児童生徒 学級 学年 学校の取り扱い説明書

教育のことや子育て 不登校問題への対応等について、考えてみます。

自己中心性について  2

2013-12-14 15:42:54 | 教育相談
さて、自己中心性について その2ですが・・・

 自己中心性の持つ意味等についてはご理解をいただけたかと思うのですが、いずれにしても、自己中になると、周りが困ると言うこととともに、早晩、本人も困ることになると言うことにその肝があるかと思います。
 本来その人が、その子が持っている可能性を十分に伸ばすことができないことはとても残念なことです。
 で、自己中を修正すると言うことが課題になるわけですが、率直に言ってなかなかに難しい課題であると日頃感じています。相談員でも、けっこう難しいことであると思います。形成されてしまった特性を別の特性に変容することはかなりの困難を伴うのが現実だと思っています。
 小さい子の場合には、可変性、可塑性、変われる余地をたくさん持っていると思いますので、比較的にやりやすいのではないかと思います。しかし、そうは言ってもある程度の時間がかかると思います。
 大人の場合には、その人自身が自己の特性をきちんと理解して、自己の特性に気づくことができて、その人自信が行動や言動に気をつけてくれると周りは楽です。問題は、気づく経験や機会があるか、あるいは気づきを促すことができる人が周囲にいるかでしょう。
 経験を得たり、人がいたりすれば、その人にはラッキーなことでしょう。ところが、それらの経験や人の促すのを素直に受け止められないことが多い、と言うのが自己中の自己中というゆえんでしょうか。それで、大人の場合は、その人の良さを可能な限り伸ばしてあげることで、本人も満足して自己中心性が少し和らぐかも知れません。
 子どもの場合ですが、基本的には大人と同じでしょうが、もう少し積極的に働きかけることができると思います。
 子どもを放任的にしてしまうと、子どもが生活に必要な知識や技術を得ることができませんので、必要なかかわりを必要な時にきちんと持つように、周りが注意することが大切だと思います。
 でも、かかわりすぎて手や口を出す、子どもの気持ちでなく親の気持ちを優先して要求する、これらだと、前にも触れた子どもの反発や親への拒否感が強くなって、気持ちの不安定から地道な活動はしにくくなるでしょう。それで短気な自己中心性が育ってしまうかも知れません。
 周りの冷静な行動、落ち着いたかかわり、子どもとの対話の能力等が大きな影響を与えることになるでしょう。
 本日はこれで・・・
何か反応があると、書いてよかったーとも思うのですが、よかったらコメントください。

















自己中心性について

2013-12-12 13:50:43 | 教育相談
自己中心性について

 いわゆる自己中のことですが、最近は、自己中の言動や行動をとる人が増えてきているようです。どうしてなのかわかりませんが、まずは自分の権利を主張して相手から攻められないようにする、言葉を換えれば自分を守るため、防衛のために自己中になっている場合もあるでしょう。
 あるいは、最近は、成長過程での経験の不足などが影響しているのか、人の気持ちがわからない、相手の気持ちを感じることができない、相手の立場に立てない等のことで自己中になっている人もいることでしょう。
 子どもの場合には、加えて、言葉を使う能力が少し低下してきているかもしれません。自分の考えや気持ちを言葉で表現する力が弱いかもしれません。テレビやゲームなどの遊びが中心で、人と関わって遊ぶことが少なくなりましたし、年齢の違う子どもたちと遊ぶことも少なくなっているでしょう。
 それから、子ども間のトラブルなどが起こっては後が大変と、予防的にはじめから大人が子どもの世界に介入してしまうことも多く、子ども間の本音の交流とかも減っているかもしれません。
 様々な要因が絡み合って、日常生活に必要な人との交流能力が十分に育っていないことが考えられます。
 そのなかで、まずは自分の権利や立場を守るためにとか、思いついたことを後先も考えずにやってしまうとか、心の中の不満やいらいらなどをストレートに表現してしまうなどで自己中になっているのかとも思われます。
 自己中の子どもは、手助けがある場面、子どもがまだ小さいときなどは立場が守られて生活していけるのですが、大きくなるにつれて周囲とのあつれきが生じて、本人も周りも困るようになります。
 自己中は、ほぼ、「自分の心をコントロールする力が弱い」と言うことと同じ意味だと思いますので、そのままでは、本当にその子どもが本来持っている能力を発揮することができにくくなり、本人も複雑な思いや劣等感などを持つこともあるでしょうし、親も、心配でやきもきしたり不安になったりするでしょう。
 子どもが自己中に育つと、特に大きくなると、親も振り回されて心配や苦労が絶えないようになるかもしれません。
 親も、日常的な子どもとの接触の中でがんばって、子どもの自己中心性を強くしてしまわないように十分に注意していくことが大切だと思われます。親と子のバランスのとれた関係が大切であると思われます。
 すでに自己中になってしまったかなと心配の方もおられるかもしれませんが、その対応法については、また次に考えたいと思います。








上手に交流できない

過保護の子育ての影響は

2013-12-09 12:41:04 | 子どもへの接し方
世の中で、よく、過保護と言われますが。

 過保護って、実際はどのようにすることか考えてみます。子どもは生まれてから大人になるまで、それぞれの年代で、克服していくべき課題を持っていると思います。その課題のことを「発達課題」と言ってよいかと思います。
 もっとも、大人も発達課題を持っていまして、それぞれの年代の課題をそれぞれの努力と創意工夫で乗り越えていくのが一生かもしれません。その意味では、どの年代でも、それぞれに課題を持っているのが現状といえるでしょう。課題の連続なので、生きていくのは大変だと言うことになるのでしょう。
 子どものことに戻すと、成長の中で、本来その子ども自身が乗り越えなければならないこと、身につけるべき社会生活の技術などについて、子ども自身の努力で解決すべきことを、周りの人が手や口を出したりして、解決を手伝ってしまうこと。やってあげてしまうこと。解決へのヒントを与えて考えさせることをしないで解決してしまうこと。等々を全体的に言って、「過保護」と言ってよいのではないかと考えられます。
 過保護は、子どもにとっては楽なのですが、課題解決に向けての創意や工夫の機会を奪ってしまうこと。やってあげてしまうことで、チャレンジの気持ちも弱くなってしまうこと、等が起こり、本人の精神的な面でも、生活技術の面でも遅れるようになり、周りの同じ年代の子どもに比べて成長が遅れることになりがちです。
 同じ年代の子どもができることを、その子どもができないとなると、自信を失ったり、プライドを持てない状態になったりで、交わることさえも避けるようになるかもしれません。
 すると、さらに、友達関係がもてなくなったりして、一人になってしまう。親と子どもだけの関係が長く続いて、さらに社会的な発達が遅れてしまうかもしれません。
 子どもの世界に、あまり口出しや手出しをしすぎないようにしながら、気持ちに寄り添いながら、一歩ずつでも、本人が取り組むようにすることが大切だと思われます。
 小さい子どもの場合には、うまくいったら、一緒に喜んでやると、子どもはさらに気持ちがよくなって、いっそう積極的に取り組むようになると思います。
 そして、自信を育て、何事にも自分で取り組む気持ちをいっそう強くしていくことが大切なことだと思われます。親のかかわり方の大切さが指摘されるところだと思われます。

子育てのポイント

2013-12-08 10:06:04 | 教育相談
子どもを受け入れにくいときは?

 子どもを育てている親はとても大変です。家事、育児、それから仕事等に振り回されてしまうようです。自分の時間がなくなったり、何かに動かされているようにも感じてしまいます。
 疲れも加わってくると、本当に自分の子どもであっても、育てるが大変になります。
それで、子どもについつい拒否的な態度をとってしまうことも起こるようになることもあります。
 また、自分は何となく、この子どもが好きになれないとか、何となく性格が合わないとか、いつも常に感情的になってしまう、どうしてなのか理由もよくわからない、などもあります。
 また、いろいろなことで追いつめられたりしていて、手を出してしまう、激しすぎる言葉を使ってしまう、子どもがいやがっていることを、強くやってしまう等の場合もあります。
 このような場合に子どもが示す態度や行動は、親のやり方に反発して、乱暴になったりもしますし、やる気が少なくなって前向きな行動が見られなくなったり、悪いことでもかまわずにやってしまう、というような行動を見せる可能性があります。
 親のやること、つまり親からの刺激ですが、それへの反応としての子どもの活動が起こっているということと考えられます。
 現代の現状の生活の中では、親を取り巻く環境も過激ですから、親が子どもを受け入れる余裕が少なくなることもあると思われます。
 しかし、少し考え方を変えたり、少し心にゆとりを持っているように心がけたり、落ち着いて冷静に、考えながら、子どもの様子を見ながら行動していくようにすれば、子どもを受け入れて育てるような気持ちが持てるかと思います。やってみる価値は十分にあると思います。
 子どもの問題が少ないと、親もそれだけ楽になりますので、ゆとりを持ってがんばることが必要と思われます。
 どうしても子どもを受け入れることができにくい場合には、当面子どもが必要とすること、必要としていることを、感情にとらわれることなく、落ち着いてやってあげることでいいかなとも思われます。
 それから、子どもの話に耳を傾けてていねいに聴くことはいつの時でも大切なことであると思われます。
 まず、やってみるとよいかと思います。















携帯やりすぎ どうする?

2013-12-06 10:40:48 | 子どもへの接し方
携帯依存について どうするか

 最近は、携帯電話にはまってしまう子どもが多いようです。いつも携帯を持っていないと気が落ち着かない、何となく物足りない、携帯を見ないと気が済まない、メールばかりしている
というようなことで、親も対応に困っている例が多くあるようです。
 ある意味では、何かへの依存症と同じような状態になっているものとも感じられます。
携帯にはまってしまっている子どもの心は、いつの間にか、心が携帯の中に入ったままになってしまっているのでしょう。
 心が現実の世界になくて、携帯の中の世界に入ってしまって活動しているのでしょう。携帯の中の世界は、現実の世界とは別で、その子どもにとって、魅力的な部分が何かあるのでしょう。現実の世界では得られない何かが得られたような気持ちにもなるのかもしれません。
 心が架空の世界に行ってしまっていては、現実の世界で活動することはできません。現実の世界では何かと遅れたり、本来求めるべきものが得られなくなったり、そもそも得るための努力をする気持ちも弱くなってしまうでしょう。それでますます現実に適応できなくなるかもしれません。
 さて、対応はどのようにしたらよいのでしょう。考えてみると、けっこう難しい課題でもあると思います。
 子ども一般について考えてみればそれほど大きな価値を持っているとも思われないものに、その子どもが必要以上にとらわれていると言うことでしょうから、何か他の、現実的な世界のものに興味や関心が持てるとよいのでしょう。
 依存の強すぎる子どもは、心の中で、孤独感や孤立感、不安感、充実していない感じ、もやもやした不安定な感じ、等を持っているのかもしれません。
 まずは、何よりもその存在を認め、受け入れることが大切なのでしょうか。このためには、周囲の人が、その子どもに関心を抱き、心の中に近づいていく努力をする必要があるのではないかと思われます。近づく方法は子どもによって違うかもしれませんが、接近への努力は、子どもにも感じられることでしょう。
 継続的に行うことで、人間関係を作り、子どもが現実の世界の中のリアルな人間の存在に気づくことができるようになるかもしれません。それで、きっかけができて、また、現実の中で動けるようになったら、子どもは日常の世界に生きることができるようになるとも考えられます。
 周囲の力が必要と考えられるところです。




 








子どもへの接し方

2013-12-04 08:51:33 | 教育相談
今日のブログ 子どもへの接し方 学級・学校で

学校で、緊張していて自分の力を発揮できない子どもを見ることがあります。
いろいろと感じたり、考えたりしているのに思い切って手を挙げられない、意見を表明できないで、小さくなっている。そんな子は、本人ももどかしいし、親も心配な面があるでしょう。
 このような状態の背景には、何があるのか、何かがあるのでしょうが、小さい子の場合には、家庭で必要以上に大切に育てらあれた、本来は子ども自身が行うべきことを親が代わりにやってあげた、やってしまった。それで、本人が自分のやることや言うことに自信を持てないで小さくなっているというような場合もあるかもしれません。
 子どもの成長の実態に合わせて、自分自身が取り組み、課題を解決できるように、それとなく援助する、そんな援助がよいかもしれません。節度のある子育てが大切と思われます。
 以上のようなことに、学校の先生がどのように対応していくかを考えてみると、少し地震が少ない、学級に存在感が感じられない、存在感が弱い場合には、その子どもの存在をどうにかして承認することが大切と思われます。子どもからすれば、帰属意識を育てるということかと思われます。
 一番簡単で、いつでもできる対応策は、まず名前を呼んでやる機会を増やしてみることはよいと思います。特に、プラスの面で名前を呼んであげると喜び、帰属感を強めることができると思います。
 また、子どもと意識的に視線を交わすことも有効だと思います。先生の落ち着いて暖かな視線は、子どもの緊張を弱めるのに大きく効果があるのではないかと思います。
 しばらく続けていくと、子どもにきっと変化が現れるのではないかと思われます。子どもが情緒的に安定していくと、きっとそれぞれの子どもが持っている可能性を一層発揮するように成長していくと思います。





不登校の意味について

2013-12-02 19:25:45 | 教育相談
今日の記述

 思春期になると、不登校も多くなってきます。中1ギャップとか言っていますが、確かに中学にはいると不登校の出現率が高くなります。
 中1の頃は、いろいろなことが気になってくるときです。生活も複雑になるので、乗り越えて行くにも力が必要です。
 で、この時期を「疾風怒濤の時代」とか言うのでしょう。確かに思春期の圧力は、この時期の子どもにとって圧倒的なのでしょうね。
 で、この時期のテーマは、今までの生活を総合的に振り返って、自分らしい自分を自分の力で作り上げていくということなのでしょう。
 大人に向かって行くのですから、自分なりの考え方や行動の仕方を身につけていくと言うことは当然のことなのですが、現在のような、ある意味で恵まれた、実体験の少ない、経験の中で、自分で考えていくと言うことは、とても困難な面があるのでしょうね。
 全ての子どもがこのようなことに直面するのですが、場合によっては、悩みを抱えてしまう子どももいるというのが現実かと思われます。
 あまりにも、悩みとか何かの課題とかを持ってしまった場合には、その解決のために、あるいは悩み等にとらわれすぎて、多くのエネルギーを、その軽減や解消に向けて使ってしまって、動けなくなると言うこともあるのかと思います。
 さて、周りにそのような子どもがいたら、周囲の人としてはどのように接していったらよいのでしょうか。
 何しろ、子ども自身がいろいろな課題を感じているのですから、落ち着いて考えられる、落ち着いた環境を用意してあげることが、子どもにとっては一番嬉しいかも知れません。
 早く動け、早く動けと促すことは、子どものペースを乱して、却ってさらに混乱させる可能性があるかも知れません。
 どうしたら、心が安定するかですね。でもそうすると、何か身勝手なことばかりしているように思えて見ていられないと感じることもあるでしょう。
 そんな時に、周囲の人としては、何をどう考えてやっていこうと思うかに集約されると思います。子どもの身になって真剣に考えてみることが必要でしょうか。
 

不登校について

2013-12-01 21:28:45 | 教育相談
不登校のことについて、私なりに考えていることを記してみます。
昔、少しまとめた時に作成したものですが、今でも通用するかも知れないと思います。

 不登校の理解
 わが国において、不登校の児童生徒が出現し始めたの昭和30年代の半ばからであるといわれる。ある研究者が、今までとは異なるタイプの多欠席児童生徒がみられるとのことで学会に発表したことから注目されるようになった。その時の欠席は、学校に行きたいとは思うが、「学校が怖い」「不安で学校に行けない」との理由によるものが多く、この状況から「学校恐怖症」と呼ばれることもあった。
 その後、昭和40年代に入ってから、文部省も統計調査を行うようになり、特別な理由もないと思われるのに学校を年に50日以上欠席する生徒(現在は年30日以上)の数を調査している。
 特に合理的な理由もないと考えられるのに登校しないとなると、学校も保護者も「怠け」や「本人のわがまま」ではないかと考え、時には強い指導も行い登校させようとするが、本人は登校しない、登校できない場合が多いのが現実である。
 この現象の背景には、いったいどのような事情が潜んでいるのであろうか、不登校がみられるようになってからすでに50年程の年月が経過しているが、学校において、不登校生徒への援助・指導について、必ずしも思うようには行っていないのが現実ではないかと思われる。そこで、不登校の理解と援助・指導の基本的な進め方について以下のように考えてみたい。

ブログを始めて見ました。よかったら見てください。

2013-12-01 13:40:50 | 日記
ブログをはじめて見ることにしました。
割合長く関係していた教育相談やカウンセリングについて、これまでの経験で感じたことや思ったこと、考えたことなどを揚げてみたいと思います。
不登校への対応もけっこうしてきましたので、それに関しても揚げてみたいと思います。

よろしくお願いします。