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父と松江

父は1966年(昭和41年)に松江に来たらしい。

松江駅に汽車待つ夜の三時間暗き宍道湖の岸に来りぬ

歌集で、一応目にしているはずだが、一読してあまり気に留めなかった。歌自体があまり強烈な印象を持たないし、松江の文字に今ほど敏感でなかったからだろう。

当時の父は61歳、3時間あっても、どこに行くあてもなく、駅構内もその付近にも、にぎわいはなかったろう。今でもそうだから。駅から宍道湖までは歩いてどのくらいか、そう遠くはない。もちろん湖は暗かったろう。父の松江は暗い宍道湖につきるのだろう。大阪の大学に通っている21歳の娘が将来この街と関係を持つことになるとは夢にも思わなかったはずだ。

それから10年、1977年の私たちの結婚後、九州と山陰の親たちが互いの街を訪問するような話はたまには出たが、それを強力に推進するほど、私たちは乗り気でなかった。40年の間に彼らは老いて死んでゆき、今はただ一人95歳の義母のみが生き残っている。

先日、大阪の兄が妻と来松し、宍道湖の夕日を眺めつつ4人で夕食を取った。
父にひきかえ、77歳の兄は夕映えを見た。松江城にも上った。

これも、ふたりの人生観の違いを表しているように思う。
たそがれと夜と月光、孤独と郷愁、「情」に生きる繊細な詩人タイプの父に比べ
兄は母ゆずりで、太陽に向って一直線の「知と意」に生きる正反対のタイプなのだ。

しかし、兄が来たお陰で、この歌を知って以来、心に抱いていた、「人気のない駅と暗い岸辺」以外の松江も父に見せてやりたかったという思いが、理不尽かも知れないがいくぶん癒されたような気がする。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
こんにちは (luna)
2016-09-25 14:34:30
昨夜、昨年4月の「松江フォーゲルパーク」の記事にコメントさせていただきました。お時間のある際にでも目を通していただけたら嬉しいです(^.^)
 
 
 
Unknown (Bianca)
2016-09-25 21:15:50
うっかり見逃したコメントのお知らせ有難うございます。
お返事しましたのでご覧ください。明るいニュースで嬉しいですね。
 
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