、なに笑ってんだよ。俺はなあ、真剣にだな、お父さんから許しを得たかったんだ!」
「だって、だって、可笑しかったんだもの。あなた、写真の裏側見なかったでしょう?」
そう言って彼女は写真の裏側を私に向けた。
「どう?父の字よ」
写真の裏側、右下隅に厳格そうで実直な文字が小さく並んでいた。
我が息子、亮太。1993年8月22日誕生。
親のこころ、子知らず。だね。
陽子は泣きながらいつまでも笑っていた。
木村充揮 嫁に来ないか