謎かけを売りにしているタレントさんが人気のようだ。時々テレビの番組で見かけるが、即興でなかなか器用に謎を解くものだと感心している。古典的な謎かけで秀逸だと感じたものに「朝刊とかけて坊さんと解く。こころは今朝来て(袈裟着て)今日(経)読む」というのがある。以前噺家さんに聞いたことだが昔の“謎かけ”というものは二つ掛かっているものだったそうだ。先の謎かけで言うと「今朝=袈裟」「今日=経」と二つ掛かっている。
もうひとつ好きな“謎かけ”に「葬礼とかけて鶯と解く。こころは泣き泣き(鳴き鳴き)埋めに(梅に)行く」というものである。いずれも言葉に無駄がないうえに二つの掛詞が含まれている。この二つが私の知っている中では最高の“謎かけ”である。
昨年の晩秋から新年にかけて親戚や御近所、友人の親御さんと葬礼の場に出る機会が重なっている。葬儀の最後は出棺・火葬である。棺を見送りながらふと思った。今は死者を火葬にするのがあたりまえになっているが、その昔は上の謎かけのように「泣き泣き埋めに行く」のが普通であったのだろう。地中に埋められてやがて土に還っていく。そして植物や小さな生き物を養う有機物となるのが殺生をして命を繋いできた人間のせめてもの報恩ではなかろうか。
いずれ人生の終焉が訪れたなら、願わくは花の下に埋めてほしい。そして土に還りこの身をその花に捧げたい。と思う日々であるが今のところはそれもとうてい無理な願いのようだ。
もうひとつ好きな“謎かけ”に「葬礼とかけて鶯と解く。こころは泣き泣き(鳴き鳴き)埋めに(梅に)行く」というものである。いずれも言葉に無駄がないうえに二つの掛詞が含まれている。この二つが私の知っている中では最高の“謎かけ”である。
昨年の晩秋から新年にかけて親戚や御近所、友人の親御さんと葬礼の場に出る機会が重なっている。葬儀の最後は出棺・火葬である。棺を見送りながらふと思った。今は死者を火葬にするのがあたりまえになっているが、その昔は上の謎かけのように「泣き泣き埋めに行く」のが普通であったのだろう。地中に埋められてやがて土に還っていく。そして植物や小さな生き物を養う有機物となるのが殺生をして命を繋いできた人間のせめてもの報恩ではなかろうか。
いずれ人生の終焉が訪れたなら、願わくは花の下に埋めてほしい。そして土に還りこの身をその花に捧げたい。と思う日々であるが今のところはそれもとうてい無理な願いのようだ。
「木久翁が賢く見える負けたあと」「小遊三の毒ある笑いで、元気出し」
先日CD付マガジン「落語昭和の名人完結」編創刊号(桂枝雀)を買いました。→http://www.shogakukan.co.jp/pr/rakugo2011/index.html
CDには「代書」と「親子酒」が収録されてます。よく三代目の「代書屋」は楷書、枝雀さんのは草書に例えられますがこのCDに収められているのは行書くらいですかね。
体調いかがですか?