奈良公園の北に思惟山五劫院(しゆいさんごこういん)という浄土宗の寺院があります。こちらのご本尊は阿弥陀様なのですが、よくお目にかかる阿弥陀様とはお姿が少し変わっています。
たいていの阿弥陀様は螺髪という髪形をしていらっしゃいますが、こちらの阿弥陀様は珍しく長髪です。
阿弥陀様が未だ法蔵菩薩の時代、もろもろの衆生を救おうと四十八願をたてられ、五劫の間ただひたすら思惟をこらし修行された時の御姿をあらわしたもので、この間に髪の毛が伸びてうず高く螺髪を積み重ねた頭となられたということです。一劫とは「四十里立方の大盤石に天女が三年に一度舞い降りてきて、その盤石を撫で、それを繰り返して、石がついに無くなるまでの人智では計り知れないような永い時間」のことだそうで、五劫はさらにその5倍ということになります。(寿限無という落語にでてくる“五劫の擦り切れ”の五劫はこのことです)
昨年のちょうど今頃この阿弥陀様にお会いしました。静かなお姿を前にしていつにない安心感に包まれたことが思い出されます。
この五劫院の五劫思惟阿弥陀様は毎年この時期8月1日から17日の間だけお目にかかれます。
たいていの阿弥陀様は螺髪という髪形をしていらっしゃいますが、こちらの阿弥陀様は珍しく長髪です。
阿弥陀様が未だ法蔵菩薩の時代、もろもろの衆生を救おうと四十八願をたてられ、五劫の間ただひたすら思惟をこらし修行された時の御姿をあらわしたもので、この間に髪の毛が伸びてうず高く螺髪を積み重ねた頭となられたということです。一劫とは「四十里立方の大盤石に天女が三年に一度舞い降りてきて、その盤石を撫で、それを繰り返して、石がついに無くなるまでの人智では計り知れないような永い時間」のことだそうで、五劫はさらにその5倍ということになります。(寿限無という落語にでてくる“五劫の擦り切れ”の五劫はこのことです)
昨年のちょうど今頃この阿弥陀様にお会いしました。静かなお姿を前にしていつにない安心感に包まれたことが思い出されます。
この五劫院の五劫思惟阿弥陀様は毎年この時期8月1日から17日の間だけお目にかかれます。
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