とかくに人の世は・・・

智に働いてみたり情に棹さしてみたりしながら
思いついたことや感じたことを徒然に記します 
  nob

こんな噺「胴乱の幸助」

2006年11月13日 | 寄席芸
 仕事一筋で生きてきた割木屋のオヤッさん、町内では「胴乱の幸助」と呼ばれているが、唯一の道楽が喧嘩の仲裁という変わった御仁。今日も今日とて町内の若い衆の喧嘩(実は酒を飲みたいが為の狂言)の仲裁をしての帰り道、通りかかった稽古屋の前で耳にしたのが「桂川連理の柵(かつらがわれんりのしがらみ)」という浄瑠璃の帯屋の段。お半、長右衛門の心中もので「お半長」といえば当時子どもでも知っていたという有名な物語。
 京都の帯屋が舞台で姑の嫁いびり場面。この胴乱の幸助さんは浄瑠璃というものを聞いたことが無いので、この物語を現実のものと思い込み住所や登場人物のことを詳しく聞きだす。さぁ、この嫁姑の諍いを仲裁をすべく京都へ。目指すは「柳馬場押小路虎石町の西側」の帯屋。あっちで尋ね、こっちで尋ね、ようやくかの住所にたどり着いた。そこに偶然帯屋さんがあったというから話が混乱してくる。
幸助さんとその帯屋さんの番頭さんのちぐはぐなやりとり。そのうち番頭が「お半長」だと気付く。番頭さんの「お半も長右衛門もとうに桂川で心中しましたがな」に、幸助さん「しもぅた、汽車で来たらよかった」
これが“さげ”になるんですが、この噺ができたのが明治の始めごろ、京都・大阪間に鉄道が敷かれたころです。昔気質の幸助さんは淀川を登り下りする三十石船に乗って京都へ来たのでした。

 胴乱とは革製の四角い袋で薬、印、煙草、銭などを入れて腰へ提げるウエストポーチのようなものらしいです。私も実際に見たことがありません。この「胴乱」という二つ名をもつキャラクターは私が知っている限り、この「胴乱の幸助」さんと「天神山」という噺に登場する「胴乱の安兵衛」さんの二人です。

 柳馬場押小路虎石町の西側。先ごろ京都の友人を訪ねたおりに「柳の馬場押小路というところはあるか?」「虎石町ってあるか?」って幸助さんのまねをして尋ねました。そうすると心優しき友人は現場まで連れて行ってくれたのでした。「ははぁ、ここまで幸助さんが仲裁に来たのだな」と妙に納得した次第です。

 喧嘩の仲裁が趣味という幸助さんですが、昔は本当にこんなオヤジが町内に一人や二人いたんでしょうね。身近にあるもめごとを解決してくれる世話好きがきっといたのです。現代の世の中にはこんな人めったにいませんね。この幸助さん、私は大好きです。



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2 コメント

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桂川連理の柵 (おまさぼう)
2006-11-14 10:52:15
歌舞伎で何度か観ました。子供のようなお半とひょとしたことから割りない仲になる長右衛門。一度は鴈治郎はんの長男の翫雀がお半役で客席から笑いが起こっていたのを覚えています。^^

な~んて、話がそれました。毎日イジメのニュースばかりで気がめいります。幸助さんのようなひとがいなくなったのも一因でしょうか。といいますか、子供に下手にお世話を焼いたりすると、誘拐犯と勘違いされかねませんものね。
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たいていは落語から (nob)
2006-11-14 21:38:13
>おまさぼう様、コメントありがとうございます。
そうでした、おまさぼうさんは歌舞伎に精通していらっしゃったんです。
当方は歌舞伎、文楽(浄瑠璃)といった古典芸能を生で観たことがありません。せいぜいテレビ鑑賞です。

お芝居、お浄瑠璃から和歌や講釈、各地の名所旧跡等々、はては上手な買物の仕方、始末の極意まで、いろいろな事を落語が教えてくれます。その昔、寄席はいろんな勉強の場でもあったんでしょうね。

>毎日イジメのニュースばかりで
いじめや未履修、首長の汚職問題、子どもの虐待、臓器移植、飲酒運転、タウンミーティングやらせ・・・
あれこれと多すぎて疲れますね。社会保険庁の年金問題、耐震偽装やエレベーターの問題も全然片付いていないのに忘れ去られようとしています。


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