Norah Jones - Young Blood
星野源 – 地獄でなぜ悪い (Live at Tokyo Dome 2019)
Beck - Uneventful Days
【360 Reality Audio】負けるもんか《オリジナル:BARBEE BOYS》 - 杏子 〜Augusta Camp 2024〜
Aimee Mann - "Patient Zero" (Live at WFUV)
THE BABYS『STAR LUSTER』アニメ版”Paradise Kiss”挿入歌
「現在の医療制度では病院ごとの役目に沿って、いかにベッドコントロールを円滑に進めるかが大切である。義理や人情で動かせるものは思っている以上に少ないのかも知れない」
これは私の母が肺結核で入院したときに嫌というほどに感じたことである。
某病院での三か月の入院をあと何週間かで終えようとしていた頃、母の体内の結核菌は完全に駆逐されていたが、その代わり肺の機能は相当に衰えていた。
だから、起きて歩こうにも数歩で息が切れ時間をおいてとぎれとぎれに歩くのが精いっぱいだった。
そこで私はリハビリが必要だと感じ、リハビリとして入院延長か関連施設でリハビリ入院とかは出来ないかと、病院に相談した。
すると退院に際して審査を致しますのでそこで無理となったら考えましょう、と言われた。
「退院に審査?」と私は驚いたが、医者の前で何メートルか歩いてみせたり軽い運動をしてみせるだけだと言われて私は「それなら」と思い、少なからず安堵した。
当日、母は「審査員」となった医者たちの前で、歩いてみせたが、やはりところどころで看護師長が抱きかかえないと連続して歩くことは無理だった。看護師長は抱きかかえながら、医者たちへのアピールなのか「ほら、歩けますよね。ね」としきりに口に出していた。
結果、「可能」とされ退院だということに決定した。私は自分の主張が通るものだと思っていたのだが……。
結局は介護認定してもらい、週3日、2時間ほど自宅に介護士さんに来てもらうことになった。緊急のときは関連病院に連絡して入院措置をとるということにした。
三か月後、母は亡くなった。
急激に肺呼吸が困難になり、関連病院に入院。最後は誤嚥性肺炎とのことだった。
この病院での処置はお世辞にも良いものとは思えなかった。
ただ栄養剤を点滴してあとは絶食させるだけ。
日に日にやせ衰えていく母を見ていて、「このままではまずい」のでは、という私に医者の返事は栄養剤を与えていますからというだけで、実際には何が起こってこういう「治療」をしているのかのはっきりした説明がなかった。
その後誤嚥の検査をしましょうと言われてそこで初めて誤嚥性肺炎の疑いがあったのかと知った。
検査の結果、食事「可」になったが、その二週間後母は、結局誤嚥性肺炎で亡くなったのだった。
ー悔いがある。何に、と言われたら「自分の判断」にである。
全ては義理や人情で動かせるものと思っていた。
最初の某病院で要求が通らなかったのは、ベッドコントロールを円滑に進めるためだということは薄々感づいていた。
関連病院は「恐らく終末病院のようなものなのだ、巷の噂では訊いていたのに」(あくまでも個人的見解)ということにも。
それらのことに気づいていながら「適切な判断」が出来なかった。
これらは一生忘れられない悔いとして、ある。
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「現在の医療制度では病院ごとの役目に沿って、いかにベッドコントロールを円滑に進めるかが大切である。義理や人情で動かせるものは思っている以上に少ないのかも知れない」
これは私の母が肺結核で入院したときに嫌というほどに感じたことである。
某病院での三か月の入院をあと何週間かで終えようとしていた頃、母の体内の結核菌は完全に駆逐されていたが、その代わり肺の機能は相当に衰えていた。
だから、起きて歩こうにも数歩で息が切れ時間をおいてとぎれとぎれに歩くのが精いっぱいだった。
そこで私はリハビリが必要だと感じ、リハビリとして入院延長か関連施設でリハビリ入院とかは出来ないかと、病院に相談した。
すると退院に際して審査を致しますのでそこで無理となったら考えましょう、と言われた。
「退院に審査?」と私は驚いたが、医者の前で何メートルか歩いてみせたり軽い運動をしてみせるだけだと言われて私は「それなら」と思い、少なからず安堵した。
当日、母は「審査員」となった医者たちの前で、歩いてみせたが、やはりところどころで看護師長が抱きかかえないと連続して歩くことは無理だった。看護師長は抱きかかえながら、医者たちへのアピールなのか「ほら、歩けますよね。ね」としきりに口に出していた。
結果、「可能」とされ退院だということに決定した。私は自分の主張が通るものだと思っていたのだが……。
結局は介護認定してもらい、週3日、2時間ほど自宅に介護士さんに来てもらうことになった。緊急のときは関連病院に連絡して入院措置をとるということにした。
三か月後、母は亡くなった。
急激に肺呼吸が困難になり、関連病院に入院。最後は誤嚥性肺炎とのことだった。
この病院での処置はお世辞にも良いものとは思えなかった。
ただ栄養剤を点滴してあとは絶食させるだけ。
日に日にやせ衰えていく母を見ていて、「このままではまずい」のでは、という私に医者の返事は栄養剤を与えていますからというだけで、実際には何が起こってこういう「治療」をしているのかのはっきりした説明がなかった。
その後誤嚥の検査をしましょうと言われてそこで初めて誤嚥性肺炎の疑いがあったのかと知った。
検査の結果、食事「可」になったが、その二週間後母は、結局誤嚥性肺炎で亡くなったのだった。
ー悔いがある。何に、と言われたら「自分の判断」にである。
全ては義理や人情で動かせるものと思っていた。
最初の某病院で要求が通らなかったのは、ベッドコントロールを円滑に進めるためだということは薄々感づいていた。
関連病院は「恐らく終末病院のようなものなのだ、巷の噂では訊いていたのに」(あくまでも個人的見解)ということにも。
それらのことに気づいていながら「適切な判断」が出来なかった。
これらは一生忘れられない悔いとして、ある。