児童生徒 学級 学年 学校の取り扱い説明書

教育のことや子育て 不登校問題への対応等について、考えてみます。

家庭訪問の後で

2016-02-09 08:40:44 | 教育相談
今日は上の題にしました。先生方に向けています。

ある先生が不登校生徒の家庭訪問をしました。会えて、生徒は後で行くと言いました。
先生は、生徒が登校してもいいようにいろいろと準備をしておきました。結構ていねいに対応していました。
しかし、時間が経っても生徒は登校しませんでした。先生は悔しいやら情けないやらで複雑な気持ちになりました。このようなこと続くと心が折れそうです。

これは残念で結構つらい気持ちですね。こんな思いをすると、自分のやっていることが徒労のように思えて、とても複雑な気持ちになると思います。

どんなふうに考えましょうか。
家庭訪問とかに行って、反応がよかったり、先生の提案に生徒が乗ってくるように思われると、うれしくなって、訪問してよかったとか思ってしまうのですが、生徒の気持ちは先生の思いとは別に、別の人間の気持ちです。
先生の思惑で勝手に判断すると、しっぺ返しのようになることもあるので、そのような思いは捨ててしまうほうが楽です。

家庭訪問は、家庭訪問をすることに意義があるのであって、結果がどうなるかに意義があるのではありません。少し変な表現で納得できないかもしれませんが、そんな感じです。

子どもは先生の心を見ているわけです。先生の勝手な思い・思惑を見ているわけではありません。抽象的で申し訳ありませんが、そんなことです。
先生が連れだそうとすれば、それは先生の気持ちで連れ出そうとすることですから、それは、それらの子どもたちが親や以前の先生にされていたことと同じなわけです。
子どもの本当の気持ちが理解されずに、本当の気持ちがないがしろにされてきたから、その結果、動くのが嫌になって、動かされるのが嫌になって不登校になっているので、その上に、さらに動かされそうになるわけですから、子どもが動かないのは当然のように思われます。

なので、訪問は動かす目的ではなく、ただ、つながりを強める、つながりを保つ、つながることで自分から動けるようにすることを目的に行うものだと思われますから、登校するように強く誘うことはやめておいたほうがよいでしょうと判断できると思います。なので、登校しますといったからといって登校するとは限りませんし、気が動いて登校することもありますし、その子どもの心の状態次第だと思われます。なので、心の状態を改善できるような訪問が一番いいということになります。
そのためには、思惑なしに、まず訪問する、可能であればそれをできるだけ継続する。
このようなことが結果的に子どもへの有効な援助になるということかと思われます。

やることには、それぞれ意味があります。その意味をきちんと自覚して行うことが、思惑ではなく、きちんとした目的・目標を設定しての不登校生徒への支援になると思われます。

今回は、そんなことを記してみました。ではまたです。いろいろと大変な思いをしながら不登校への支援を行っておられるかと思いますが、子どもは何も言いませんが先生の動きを待っています、また感謝もしていますので、できるだけ動いてみてください。変な思惑は捨てて・・・
縁は不思議なもの。但し入れ込みすぎるとそれも思惑の一つになる可能性もありますので、ご留意を