写真:以前映画で見た、硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima)より、栗林忠道中将に扮する俳優の渡辺謙。
栗林忠道中将は国際事情にも明るく
米国に留学していたこともあり米国と日本の経済力の差は歴然であることを
熟知していて対米開戦には反対の立場だった。
そのことが軍部からの不評を買うことになり
二度と生きて帰ることのできない硫黄島前線に送られることになる。
硫黄島で圧倒的な兵力のアメリカ軍と死闘を繰り広げた栗林忠道中将指揮による
日本軍将兵と、祖国日本に残された家族らの想いが描かれる
もはや勝ち目のない戦争と知りながら1日でもアメリカ軍の日本本土への上陸を
遅らせるために36日にも及ぶ死よりも苛酷な持久戦が始まった。
なぜか、私のこころと感応し気になった写真なので掲載しました。
忘れかけていた志、本当の幸せとは
昨日、寝不足もあってかオフィスの椅子にもたれて
ウトウトしていると、
(意識はあるのだが疲れて目があかない。)
なにやら私の潜在意識のなかに別の意識らしきもの
が入ってきた。
その意識らしきものが言うのには、あなたは
本来の志、使命を忘れたのかと、私の心のなかへ語りかけている
(夢ではないことはわかる。しかし姿は見えないのものの気配は感じる)
それはどのようなことかと尋ねると、武士道である。
それはどのようなことか、
その意識(魂)らしもの(おそらく武士か軍人であろうと直感的に思った)
が、あなたは商人として成功することが本当のあなたの使命ではない
あなたの座右の銘に
士魂商才とあるも、あくまでも商は手段であり本当のあなたの目的ではない。
士と生きるのが本来のあなたの目的である
その士とは何か、それは「武士とは人のために死ねることだ」
(なにか、「山本常朝の葉隠」の一説にでてきた言葉のようだが)
その武士らしき意識(魂)とわたしの意識(魂)とが対話している
自分のだけのことで生きるのではなく、人の幸せのために生きる
ことが本来あなたに与えられた使命である。
人の幸せのために生きることがあなたのこの世での本当の幸せである。
あなたはかつてもそのような志で生きてきたはずである。。
いまや、この日本国は最大の好機でもあり、危機でもある
好機とは本当の意味で自立国家となれる時に来ていることであり
そのことは一方で隣国からの脅威もあるこである。
意識(魂)とが対話でわたしの心底で閉ざしていた熱い志(武士道)というものが
ふつふつとよみがえってきた。
私は死ぬことについてはあまり恐怖を抱かない。なぜなら以前から
武士・軍人として生きてきたような気がするからである
いつか人は誰でも死に至るし
すべては無常のなかにあり、この世のすべては時とともに変化し形あるものは
いずれはすべて消滅する。
ただ、自分がいかに生きてきたかが問題なのだと、その意識(魂)
は気づかせてくれた。
自分のためだけなのか
多くの人の幸せのために生きたのか。
多くの人のために生きることがあなたの本当の幸せである。
死を考えて生きよ。と
なにものかと感応したようだ。。
私の潜在意識から先生のあの時の言葉がよみがえった。
「百年ハ一瞬ノミ、君子素餐スルナカレ」
立志は特異をとうとぶ
俗流はともに議し難し
身後の業を思わず
しばらく目前の安きをぬすむ
百年一瞬のみ
君子粗餐することなかれ (吉田松陰)
(訳)
志を立てるためには人と異なることを畏れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思いわずらうな
また目先の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように
忘れかけた志か蘇る
↓
夢・情熱、あなたの想いが未来を創造する。
株式会社ユナイテッドコンサルティングファーム(UCF)
起業家精神が日本を元気にする
栗林忠道中将は国際事情にも明るく
米国に留学していたこともあり米国と日本の経済力の差は歴然であることを
熟知していて対米開戦には反対の立場だった。
そのことが軍部からの不評を買うことになり
二度と生きて帰ることのできない硫黄島前線に送られることになる。
硫黄島で圧倒的な兵力のアメリカ軍と死闘を繰り広げた栗林忠道中将指揮による
日本軍将兵と、祖国日本に残された家族らの想いが描かれる
もはや勝ち目のない戦争と知りながら1日でもアメリカ軍の日本本土への上陸を
遅らせるために36日にも及ぶ死よりも苛酷な持久戦が始まった。
なぜか、私のこころと感応し気になった写真なので掲載しました。
忘れかけていた志、本当の幸せとは
昨日、寝不足もあってかオフィスの椅子にもたれて
ウトウトしていると、
(意識はあるのだが疲れて目があかない。)
なにやら私の潜在意識のなかに別の意識らしきもの
が入ってきた。
その意識らしきものが言うのには、あなたは
本来の志、使命を忘れたのかと、私の心のなかへ語りかけている
(夢ではないことはわかる。しかし姿は見えないのものの気配は感じる)
それはどのようなことかと尋ねると、武士道である。
それはどのようなことか、
その意識(魂)らしもの(おそらく武士か軍人であろうと直感的に思った)
が、あなたは商人として成功することが本当のあなたの使命ではない
あなたの座右の銘に
士魂商才とあるも、あくまでも商は手段であり本当のあなたの目的ではない。
士と生きるのが本来のあなたの目的である
その士とは何か、それは「武士とは人のために死ねることだ」
(なにか、「山本常朝の葉隠」の一説にでてきた言葉のようだが)
その武士らしき意識(魂)とわたしの意識(魂)とが対話している
自分のだけのことで生きるのではなく、人の幸せのために生きる
ことが本来あなたに与えられた使命である。
人の幸せのために生きることがあなたのこの世での本当の幸せである。
あなたはかつてもそのような志で生きてきたはずである。。
いまや、この日本国は最大の好機でもあり、危機でもある
好機とは本当の意味で自立国家となれる時に来ていることであり
そのことは一方で隣国からの脅威もあるこである。
意識(魂)とが対話でわたしの心底で閉ざしていた熱い志(武士道)というものが
ふつふつとよみがえってきた。
私は死ぬことについてはあまり恐怖を抱かない。なぜなら以前から
武士・軍人として生きてきたような気がするからである
いつか人は誰でも死に至るし
すべては無常のなかにあり、この世のすべては時とともに変化し形あるものは
いずれはすべて消滅する。
ただ、自分がいかに生きてきたかが問題なのだと、その意識(魂)
は気づかせてくれた。
自分のためだけなのか
多くの人の幸せのために生きたのか。
多くの人のために生きることがあなたの本当の幸せである。
死を考えて生きよ。と
なにものかと感応したようだ。。
私の潜在意識から先生のあの時の言葉がよみがえった。
「百年ハ一瞬ノミ、君子素餐スルナカレ」
立志は特異をとうとぶ
俗流はともに議し難し
身後の業を思わず
しばらく目前の安きをぬすむ
百年一瞬のみ
君子粗餐することなかれ (吉田松陰)
(訳)
志を立てるためには人と異なることを畏れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思いわずらうな
また目先の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように
忘れかけた志か蘇る
↓
夢・情熱、あなたの想いが未来を創造する。
株式会社ユナイテッドコンサルティングファーム(UCF)
起業家精神が日本を元気にする
猛暑お見舞い申し上げます。
本年初頭、貴ブログにて「法道院/埼玉南部/初見君の件」で種々御指導いただきました、法義寺支部の輪島です。その節は誠にありがとうございました。
実は今年7月、初見君は悪性リンパ腫にかかり、「余命一年」を宣告されました。
これを「道心」の絶好のチャンスとして、木村男子部長と連携して初見君のバックアップに努めております。
実は私は昨年8月、法道院様の預り信徒としての許可を頂いているため、時折法道院様の行事にお誘いを受けまして、参加する事がございます。先日=8/7の壮年セミナーにも新来者/佐藤さんをお連れして参加させていただきました。
この時の事なんですが、セミナー終了後、本堂をお借りして折伏をしておりました。他にも多々折伏のグループがあったにも関わりませず、御主管・八木御尊能化様がわざわざ私のところに来て下さいまして、畏れ多くも直々に折伏して下さいました。今、佐藤さんは、ほぼ入信の決意をしておりまして、今月中には御授戒を受ける予定でございます。
その時、御主管・八木御尊能化様は初見君のことについては、「病気」ではなく「病魔・魔物」というお言葉を強く御指導下さいました。
私にとりましてもこの日のことは忘れる事のできない日になりましたが、佐藤さんの口からも「生涯忘れる事ができない日となりました」と連絡がありました。一日も早く御授戒を受けさせまして、共に歩んで行こうと思っております。
さて、前置きが長くなり題名とズレてしまいましたが、私は数年前から「起業」の土台作りをしてきました。私がやろうとしていますのは、業態としては「フード」になりましょうか、知的財産(オリジナルのもの)を持っているので、テイクアウトの事業を始めようと考えて来ました。
中々、初代で業の深い私ですので、これまでの人生は病気、経済、事故、等々、種々の災難がふりかかり、イバラの道でした(複数の同志から数千万円の金銭詐欺にあってその返済に負われたり、自己破産したりと・・)。
起業しようと思って「さぁ!」と立ち上がってもそれを阻む(これが正しかったのかも知れませんが)出来事・宿業により、転倒の繰り返しでした・・・。
やっと齢41才にして、なんとなく「時」を感じました。信仰の上から「自然な智慧・流れ」に任せるのがよいのか、否、風任せではなく、精進の中から一歩一歩進めて決断すべきなのか、今、自分の信心がためされているような気が致します。かつ、むしろ「法のため」、そろそろ起業せねば、という感覚すらございます。これがいいのかはわかりませんが、今迄に無い不思議な感覚なんです。
今、ここにコメントをさせていただいておりますのも、お気持ちをどうしてもお伝えしたくなってのことでございます。
とりとめなくすみません、私何ぞは谷治様に比べたら足下にも及びませんが、
谷治様が起業された時は、どのようなお気持ちだったのでしょうか・・・。
先ほど投稿したコメントは、
もしかしたら内容的に、公にすべき内容ではなかったかもしれません・・。
お気持ちをお伝えしたきに余りまして、思わず投稿いたしましたが、貴ブログ内容に相応しくないと御判断されましたら、反映なさらないでいただければ幸いでございます。
申し訳ありません......。
今後ともよろしくお願い致します。
輪島 眞明
rufunet@ybb.ne.jp
そのことを決定づけたのは
「起業家、坂本竜馬の士魂商才」
で綴ったように
いかに大きな志や理想があったとしても、
現実にそこにあっては常に人・上士(上司)にコントロールされている立場にある。
自分と異なる思想をもった上士(上司)といえども、その命令は(己の志に反したとしても)従わなければならないだろう。人生の大半の時間をそこに費やす。
このことが動機で起業したものの当初1年は
さまざまな障害が目の前に立ちはだかり
もはや、これまでか!と思っているときに、
そのたびに
何処からだか協力者や支援して下さる方が現れ
いくつもの障害を乗り越えられました。
このことは
当社のスタッフも驚いています。
(私は信心をしているからだ、と言いますが
本人は解っていますが奥さんや家族の反対が
あって入信には至りません)
このようなことが度重なると、なにかあっても
必ずの乗り越えられるという確信に変わり
起業6年目になりますがいまや私もスタッフも悠々としています。
ご多忙中失礼致します。
2010-08-12 09:17:10
コメント中の
の佐藤さんが、
去る9月12日 13:00、法道院・法難会
において無事御授戒を受ける事ができました。
入信前から一生懸命お題目を唱えていたせいか、早くも初心の功徳にて、ビジネスで、願っても無い大きな舞台をいただくことができ、本人も喜んでいます。
試練はこれからだと思いますが、共々常精進いたしたいと思います。
おめでとうございます。
佐藤さんにもお伝えください、
くれぐれも油断なきように
油断していると思わぬ落とし穴がありますので
試練これからと思っているくらいが
いいかもしれませんね