からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)

2024-07-18 | 音楽
フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)



Paul Heaton & Jacqui Abbott - I Gotta Praise



Shounen (From [Maki Live])ー浅川マキ



Nights In White Satin (Days Of Future Passed Live)



Sababa 5 & Yurika - A Flower Called Indica - インディカの花



Fine Young Cannibals - Suspicious Minds (Official Video)



ちょっとここで、久しぶりの小説レビュー。

今回は、

笛吹川


著者・深沢七郎
山梨県出身。職を転々とし、ギター奏者として日劇ミュージックホールに出演。『楢山節考』が正宗白鳥に激賞され、異色の新人として注目を集めた。「中央公論」に発表した『風流夢譚』に関わる右翼テロ事件(嶋中事件)後、筆を折った時期もあったが、土俗的な庶民のエネルギーを描いて独自の作品を発表し続けた。農場や今川焼屋を経営したり、ギター・リサイタルを開催したりと多くの話題を残した。他に代表作『笛吹川』『東京のプリンスたち』『庶民烈伝』『みちのくの人形たち』など。

〇あらすじ
 信玄の誕生から勝頼の死まで、武田家の盛衰とともに生きた、笛吹川沿いの農民一家六代にわたる物語。生まれては殺される、その無慈悲な反復を、説話と土俗的語りで鮮烈なイメージに昇華した文学史上の問題作。平野謙との<「笛吹川」論争>で、花田清輝をして「近代芸術を止揚する方法」と言わしめ、また後年、開高健をして「私のなかにある古い日本の血に点火しながらこの作品は現代そのもの」とも言わしめる。

〇レビュー
 もし私の息子に「これを読んでごらん」と勧めても、恐らく半分もいかないうちに読むのを諦めてしまうだろう。それほど、この小説の会話文には甲州弁が多く使われている。現代の山梨県において標準語の影響は非常に大きく、恐らく30歳位までの男女では殆ど甲州弁など使う機会などなく、語尾に「ら」とか「ずら」を付けるのがせいぜいなのではないだろうか。だからこの小説にある、もはや誰も使わなくなった甲州弁なぞを文章の中に組み入れ、突きつけられると戸惑い理解不能に陥り、最後には読む興味さえ失われてしまうのだろう。それはどういうことかというと、恐らくこれは(読んでもらいたい気持ちはあるものの)、現代の若者には不向きであり、また読む人を選ぶような小説ではないかと推察するのである。
 さて、だからといってこの小説を否定してもいいという理由にはならない。1958年、これは世に出た当初は識者に絶賛され、一般の多くの読者にも受け入られ、映画にもなった小説なのである。今はどうであれ、一読の価値はあるものだと思う。
ところで、この小説の魅力は何なのだろうか、ということである。話の筋としては、簡潔にいえば、「信玄の誕生から勝頼の死まで、武田家の盛衰とともに生きた、笛吹川沿いの農民一家六代にわたる物語」とういうことになろうが、もう少し付け足せば、「生まれては殺される、その無慈悲な反復を、説話と土俗的語りで表している」ということになる。実はこの付け足しが、この小説の核であり魅力となっている。無慈悲な反復とは文字通り、残酷な死の繰り返しということであり、つまり農民一家六代、代替わりするたびに武田家のために戦で戦いながらも、ある時は些細な罪で、またある時は罪どころかただ武田家の面子を潰しただけで殺されてしまうのである。そういう物語が、武田家の栄枯盛衰とともに淡々と流れていく。それが説話的土俗的に語られるのである。
 もうひとつ、この小説は何度か書いているように無慈悲で残酷である。人の生き死について書いているのだから当然のことかもしれないが、なのにその表現は凝っておらず直接的であっさりしている。そういう場面こそ作者の真骨頂で、物語のキャラクターに作者の思いを乗せて作者の狙い通りに物語を動かしていくのに最適で、書き込むことによって読者もまた物語に引き込まれるものである。しかしこの物語はちょっと違う。物語の中の人物たちの行動や発言にそういう外の意識に動かされたという感じがまるでしないのである。それどころか個々が思うから思い行動するという、時代が戦国時代というだけのドキュメンタリー映画のような要素が強いのである。だからこの物語には「予定調和」などという言葉は当てはまらない。説話的ではあるものの、土俗的であるが故に却って真のリアルに迫っている。そういう何ともいえない魅力がこの小説にはあると思う。
 長々と書いてしまったが、「深沢七郎の小説を読んでもらいたい」一心でここまで「笛吹川」という小説の魅力について書いてみた。他に短編多数、なかなか「食えない」小説が多いが、一度手に取ってみれば意外とその面白さに嵌ってしまうかもしれない。読む勇気を出すことをお勧めする。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする