UA - 水色 (Live at Shibuya Public Hall)
Toshinobu Kubota- Timeシャワーに射たれて
Pretenders - Talk Of The Town (Official Music Video)
17 Pink Sugar Elephants Vashti Bunyan
(ちんちくりんNo,56)
客はいない。本棚と本棚の間に挟まれた通路には雑誌が積まれ、狭い通路をなお通り難くしている。その先には「アルムの森のおんじ」が帳場台を前にして座っていた。薄茶色の帳場台は古く褪せ、表面に皹がはいっているせいか、触れれば、簡単に剥がれ落ちてしまいそうだ。じいさんが気づいてこちらを見たので、僕は胸の前で右掌を軽く上げ、じいさんの元へ近寄った。僕は鞄のジッパーを開いて、「リジェネレイション」を一冊出した。
「じいさん」
声をかけてみたが、返事がない。変だなと思い、もう一歩前に出て、それからそろりと二、三歩、帳場台に腕を置いて覗くように見ると、じいさんは舟を漕いでいるようだった。内に座っているじいさんは、両腕を組み背筋は真直ぐではあったが、首から上は間隔を空けて沈んだり起き上がったりを繰り返していた。目は薄目をあけているが、僕のことは認識できていないようだ。こちらを見て気づいたと思ったんだけど・・・。仕方がないので机を軽く連続して叩き、「じいさん」ともう少し強めに呼んでみた。するとじいさんは「ん」と言葉なのか息を吐いたのか分からない声を出し、ゆっくりと首を直し、ゆっくりと薄目を開けた。途端に不機嫌そうに眉間に幾筋もの縦皺をつくるいつものじいさんの表情が出来上がった。
「なんだお前か」
「なんだはないでしょ、ほら」
ぼくは帳場台の上に「リジェネレイション」を置いた。じいさんは「なんだこれは」と手に取り、表紙をじっと見詰めた。「リジェネレイション?再生とでも訳すのか」
「大学の映研でつくった本さ。初っ端に俺の小説が載ってる」
ほう。じいさんの表情が少し緩み、表紙と目次を捲ったあと手が止まった。
「"少年"」
「そう。いろいろと考えたけど、一番しっくりきた」
「いいタイトルだ。未来を感じる」
じいさんが笑った。じいさんと付き合って三年にはなるだろうか。その笑顔は優しく、見えない手が静かに差しのべられたような感覚の特別な笑顔で、三年の内でそのようなじいさんの笑顔をみるのは初めてだった。ありがとう。僕は心からそう思った。何だかとても救われた気分になったからだ。じいさんは待っていてくれた。僕が書き上げた小説を待ち望んでいたからこそ、実際に手にしたときに表れた最高の笑顔。僕は感謝するしかなかった。
「いくら払えばいい」
じいさんは本を閉じ、僕に訊ねた。いや、そんなつもりは毛頭ないのだけれど。
「まさか。それは進呈するよ」
「つくるのに金がかかっているのだろう。それなら売り物だ」
「いや、いい。ただひとつだけお願いが・・・」
「お願いとは」
「じいさんが読み終わったら、店の本棚の隅にでも置いておいて欲しい。そしてもしそれを手にした人がいたら、読みたいという人が現れたら、その人にあげて下さい」
「分かった。だが、現れなかったら?もしかしたら俺が死ぬまで現れぬかもしれんぞ」
「そのときは、じいさんと一緒に棺桶に入れて。あの世に行っても退屈しないように」
じいさんは、今度は声を出して笑った。笑い終わったあとで、本の表紙を指して「この画はかほるが描いたのかい」と訊いてきた。僕はそうですと答え、するとじいさんは、やはりな、と呟いた。かほるの姉さんをモデルにした「子供を抱いたマリア像」、当然じいさんにもわかったのだろう。そこで僕は「ところで・・・」と、「かほるのこと」へと話の流れを変えた。
Toshinobu Kubota- Timeシャワーに射たれて
Pretenders - Talk Of The Town (Official Music Video)
17 Pink Sugar Elephants Vashti Bunyan
(ちんちくりんNo,56)
客はいない。本棚と本棚の間に挟まれた通路には雑誌が積まれ、狭い通路をなお通り難くしている。その先には「アルムの森のおんじ」が帳場台を前にして座っていた。薄茶色の帳場台は古く褪せ、表面に皹がはいっているせいか、触れれば、簡単に剥がれ落ちてしまいそうだ。じいさんが気づいてこちらを見たので、僕は胸の前で右掌を軽く上げ、じいさんの元へ近寄った。僕は鞄のジッパーを開いて、「リジェネレイション」を一冊出した。
「じいさん」
声をかけてみたが、返事がない。変だなと思い、もう一歩前に出て、それからそろりと二、三歩、帳場台に腕を置いて覗くように見ると、じいさんは舟を漕いでいるようだった。内に座っているじいさんは、両腕を組み背筋は真直ぐではあったが、首から上は間隔を空けて沈んだり起き上がったりを繰り返していた。目は薄目をあけているが、僕のことは認識できていないようだ。こちらを見て気づいたと思ったんだけど・・・。仕方がないので机を軽く連続して叩き、「じいさん」ともう少し強めに呼んでみた。するとじいさんは「ん」と言葉なのか息を吐いたのか分からない声を出し、ゆっくりと首を直し、ゆっくりと薄目を開けた。途端に不機嫌そうに眉間に幾筋もの縦皺をつくるいつものじいさんの表情が出来上がった。
「なんだお前か」
「なんだはないでしょ、ほら」
ぼくは帳場台の上に「リジェネレイション」を置いた。じいさんは「なんだこれは」と手に取り、表紙をじっと見詰めた。「リジェネレイション?再生とでも訳すのか」
「大学の映研でつくった本さ。初っ端に俺の小説が載ってる」
ほう。じいさんの表情が少し緩み、表紙と目次を捲ったあと手が止まった。
「"少年"」
「そう。いろいろと考えたけど、一番しっくりきた」
「いいタイトルだ。未来を感じる」
じいさんが笑った。じいさんと付き合って三年にはなるだろうか。その笑顔は優しく、見えない手が静かに差しのべられたような感覚の特別な笑顔で、三年の内でそのようなじいさんの笑顔をみるのは初めてだった。ありがとう。僕は心からそう思った。何だかとても救われた気分になったからだ。じいさんは待っていてくれた。僕が書き上げた小説を待ち望んでいたからこそ、実際に手にしたときに表れた最高の笑顔。僕は感謝するしかなかった。
「いくら払えばいい」
じいさんは本を閉じ、僕に訊ねた。いや、そんなつもりは毛頭ないのだけれど。
「まさか。それは進呈するよ」
「つくるのに金がかかっているのだろう。それなら売り物だ」
「いや、いい。ただひとつだけお願いが・・・」
「お願いとは」
「じいさんが読み終わったら、店の本棚の隅にでも置いておいて欲しい。そしてもしそれを手にした人がいたら、読みたいという人が現れたら、その人にあげて下さい」
「分かった。だが、現れなかったら?もしかしたら俺が死ぬまで現れぬかもしれんぞ」
「そのときは、じいさんと一緒に棺桶に入れて。あの世に行っても退屈しないように」
じいさんは、今度は声を出して笑った。笑い終わったあとで、本の表紙を指して「この画はかほるが描いたのかい」と訊いてきた。僕はそうですと答え、するとじいさんは、やはりな、と呟いた。かほるの姉さんをモデルにした「子供を抱いたマリア像」、当然じいさんにもわかったのだろう。そこで僕は「ところで・・・」と、「かほるのこと」へと話の流れを変えた。