棚倉町には都々古別神社が二社鎮座している。馬場都々古別神社はそのうちの一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上宮"にあたる。
一の鳥居
馬場都々古別神社が初めて歴史書に見られるのは、承和7年(840)の「日本後紀」。
二の鳥居
かつて日本武尊が白河の鉾建山に鉾を祭り、のちに坂上田村麻呂が近世の棚倉城の地に社を移したとされる。
随身門
平安時代に編纂された「延喜式」にも記載され、陸奥一宮として崇拝されてきた古社。
「陸奥國一宮」
寛永元年(1624年)棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため、現在の地に神社を遷宮した。
境内には樹齢数百年の古木が茂る。
三の鳥居
明治6年(1873)に国幣中社「都々古別神社」となる。国幣中社とは、明治期から第二次世界大戦終結まで使われていた日本の神社の社格。福島県では他に、八槻都々古別神社、伊佐須美神社など。
向拝一間に唐破風を持つ拝殿
御祭神:味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)と日本武尊
本殿は文禄3年(1594)に佐竹義宣が造営、現在地へ遷された際にも規模や形式をほとんど変えていない。形式は本格的な三間社流造だが、彫刻などを用いずに簡素なつくり。東北地方において数少ない桃山期の本殿建築として高い価値をもち、国の重要文化財に指定されている。
境内には摂社・末社がたくさん
東照宮(江戸中期)と歴代藩主寄進の石灯篭
日枝神社・熊野神社
神明宮・鹿島神社
厳島神社・稲荷神社
甲山神社・寅卯神社
見上げるほど大きな桜や銀杏、紅葉の木。きっと夏は緑が深く、春や秋は彩り鮮やか。他にも杉や檜の大木がたくさんあって、境内に足を踏み入れた途端に厳かな空気に包まれる。
棚倉城跡の大ケヤキ
樹齢は約650年。神社は遷宮されたが、近津明神(現 馬場都々古別神社)の御神木だったこのケヤキは、形が優れていたために残されたという。
ケヤキ?と驚くほどゴツゴツした木肌。何百年もの間、静かに歴史の流れを見守ってきたのだろう。棚倉城跡は桜や紅葉がきれいだというから、その頃にまた訪れたいと思う。それとも夏? 葉をいっぱいに繁らせた大ケヤキに会いたい。