先週まで連日、深夜に放送していたある海外の時代劇のドラマを見ていました。
最終回まで長い道のりでしたが、ようやく終わりました。
架空の物語なのですが、簡単に説明すると、政府が腐敗して悪徳な官僚がはびこり民衆が苦しめられているので、正義感の強い人たちが悪い役人たちをやっつけていくお話です。
その中で戦闘シーンがいくつも出てくるのですが、悪人だけでなく、残念なことに正義の味方もどんどん死んでいきます。
死に際に、「来世でもまた・・」といって息を引き取ったり、自害していく人が何人も描かれていました。
作り物の話なので、そこで感動して涙したりして娯楽として楽しめばいいのでしょうが、いかんせん「浄霊」のことが頭にちらついて、それどころではありませんでした。
さんざん人を殺しておきながら、来世でまた会おうとか、連れ合いが殺されてしまって辛いからと、自分も後追いするため自害して、「来世でもまた一緒になろう」というシーンがあるのですが、「そんなことあるわけないだろう」と突っ込んでしまいました。
それは、劇中の人たちが描いている「あの世の世界像」と、現実がかなりかけ離れているからです。
自ら死を選んでおいて、来世もまた巡り合わせてくれとか、黄泉の世界で再会したいとか、あの世で一緒になろうとかいうのが、キレイゴト過ぎてどうも感情移入できませんした。
しかし、架空の物語だとは言え「そんな都合のいいこと、ないだろうに」というのが、率直な感想でした。
「そうだったら、いいよね」と思うんですよ。でも、現実はそんなに簡単な世界ではないから、せっかくの面白さが半減してしまいます。
フィクションも娯楽としてはいいのですが、死後の真実の姿を伝えるようなドラマがあっもいいんじゃないかなって思いました。
「真実」が加味されれば、もっと深く、また感動できる作品が出来、それによって人々の意識が高まってくるのではないでしょうか?
そんな事を、あれこれ考えながら見た物語でもありました。
星椎水精先生のホームページ:先祖供養
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架空の物語なのですが、簡単に説明すると、政府が腐敗して悪徳な官僚がはびこり民衆が苦しめられているので、正義感の強い人たちが悪い役人たちをやっつけていくお話です。
その中で戦闘シーンがいくつも出てくるのですが、悪人だけでなく、残念なことに正義の味方もどんどん死んでいきます。
死に際に、「来世でもまた・・」といって息を引き取ったり、自害していく人が何人も描かれていました。
作り物の話なので、そこで感動して涙したりして娯楽として楽しめばいいのでしょうが、いかんせん「浄霊」のことが頭にちらついて、それどころではありませんでした。
さんざん人を殺しておきながら、来世でまた会おうとか、連れ合いが殺されてしまって辛いからと、自分も後追いするため自害して、「来世でもまた一緒になろう」というシーンがあるのですが、「そんなことあるわけないだろう」と突っ込んでしまいました。
それは、劇中の人たちが描いている「あの世の世界像」と、現実がかなりかけ離れているからです。
自ら死を選んでおいて、来世もまた巡り合わせてくれとか、黄泉の世界で再会したいとか、あの世で一緒になろうとかいうのが、キレイゴト過ぎてどうも感情移入できませんした。
しかし、架空の物語だとは言え「そんな都合のいいこと、ないだろうに」というのが、率直な感想でした。
「そうだったら、いいよね」と思うんですよ。でも、現実はそんなに簡単な世界ではないから、せっかくの面白さが半減してしまいます。
フィクションも娯楽としてはいいのですが、死後の真実の姿を伝えるようなドラマがあっもいいんじゃないかなって思いました。
「真実」が加味されれば、もっと深く、また感動できる作品が出来、それによって人々の意識が高まってくるのではないでしょうか?
そんな事を、あれこれ考えながら見た物語でもありました。
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