予報通り今日は晴天。2週続けて県南の狛犬巡りをしたので、相馬の近くにも狛犬がいないかと思って出かけてみることに…
初發神社(浪江町北幾世橋)
御祭神:天之御中主神
相馬中村藩第二十一代藩主昌胤に由縁のある神社。神社の復興資金をクラウドファンディングで募り、2018年12月に改修工事完了。相馬藩の家紋・九曜紋が社殿の屋根や狛犬の新しくなった台座に付いていた。
昭和時代に奉納された狛犬
大正時代に奉納された狛犬
クサ野神社(浪江町請戸)
東日本大震災の津波で流出した社殿が、今年2月に再建された。社号標はもとの境内にあったもの。もとの4体の狛犬のうち2体が見つかり境内の一角に奉納された。
大小2体のうち、大きい方の狛犬は野田平業が彫った狛犬。台座に「彫刻師 野田平業作」と刻まれている。被災した狛犬は津波で流されて、発見後しばらくの間は墓地に仮置きされていたという。
小さい方の狛犬も無事に奉納された。2体ともそのまま廃棄されても仕方がないくらいのダメージを受けている。
真新しい社殿の前には真新しい狛犬が奉納されていた。被災した神社の歴史を何百年も先の後生に伝えるために、今までの狛犬とこれからの狛犬が一緒にここにいる。
標葉神社(浪江町苅宿)
第13代成務天皇の頃(縄文時代の頃?)染羽国造(しめはのくにのみやつこ)に任じられた足彦命(たらしひこのみこと)が白幡天王を祀ったのが始まり。「染羽」は8世紀頃に「標葉」に変更された。御祭神は須佐之男命。境内には御神酒殿があり、春の祭りで奉納される「どぶろく」が仕込まれている。
震災で社殿に大きな被害はなかったものの、本殿周囲の玉垣や鳥居、石の階段などが倒壊。改修工事が完了した2019年4月、震災と原発事故後初めてとなる祭りが開かれた。震災前は11月に開かれていたが、復興への願いを込めて建立された祈願碑の除幕式も同時に行い「復興祭」として開かれた。
渦巻く波のようなたてがみと尾、そして眉毛。勇ましい表情の阿形の狛犬。吽形の狛犬の前後では2頭の子獅子たちが今にもけんかを始めそう、母獅子が前足で子獅子を押さえている。
相馬中村宮初發神社(双葉町)
妙見信仰に篤かった相馬藩によって建立された神社で、寛政3年(1791年)創建。
震災後は避難区域となり、神社の御神体は約10年間、宮司と一緒に避難していた。神社の所在地は放射線量が高くて許可証なしでは立ち入ることができなかった。できることから始めようと、2015年に氏子たちがしめ縄の掛け替えを再開。2019年11月に社殿の修復が完了。2020年3月に立ち入り規制が緩和され、2020年11月に御神体を神社に戻す儀式が行われた。
厳しい表情の狛犬たち、人々が誰もいなくなり神様でさえ遠くに避難していた間、ずっと社殿を守り地域の復興を信じて待っていたのだろうか…
八幡神社(双葉町中野)
大津波で全壊し原発事故で立ち入りが制限されていたが、国営の追悼記念施設「復興祈念公園」の敷地内に再建が許可された唯一の神社。
双葉地区には未だ帰還困難区域の指定が解除されず、本来の鎮座地で祭りを行うことが困難な神社が数多くある。そうした神社を遠く離れた場所から遙拝するための合祭殿が新しく併設された。
前に来たときは壊れた石材がガラガラと散らばっている状態だったが、今は境内がきれいに整備されている。白い車でやって来た老夫妻が社殿のまわりを掃除していた。「今日は11日だから。毎月11日にはここに来る」「ここは海岸から500m、前は集落があったが今はもう住めない、氏子たちはここに戻って来たくてももう戻れない」
神社のすぐ隣の家が撤去されずに残っている。屋根瓦が崩れて窓が開いたまま、破れたカーテンが風になびいて…
神社の「八幡」と刻まれた石柱は、あえて震災当時のままに残してあるのだろう。