児童生徒 学級 学年 学校の取り扱い説明書

教育のことや子育て 不登校問題への対応等について、考えてみます。

話すこと聴くこと 聴くことの意義

2014-01-28 08:30:59 | 教育相談
話すこと、聴くこと

 今回は、話すこと、聴くこととしてみました。言葉のやりとりで日常の生活は成り立っています。子どもと接するときも、子どもがある程度大きくなると、言葉のやりとりが多くなって、周りの人が直接手を出してやることは少なくなります。
 これはむしろ当たり前のことで、いつまでも手を貸していたら子どもの自立心や生活能力が身に付かなくなってしまいます。
 でも、よく見ると、言葉のやりとりはしているように見えるのだけれど、よく検討してみるとやりとりになっていない場合も多く見受けられるようです。
 そして、そのことに気づかないで長期的にそのようなことになっている事例も多いようです。
やりとりとは、それぞれの言葉の中に含まれる感情や気持ちがやりとりされていると言うことを意味しています。
 一方から一方への感情の発信は、あるいは発散と言ってもよいかもしれませんが、それはやりとりではありません。相互にきちんと気落ちを受け止めて、さらに確認して、理解してやりとりを発展させて、一定のところに落ち着く、あるいは妥協が成立して、相互に満足までは行かないけれど、納得する過程が言葉のやりとりと言うことになると思われます。
 そこで、話すことが多くて、聴くことが少ない親子関係というのもけっこう普段に見受けることです。
 話しっぱなし、フォローがない、話すことで自己満足、いらいら等の気持ちを相手にぶつけて満足する、等々、様々な形態があるように見受けられます。
 聴くことの効用は思いの外に大きいと思われます。話すことも大事ですが、聴くことで相手を尊重することができます。聴くことで、話す人を聴く人よりも高い位置に置くことができます。大事にすると言うことです。
 特に、言葉は気持ちの動きを含みますから、相手が子どもの場合は特に、気持ちの動きや揺れ、言葉の内包する気持ちを想像しながらていねいに聴いていくことで本来的な相互の言葉のやりとりが成立すると思われます。すると、子どもに不思議な変化が現れることでしょう。
 さて、どのようになるか、ある程度の期間を想定してやってみられたらいかがでしょうか。もしかしたら、想像しなかったような、けっこういい変化が起こるかもしれませんよ。
 今まで、子どもの言葉をきちんと聴く努力をしてこなかったと思われている方は、特にやってみる価値はあると思いますよ。
 話すこと聴くこと、特に聴くことでよい交流が完成すると思われます。時間がなくなったのでここまで。














意欲の素は何?

2014-01-20 21:57:47 | 教育相談
 今回は、子どもの意欲の基、あるいは意欲の元について触れてみます。

意欲の基になるものは
 子どもは、基本的に、それぞれ自分の力を一生懸命に発揮しようとする気持ちを持っています。成長したい、できるようになりたいという志向性を持っているということです。 成長しようとする気持ちが十分に出てくるには、基本的な条件として、「子どもの気持ちが落ち着いている」(情緒の安定)ことが必要になると思います。
 情緒的に安定していないと、難しい問題等に地道に取り組もうとする気持ちがなかなか湧いてきません。

情緒の安定を促す親のかかわり
 子どもが、心の中にいろいろな思いを持っているときには、何となく表情や姿勢、ふだんの様子に現れることが多いので、子どもからのサインを見逃さないようにする必要があると思います。
 親としては、まずは、子どもが心の中でどのようなことを考えているか、感じているかについて関心を持っていただけると有り難いと思います。
 そして、子どもが何かを話せると気持ちが落ち着くと思います。青年期の子どもは話さないことも多いですが、親の方から話を聴く姿勢を示すことが子どもの表現を促すことにつながると思います。

日々の生活の中で
 すべての子どもが、それぞれの子どもなりに、よい点を持っていると思います。また、改善すべき点、乗り越えるべき課題を持っていると思います。
 親としては、日々の生活の中で、子どもの生活をよく見て、よい点、改善を促す点についてはっきりとさせておき、子どもがよい点を発揮した場合、家庭生活に貢献した場合には、率直に指摘したり感謝のことばを言ったりして、一層の発揮を促す必要があると思います。
 一方で、乗り越えるべき改善点については、子どものことばを聴きながら、子ども自身がはっきりと自覚できるように伝える努力をすることが大切だと思われます。
 情緒の安定の中で、子ども自身が今後の課題について自覚できれば、それぞれの子どもなりに一生懸命に取り組んでいくと考えられます。
 
 意欲の基になる親子のかかわりができたら素敵ですね。親にとっては、子どもがそれぞれの子なりに力をつけて発揮して行くことが望みですからね。 

子どもの良さを探し伸ばす!

2014-01-05 09:35:49 | 教育相談
 お正月もすでに何日か過ぎてしまいました。新年に当たっての前向きなことを何も書いていなかったので、思いつきですが、題のようなことを考えました。

 親も学校の先生も、それぞれの子どもの改善したい点について気がつくことに掛けては天才のような資質があります。
 我が子の我がクラスの子の、それぞれの子どもについて、改善した方がよいと大人が思う点について探しだすことにかけては、親も先生も、本当に優れた資質を持っていると思います。
 特に、学校の先生は、多くの子どもを比較しながらたくさん見ていますので、誰が比較的に優位にあるかはすぐにわかってしまいます。
 ここを変えたいと思う点を探し出して、変える努力をすることが多いようです。親も同様だと思いますが、たくさんの子どもを比較しながら見ていないという点では、子どもを見ながら不安を感じると言うことの方が多くなるのではないかと思います。
 今回表現したいことは、端的に言えば、それぞれの子どもの「よい点を探し出す」努力をして、それを伸ばすことを考えた方が、いろいろな面でメリットがある(有効性や有用性がある)かもしれないと言うことです。
 幼児は幼児なりに、小学生は小学生なりに、中学生は中学生なりに、以下同様に年代が大きくなっても、あるいは大人でも、それぞれの子どもや人がそれぞれの良さを持っていると思われます。
 そして、その良さをいっそう伸ばすことができたとき、その人は、自分の存在感や有用感(存在価値があると感じること)、自己効力感(自分はできると思うこと、自分への自信のようなもの)を感じることができて、生きている充実感を感じながら生活していくことができるのではないかと思われます。
 プラスの点をさらに伸ばしてプラスを多く大きくするというプラス思考(プラス指向)で子どもを伸ばすことが、子どもにとっても、親や教師にとっても行う意義の大きくあることかと思います。
 と言いながら、良さを見つけると言うことはけっこう難しいことでもあるとも思います。
 良さを、「当たり前」と見過ごすことも多いでしょうし、子どもの思いや意図を感じることができずに、発見する機会を逃してしまうことも多くあると思われます。
 ですので、かなり子どもをよく見ながら進んでいくことが大切と思われます。
 一年が良さを探して子どもに伝え返す一年であったら、多くの子どもが自分に有用感や肯定感を感じて、自信を強めて成長していく年になるのではないかと感じられます。
 改善点を少しずつでも改善できるようにしていくことも大事なことではあります。しかし、自分に自信を持つことで、子ども自身が伸びようとする力を発揮し、実際に伸びていくことで改善すべき点も、多くが克服できるのではないかとも考えている次第です。
 (改善点の具体的な改善の方法については、また別の機会に触れてみたいと思います。)
今回は、何はともあれ、良さの伸張について触れてみました。


















過保護とは

2014-01-04 14:54:08 | 子どもへの接し方
 今回は、日頃よく言われる「過保護」について考えてみたいと思います。

過保護とは
 日頃よく、「過保護だ」とか言われることがあります。
 過保護とは、本当は子どもが自分でやらなければならないことを、親や周りの人が、手を貸してやってあげてしまうことです。
 やってあげると子どもは楽ですが、いつもやってもらっていると、子どもは、それが当たり前と勘違いして、自分でやろうとする気持ちが弱くなってしまいます。また、やる力もつかなくなることがあります。

やり抜く力
 子どもには、少し大変なことでも、年令に応じて自分でしなければならないことが多くあり、また、自分でやろうと思う気持ちも持っています。親や周りが手助けしすぎると、一人の人間としての力が、年令よりも幼く未熟になってしまいます。
 例え話ですが、子どもが箸を使うべき年令になっても、親がご飯を食べさせてあげていたら、これは本当に過保護です。子ども本人にとっては、食事の正しい習慣も育たず、食器やお箸を正しく使う力もつきません。これでは、本人の生きる力がいつまでたってもつかず、後で困るのは子ども本人です。
 子どもが大きくなって、いろいろな課題が生じてきたときには、親も、どうにもしてあげられないのが現実です。
 課題を自分で乗り越えられないと、自信を失ったり、ぐずったり、楽な方に逃げ込んだりしてしまいます。そうすると、動けなくなって、将来が開けなくなってしまいます。せっかく能力を持って生まれてきても、その力を発揮できず、残念です。
 
日ごろ育てたい「心の力」
 日ごろの留意点は、過保護にしすぎないことです。自分でやる気持ちや力を意識的に育てていきたいと思います。
 もし、今まで過保護にしすぎたと思った場合には、何もしないでそのままにしておかずに、いろいろ工夫をしながらやっていく必要があると思います。
 手や口を出しすぎないようにしながら、親の目をきちんと子どもに向け、見守ることを基本にしたいと思います。
 何か、本人が頑張ったら、見逃さずに認めてあげて、もっとやりたい、やってみたいと言う気持ちを育てることが大切だと思います。
 本人が取り組んで、例えできなくても、頑張ってやったことを認め、気持ちを支えて、もう一度やってみようという気持ちになればいいと思います。そんなことをして行くうちに、本人もいろいろなことを感じたり、学んだりして、工夫しながらやっていくようになると思います。
 大切なことは、「手助けをしすぎないこと」、「口出ししすぎないこと」、「やかましすぎないこと」です。「本人のペースをある程度尊重する」、「気持ちを理解しようと努めながら対話する」、「本人が落ち着いていて受け入れられそうなときに親として話してやる」、「社会のことについて情報を提供してやる」等をしてあげると本人も喜び、自分の力を伸ばしながら、気持ちよく、意欲的に生活していくと思います。

自己中心性について 3

2014-01-02 21:55:13 | 教育相談
新年おめでとうございます。

 年末の中で、少し時間が開いてしまいましたが、またアップしていきたいと思います。
よかったら読んでください。

 自己中心性について その3

 今回も自己中心性についてにしました。前に自己中心性の個人と周囲にもたらす影響について触れてみました。
 自己中心性が強いというと、何か、その個人や子どもが一方的に悪いかのように感じられた人もおられるかと思いますが、必ずしもその個人が悪いわけではありません。
 自己中心性は、周りとの関係で、そのようにとらえられるからです。特に子どもの場合には、周囲の人のかかわり方が大きく影響していて、その影響で自己中心性が育った、あるいは現在育っている過程にある、と考えられるからです。
 周囲の人の子どもに対するかかわり方が、どのような影響を与える可能性があるかをほとんど考えることなく接した場合、すなわち無自覚に接した場合には、その影響を受けて自己中心性が育ってしまう場合が圧倒的に多いと考えられるからです。
 どなただったか、有名人の言葉に「育てられたように子は育つ」というのがあったと思いますが、本当にその通りかと思われます。
 周りの人が育てたように子どもは育って、その結果、自己中心性の強い特性を身につけているわけです。ある意味では子どもは犠牲者と言ってもよいかも知れません。
 保護者の過剰な保護、過剰な期待、干渉等は子どもの心を鈍感にして、人の気持ちの感じられない共感性の不足した状態となって、人の気持ちがわからないが故に自己中心になる、というような面があると思われます。
 
 物理学で作用と反作用という原理がありますが、人の心の場合も同じような面があるようです。形の決まった強い働きかけが、一方的に継続的に強く与えられていると、その働きかけに対する反応として、一定の形式の反応が起こります。
 働きかけが長く続いていると、決まった反応の形式が心の中に定着してしまうことがあります。
 子どもの場合には、それが個人の心の中に定着し、特定の性格・行動特性となって定着することになるように考えられます。
 こうして固定化した固着した堅い特性になってしまったときに、柔軟性のない、固定化した考え方や物事の受け止め方が成立し、その一つの形態が自己中心性と考えてよいとも思われます。
 周囲の人々の柔軟性に富んだ豊かな温和なかかわり方が、子どもの豊かな柔軟な心を育てるといってよいと思われます。
  「温和な性格は、人(他者)を幸福にする」という言葉を思い出しました。