最近、よく夢を見るようになった。夢と言っても現実の夢ではなく
睡眠中の夢のこと。
その夢は以前にたま見る同じような光景で私は鎧をつけ馬に乗っている、
手には日本刀のような剣を持っている
戦国時代なのかわからないが先日の夢はかなりリアルで
大軍ではない、たぶん2、3百人ぐらいの鎧をつけ馬に乗っている武士か?
私はその先頭にいる。小雨も降り注いで蒸し暑い、夢でもなんとなくそれはわかる
小高い山にいて急な斜面?崖?の先には敵の陣営とおぼしきものがみえ
どうやらそこに突進するらしい。私が「天は我が味方にあり
(あと何か言ったみたいだがよく覚えていない)」と言うと2、3百人ぐらいの
鎧をつけ馬に乗っている武者とその急斜面というより崖を敵陣に向かって
突進していった。どうやら奇襲をかけたらしいが、それ以降のことは良く
覚えていない。
なぜ、最近このような夢を見ようになったのか私もわからない。
あまりにも不思議なのである方に話したら、その武将はあなたの過去世の姿ですよ、
といわれたがそれまで私は仏教徒であっても過去世なるものはあまり信じていなかった。
穏やかな私がそんなことをするはずなどないだろう
そんなことは誰にもわからないだろうと思っていたが、
この世の中には人知ではとうてい計り知れないことか沢山あることも事実。
しかし、
よくよく思量してみると、夢のことはともかくとして
いま現在の自分の状況、環境(家庭、職業などの生業、人間関係など)
は過去世からつづいているもので、それはちょうど夜眠りについて朝起きても
昨日ののことの続きであるのとおなじで、たとえば昨日悪いことをしても
翌朝それが消えてなくなることはなく、やはりその善行も悪行も因として
残るのと同じだと気付いた。因果の理法から考えるならば過去世からの
宿業というものは誰しももって生まれている、その過去世からの宿業が
現在の自分の姿、性格、環境、能力として顕れている。
誰しも少なからず命に癖、宿業(善業・悪業罪障)を
持っていると思う末法は業が深き荒凡夫の衆生。
その結果、現世でいろいろなことで苦しむ
日々過去の罪障を消滅するために信仰に励んでいるのもそのためで
正しい信仰で人を幸せに導くことにより、
自らの宿業を転換することができると確信している。
(絵:休息する武将)
睡眠中の夢のこと。
その夢は以前にたま見る同じような光景で私は鎧をつけ馬に乗っている、
手には日本刀のような剣を持っている
戦国時代なのかわからないが先日の夢はかなりリアルで
大軍ではない、たぶん2、3百人ぐらいの鎧をつけ馬に乗っている武士か?
私はその先頭にいる。小雨も降り注いで蒸し暑い、夢でもなんとなくそれはわかる
小高い山にいて急な斜面?崖?の先には敵の陣営とおぼしきものがみえ
どうやらそこに突進するらしい。私が「天は我が味方にあり
(あと何か言ったみたいだがよく覚えていない)」と言うと2、3百人ぐらいの
鎧をつけ馬に乗っている武者とその急斜面というより崖を敵陣に向かって
突進していった。どうやら奇襲をかけたらしいが、それ以降のことは良く
覚えていない。
なぜ、最近このような夢を見ようになったのか私もわからない。
あまりにも不思議なのである方に話したら、その武将はあなたの過去世の姿ですよ、
といわれたがそれまで私は仏教徒であっても過去世なるものはあまり信じていなかった。
穏やかな私がそんなことをするはずなどないだろう
そんなことは誰にもわからないだろうと思っていたが、
この世の中には人知ではとうてい計り知れないことか沢山あることも事実。
しかし、
よくよく思量してみると、夢のことはともかくとして
いま現在の自分の状況、環境(家庭、職業などの生業、人間関係など)
は過去世からつづいているもので、それはちょうど夜眠りについて朝起きても
昨日ののことの続きであるのとおなじで、たとえば昨日悪いことをしても
翌朝それが消えてなくなることはなく、やはりその善行も悪行も因として
残るのと同じだと気付いた。因果の理法から考えるならば過去世からの
宿業というものは誰しももって生まれている、その過去世からの宿業が
現在の自分の姿、性格、環境、能力として顕れている。
誰しも少なからず命に癖、宿業(善業・悪業罪障)を
持っていると思う末法は業が深き荒凡夫の衆生。
その結果、現世でいろいろなことで苦しむ
日々過去の罪障を消滅するために信仰に励んでいるのもそのためで
正しい信仰で人を幸せに導くことにより、
自らの宿業を転換することができると確信している。
(絵:休息する武将)
カルマという言葉がありますが、苦しんで、きえるのなら、もし、信仰して、幸せなら、それは、消えないままなのかなって、色々と、考えたりも。どうなんでしょうか?