浦幌神社・乳神神社の宮司一筆  

神社や日本の伝統文化で培われてきた教えやヒーリング(癒し)をお伝えしております。浦幌神社・乳神神社宮司の一筆。

北海道十勝 子宝安産の乳神神社 伝説 7

2009年04月27日 | 宮司一筆

乳様のお話の続きです。

乳様のナラの大木は災害で倒れてしまいましたが、乳房のコブの部分がきれいに残っていたため、昭和30年ごろから地元の瀬多来神社でお祀りするようになりました。

現在の水子神社のお社が、当時、乳様のコブを納めたお社です。

水子神社について→こちら

 

その後、浦幌町内で乳様の御神徳を広く世に広めようという声が高まりました。

そして、昭和57年9月12日、浦幌町の婦人14名が発起人となり、浦幌神社の境内に社殿を設け、御神体のコブをお移し、お祀りするようになりました。

    乳神神社

 

浦幌町瀬多来発祥の乳様の信仰は、今も変わりなく続いております。

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北海道十勝 子宝安産の乳神神社 伝説 6

2009年04月27日 | 宮司一筆

乳様の子宝・安産の信仰のはじまり。

 

その後、乳様のナラの大木の前で盛大にお祭りが行われるようになりました。

ところが、

突然、大変な事態になりました。

乳様のナラの大木が災害で倒れてしまったのです。

樹齢もかなりたっており、幹に大きな穴があいていたのが原因だそうです。

右側の乳の部分のコブがかろうじて残りましたが、地元の方は、大変ショックを受けたといわれております。

ところが、数日後・・・

倒れたナラの大木の根元あたりから、新しいナラの芽がでてきたのです。

「乳様の子どもだ~」と地元の方は大喜び、乳様の不思議な力に感動したそうです。

新しいナラの木は、乳様の子ども(2代様)として信仰されるようになりました。

 

乳様の子に受け継がれた命、不思議なお力にあやかろうと子宝・安産の信仰がはじまったと伝えられています。

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北海道十勝 子宝安産の乳神神社 伝説 5

2009年04月27日 | 宮司一筆

乳様の話の続きです。

乳様は大正の中ごろ発見され、その信仰が次第に広まりました。

当時は、特に母乳授け、病気平癒の様として信仰されておりました。

地元の方の話では、北海道内はもとより、遠くは九州からもお参りに来たそうです。

また、本州の方の代理で参拝に来られた方も数多くいたそうです。

そんな中、地元瀬多来で乳様のお祭りを立ち上げようという声が高まりました。

その先頭に立たれたのが、菅原鶴次郎さんという方です。

前回ご紹介しました菅原敏枝さん、飯田アヤ子さん等の父親にあたります。

瀬多来神社には、乳様のお祭りで使用した太鼓が残っております。

 

太鼓には、昭和9年とありますして、お祭りを立ち上げたとみられる方々の名が刻まれております。

 

当時は、乳様のナラの大木の周りで踊りをやったり相撲をやったり、盛大にお祭りが行われたそうです。

飯田さんのおばちゃんのお話によると、

露店がずらりと並び地元の瀬多来神社のお祭りより、人が集まったそうです。

当時から、乳様がたくさんの方々に厚く信仰されていたこたが伺われます。

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