からくの一人遊び

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サカナクション / セントレイ

2020-06-19 | 音楽
サカナクション / セントレイ



David Bowie [Davy Jones & The Lower Third] - I’ll Follow You [1965 Outtake]



Lamp 空想夜間飛行



Deep Purple-Hush




昔々、もう6,7年くらい前に書いた本の個人的感想です。


私が好きな小説三篇


 始めに・・・

 今回私が読んできた過去から現在までの小説群の中から三篇を選び紹介するわけだが、実際他の人が読んでみて面白いと思うのかどうか分からない。何故なら私が読んできた小説は結構地味であり、皆が聞いたことのない作家の著作が多いからだ。
 そんな小説を何故紹介するのかと問われると答えに窮するのだが、ともかく私が読んでみて感動した小説三篇を私が紹介することで少しでも興味をもっていただけたら幸いである。


○「青猫家族輾転録」

 著者 伊井直行
 1953年、宮崎県生まれ。慶大文学部卒。小説家。初期は幻想的な作品が多いが、最近はポリフォニーの手法によって物語を裏切り、諧謔を楽しむ作風に変わってきた。『進化の時計』で1994年度平林たい子賞受賞。1996年4月より「三田文学」編集長を一年間つとめる。2001年、『濁った激流にかかる橋』で読売文学賞受賞。

 ・あらすじ

五十一歳になる「僕」、矢嶋のもとにかつて憧れていた「桃ちゃん」から連絡が入る。桃ちゃんが伝えたのは、元夫「荻田」が癌で余命いくばくもない状態であり、矢嶋に会いたいということであった。彼は会社人時代矢嶋を裏切り、窮地に立たせたかつての友人でもあった。1990年代という「失われた時代」を何とか生き抜いてきた「僕」私立の高校に通い、いじめにあったために不良化の道を辿る娘の涼。三十九歳という若さで夭折した「叔父」との思い出。これは三つの物語を見事に絡み合わせて成り立っている“大人の小説”である。

○レビュー
 この小説のジャンルは何かと問われると、「純文学」と答えるしかない。ただ「僕」という一人称を使用して語りかける手法は全編を通して、余りにも優しく、ユーモラスな一面を感じさせて、「純文学」では収まり切れない柔らかさがある。何処か「大人の童話」といった匂いを感じさせてくれたりもする。
ネットで調べてみると、「村上春樹のコピー」という言葉を見かける。
 なるほど、確かに何処か所々に「団塊の世代」の作家特有の、過去を振返り、物語を紡ぎこんでいってゆく、やや説明的なセリフ回しといった手法は似ていなくもない。
しかし村上春樹と徹底して異なるのはこの作家は「普通の人間模様」を極普通に淡々と語りかけている点にある。今までこの作家の著作を何冊か手に取ったが、話自体はどれも凡庸だ。それでも私が手に取り、読んでみようと思うのは、普通でありながら、どこか寓話的な匂いのする作風が大いに気に入っているからだ。
不良化していく娘への対応の仕方が甘くリアリティーに欠けるといった意見も見かけたが、そこまでリアルティーを追求するのは、この作家の意図するところではないだろう。
この話で、「僕」はさまざまな顔を持つ。
1. 家族における僕。妻と娘がいる。不登校の娘ともきちんと話そうと努力する。
2. 小さな会社の社長としての僕。現在の話だけではなく、かつて働いていた会社でのできごとなどにも触れる。
3. 高校生の僕。30年前39歳で亡くなったおじさんとの会話が、現在の僕にリンクする。
4. かつての同僚たちと会う僕。具体的には、ずっと会っていなかった病気の先輩と、その元妻かつ元同僚。
自分に置き換えてみると、確かにいろいろな顔を持っていることに気づかされる。職場での顔、家族に対する顔、友人に対する顔、等々、その場の状況に合わせて複数の顔を持ち合わせている。皆そうなのではないか、と思う。
最後になるが、この小説はこう締めくくられている。
「僕はいつのまにか半世紀を生きた。しかしまだ終わりではない。・・・・・・ここはまだ終わりではない」
 もっともだと私は思った。
 
 
○「友罪」


著者 薬丸岳
1969年兵庫県明石市生まれ。駒沢大学高等学校卒業。
2005年「天使のナイフ」で第51回江戸川乱歩賞を受賞。
その他の著書に「闇の底」「虚夢」「悪党」など。
連続ドラマ化した刑事・夏目信人シリーズ「刑事のまなざし」「その鏡は嘘をつく」「刑事の約束」がある。

あらすじ

―過去に重大犯罪を犯した人間が、会社の同僚だとわかったら?―
ミステリ界の若手旗手である薬丸岳が、児童連続殺傷事件に着想を得て、凶悪少年犯罪の「その後」を描いた傑作長編!
ジャーナリストを志して夢破れ、製作所に住み込みで働くことになった益田純一。同僚の鈴木秀人は無口で陰気、どことなく影があって職場で好かれていない。しかし、益田は鈴木と同期入社のよしみもあって、少しずつ打ち解け合っていく。事務員の藤沢美代子は、職場で起きたある事件についてかばってもらったことをきっかけに、鈴木に好意を抱いている。益田はある日、元恋人のアナウンサー・清美から「13年前におきた黒蛇神事件について、話を聞かせてほしい」と連絡を受ける。13年前の残虐な少年犯罪について調べを進めるうち、その事件の犯人である「青柳」が、実は同僚の鈴木なのではないか?と疑念を抱きはじめる・・・・・・(amazonより抜粋)


レビュー


 もしも、あの事件の犯人が自分の近しい友人であったら?(そんな馬鹿な話あるわけない)と思いながらも反面、(もしかしたらそういうこともあるかもしれない)という思いが拭い去れない。
 作者はそういった読者の心理を計算しつつ、スピーディーに話を進めていく。
 主な登場人物は4名。
過去に幼い子供2名を殺害した鈴木秀人(本名は青柳)。
鈴木と同一日に会社に入社した益田純一。
鈴木に異性として惹かれる藤沢美代子。
鈴木の少年院時代の担当精神科医であり、母親代わりの白石弥生。
 それぞれの登場人物もまた幾多の苦悩を抱え、もがいている。
 鈴木は、常に過去の自分の犯罪に苛まれ、完全に改善したわけではないが、必死に贖罪の気持ちを持とうとしている。それで、過去の犯した罪が許されるわけではないが、その罪に真剣に立ち向かっている様子がみてとれる。それに同期入社でジャーナリストくずれの益田が関わりあうことになるのだが、そこから先は読んでからのお楽しみということにして、それではこの作品のどこに惹かれたかというと、
1. かつての「あの事件」とその犯人のその後をテーマにしており、小説でありながら、現実の「あの事件」とリンクし、一種のリアルティをもたせている。
2. 重いテーマを扱いながらも、文章がしっかりとしていて読みやすく、一気に読ませてくれる。
3. ラストはどうなるのかという予想のできない期待感。
 これらの三点が挙げられる。
 それにしても、よくこんな重いテーマを扱ったものだと感心するが、それはデビュー当時から少年犯罪を取り扱ってきた薬丸岳だからこそできることなのだろう。
最近、「夏目シリーズ」がドラマ化されたりして、俄かに注目されはじめた薬丸岳であるが、乱歩賞作家でありながらまだまだマイナーな存在である。この作家の力量からして、近い将来には陽の目を見る日も近いのでは、と期待している。
蛇足として、この小説が刊行される一年ほど前にフジテレビ系列で、英太と満島ひかり主演の「それでも、生きてゆく」というドラマが放映されていた。こちらも「あの事件」を主軸にした作品で、暗いテーマではあるが、一種の恋愛物といってもいいような、見応えのあるドラマになっている。題名で検索してみれば動画も見られるので、暇なときにでも見て、この小説と対比してみると良いかも知れない。


○「阿弥陀堂だより」



著者 南木 佳士

1951年、群馬県に生まれる。現在は長野県佐久市に住み、総合病院に内科医として務めつつ、地道な創作活動を続けている。81年、難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴き、同地で『破水』の第53回文學界新人賞受賞を知る。89年『ダイヤモンドダスト』で第100回芥川賞受賞。

あらすじ

心の病をかかえる美智子は、夫の故郷、信州に二人で移り住む。
里山の美しい村に帰った夫婦は、阿弥陀堂というお堂に暮らす96歳の老婆おうめを訪ねる。
おうめのところに通ううちに、孝夫は声の出ない少女小百合に出会う。
彼女は村の広報誌に、おうめが日々話したことを書きとめ、まとめた「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。
素朴だが温かい人々とのふれあい、季節の美しい移ろいに抱かれて暮らしていくうちに、美智子と孝夫はいつしか生きる喜びを取り戻していく。

レビュー

 
この小説を読むことになったきっかけは、何か良い本はないかと電子書籍のホームページを開いてみていろいろな本のあらすじを追った結果、「医師であり、心の病を負った妻」という文句が眼に入ったからだった。作者である南木 佳士氏も、医師でありパニック障害を患った過去があるという。それでこれは読んでみる価値はありそうだと手にすることなったのである。
手にしたのはいいが、最初、私は最後まで読み終えるかどうか心配していた。どちらかというと、ミステリーのほうが読む機会の多い私にとって純文学であるこの小説は少し荷が重いのではないかと思ったからだ。でも、話が進めば進むほど、惹かれていった。確かに、穏やかな小説だが、でも、読んでいるうちに、心が温まり癒された。自然を描いた文章を読むと、長野県の田舎風景も頭の中に展開していき自分はその風景にいて、春の風を感じ、木の香りが匂っているような気がして、気持ちがよかったのである。
核となる人物は4人である。売れない作家の上田孝夫、医師でありパニック障害を患った妻の美智子、声の出ない小百合、阿弥陀堂というお堂に暮らす96歳の老婆おうめだ。4人がそれぞれ単独で主人公の小説にしても良いくらい魅力的に描かれており、特におうめばあさんの描き方が秀逸だ。
おうめばあさんが語る話は、一見つまらなく感じるがよく読んでみると「生と死」というものをつくづく考えさせられる。「阿弥陀堂に入ってからもう四十年近くなります。みなさまのおかげで今日まで生かしてもらっています。阿弥陀堂にはテレビもラジオも新聞もありませんが、たまに登ってくる人たちから村の話は聞いています。それで十分です。耳に余ることを聞いても余計な心配が増えるだけですから、器に合った分の、それもなるたけいい話を聞いていたいのです」というくだりは、現代の情報社会で生きている私達にとってはとても耳が痛い。
 最後にこの本を読むことによって、心が癒された気がする。すごく気持ちがよくなる。妻である美智子の描き方に期待して読み始めていた小説であるが、終わっても言葉にならない小さな感動が心に芽生えていた。
コメント
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