とかくに人の世は・・・

智に働いてみたり情に棹さしてみたりしながら
思いついたことや感じたことを徒然に記します 
  nob

阿弥陀如来

2005年12月02日 | 仏像・寺院等
 毎年この時期になると街中でイルミネーションが煌きます。個人住宅でもそんな飾り付けをするようになったのはいつ頃からでしょうか。たぶん家庭園芸がガーデニングと呼び名が変わった頃からでしょうか。環境問題や省エネが叫ばれている時代に、電気代も結構掛かるようだし「あぁ、もったいないネ」とつぶやくのは貧乏性だからでしょうか、それとも生来の天邪鬼的発想からでしょうか。

 それはさておき、イルミネーションの光を見ると「阿弥陀様」を思い出します。もちろん阿弥陀様に限らず仏像には「光背」がありますし、「お灯明」もあげますので「光」はつきものです。しかし私が連想するのは『阿弥陀経』という経典の中にある《青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光》という言葉です。阿弥陀様がいらっしゃる極楽世界に咲く蓮華の花を描写した言葉だそうです。青色の蓮華は青い光を、黄色の蓮華は黄色い光を、赤色のものは赤い光を、白い蓮華は白い光を放っているそうです。

 阿弥陀様のお考えは、「青いものは青く、黄色いものも青く」ではなく「黄色いものは黄色く、赤い花は赤く」光るということなのです。自己流の解釈をしますと、例えば「お金持ちはお金持ちで光っているんだ。貧乏な人は貧乏なままで光っているんだ」ということだと思います。金持ちが幸せで貧乏人が不幸とは限りません。また健康な人は健康のまま光っているし、病気の人は病人として光っているのです。
 
 よく「闘病」という言葉を耳にします。日本人は闘うことが好きですね。病気とも闘うのです。それで病気の人に対して「がんばれ、病気に負けるな」と励ましますね。そういわれると、病人は病気になったことが悪いことをしたかのごとくつらい気持ちになると思います。そうじゃなくて病気と仲良くする方がいいと思います。「病気があるけれど楽しく愉快に過ごそうよ」って声をかけるほうがいいんじゃないかな。病気と戦うのはお医者さんに任せましょう。それが弥陀の本願、他力本願に通じるものだと思います。

(蛇足)写真は永観堂禅林寺の「みかえり阿弥陀はん」です



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