対して「正しい霊感」というのは、このような霊が見えたり霊視したりというものではないのです。
星椎水精先生のコラムに紹介される体験談を読むと、「皆さん本当によく見えているな」と驚かされることが多々あります。
これも「正しい霊感がある」からこそですが、中には霊能者以上に見えている人も多く、「すごいな〜」と思えてしまいます。
しかし、必ずしも「見える」ことは、それほど重要なことではないそうです。
私自身、アトランティス教会に参列させて頂き、目の前で星椎水精先生の浄霊に同席させていただくことがありますが、こんなに近くにいても、何も見えないことが結構あります。
浄霊時に「明るい!」というのは十分わかるのですが、それだけの時も多く、それでもたまに見せて頂ける時があります。
例えば、龍神上げの儀式の最中、目を閉じて瞑想していると、目の前で透明な龍神様が、ものすごい勢いで天井に上がっていかれる姿を見せていただいたり、霊界へと運ばれるお名前が見えたりと。
ですが、先にも書いたとおり、見えないことも多いのです。
その旨を星椎先生に言うと、
「見えなくてもいいんだよ」
と言われます。
この意味を、長い間自問自答しておりました。
「見えなくてもいいとは、どういうことなのだろう?」
「霊能者以上に、遠隔の浄霊でもの凄くよく見えている人が大勢いらっしゃるけれども、そのほうがすごいのではないのか?」と。
しかし、最近ハッキリとこの理由が理解できるようになりました。
まず一つに、見えること云々よりも、大事なことは、星椎水精先生がおっしゃるように「成仏したことがわかればいい」のです。
浄霊後に、だるかった体が楽になったり、気持ちが清々しくなったり、と以前との変化に気づくことができたりすることが、まず重要なのだと思います。
そして、意外な事ですが、見えるからと言って、その人が必ず浄霊が受けられるわけではないのです。
著書「SUPER浄霊」に、このようなお話がありました。
あるよく見える霊能者の魂だけを星椎水精先生が魂だけを後ろに向かせたところ、自分の背後に夥しい数の先祖霊がいるのが見えたと言っているお話です。
先祖が成仏しておらず、背後にたくさんいるのが見えていながら、その人は星椎水精先生の浄霊を申し込んでこられなかったのです。
それだけ見えているにもかかわらず、なぜ浄霊を申し込んでこないのか、とても不思議でしょうがありません。
如何に霊の姿が見えようとも、浄霊をしなければ何のための「力」なのかわかりません。
不思議なことに、もの凄く見える人で、星椎水精先生の力を理解している人でも、浄霊はほとんど進まないということも実際にあります。
ですから、霊が見えることと浄霊とはほとんど関係がないといえるのです。
それよりも、仮に霊の姿が見えないとしても、先祖さんが成仏していないことを理解し、そして浄霊を申し込み、成仏を実感できる末裔の人の方が、よっぽど浄霊を前に進めていけるし、レベルが高いと言えます。
そしてなにより、「良い結果」がついてきています。
カン違いしている人も多いですが、「霊が見える=レベルが高い」わけではないのです。
姫路さんがおっしゃいます。
「見えるから浄霊が理解できるのではなく、『心があるから』ご供養が進められるのです」と。
見えることよりも、心があって浄霊を理解できることのほうが、遥かにレベルが高いというのは、こういうわけです。
星椎水精先生がおっしゃる「見えなくてもいいんだよ」という意味が少しは理解していただけるのではないでしょうか。
星椎水精先生のホームページ:先祖供養
携帯版はこちら
見届け役:姫路さんのブログ:こちら
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星椎水精先生のコラムに紹介される体験談を読むと、「皆さん本当によく見えているな」と驚かされることが多々あります。
これも「正しい霊感がある」からこそですが、中には霊能者以上に見えている人も多く、「すごいな〜」と思えてしまいます。
しかし、必ずしも「見える」ことは、それほど重要なことではないそうです。
私自身、アトランティス教会に参列させて頂き、目の前で星椎水精先生の浄霊に同席させていただくことがありますが、こんなに近くにいても、何も見えないことが結構あります。
浄霊時に「明るい!」というのは十分わかるのですが、それだけの時も多く、それでもたまに見せて頂ける時があります。
例えば、龍神上げの儀式の最中、目を閉じて瞑想していると、目の前で透明な龍神様が、ものすごい勢いで天井に上がっていかれる姿を見せていただいたり、霊界へと運ばれるお名前が見えたりと。
ですが、先にも書いたとおり、見えないことも多いのです。
その旨を星椎先生に言うと、
「見えなくてもいいんだよ」
と言われます。
この意味を、長い間自問自答しておりました。
「見えなくてもいいとは、どういうことなのだろう?」
「霊能者以上に、遠隔の浄霊でもの凄くよく見えている人が大勢いらっしゃるけれども、そのほうがすごいのではないのか?」と。
しかし、最近ハッキリとこの理由が理解できるようになりました。
まず一つに、見えること云々よりも、大事なことは、星椎水精先生がおっしゃるように「成仏したことがわかればいい」のです。
浄霊後に、だるかった体が楽になったり、気持ちが清々しくなったり、と以前との変化に気づくことができたりすることが、まず重要なのだと思います。
そして、意外な事ですが、見えるからと言って、その人が必ず浄霊が受けられるわけではないのです。
著書「SUPER浄霊」に、このようなお話がありました。
あるよく見える霊能者の魂だけを星椎水精先生が魂だけを後ろに向かせたところ、自分の背後に夥しい数の先祖霊がいるのが見えたと言っているお話です。
先祖が成仏しておらず、背後にたくさんいるのが見えていながら、その人は星椎水精先生の浄霊を申し込んでこられなかったのです。
それだけ見えているにもかかわらず、なぜ浄霊を申し込んでこないのか、とても不思議でしょうがありません。
如何に霊の姿が見えようとも、浄霊をしなければ何のための「力」なのかわかりません。
不思議なことに、もの凄く見える人で、星椎水精先生の力を理解している人でも、浄霊はほとんど進まないということも実際にあります。
ですから、霊が見えることと浄霊とはほとんど関係がないといえるのです。
それよりも、仮に霊の姿が見えないとしても、先祖さんが成仏していないことを理解し、そして浄霊を申し込み、成仏を実感できる末裔の人の方が、よっぽど浄霊を前に進めていけるし、レベルが高いと言えます。
そしてなにより、「良い結果」がついてきています。
カン違いしている人も多いですが、「霊が見える=レベルが高い」わけではないのです。
姫路さんがおっしゃいます。
「見えるから浄霊が理解できるのではなく、『心があるから』ご供養が進められるのです」と。
見えることよりも、心があって浄霊を理解できることのほうが、遥かにレベルが高いというのは、こういうわけです。
星椎水精先生がおっしゃる「見えなくてもいいんだよ」という意味が少しは理解していただけるのではないでしょうか。
星椎水精先生のホームページ:先祖供養
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