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2024年を振り返る

昨年わたしたち5人きょうだいはおとうとが76歳、長兄が86歳、私はきりの良い80歳になった。それぞれ生活習慣病だの、何やかやの不調を抱えつつも、何とか5人とも生きて来られたことはありがたい。

ひまになってきたKと、あちこち出歩く年だった。

11月末に神奈川近代文学館で見た安部公房展では、本人より周辺の女たち妻や母や娘に魅力を感じた。母安部ヨリミが公房の生まれる直前に書いた、生涯唯一の小説「スフィンクスは笑う」を読んだが、驚くほど斬新な作品だった。

11月半ばには上野公園の都美術館で「田中一村展」を見た。その絵葉書を姉に出して、父の遺品にあった一村画集は誰が買ったか聞くと、父がひとりで見に行って買って来たとのことで、それが父の死の1~2ヵ月前だったことを思って、感慨深いものがあった。自転車事故にさえ遭わなければ、まだまだ元気だったろうに…。

外苑の銀杏並木も11月下旬に見に行った。12月初めに江ノ島に、1月7日に川崎大師に行ったけれど、どこに行っても、驚くばかりの人だった。すべて行楽はKの発案で、比較的に人の少なそうな曜日や時間をKは選んでいたのだが、結局は大多数の人と同じ発想ということが証明されたわけである。

ちょっと遠出したのは、11月中旬に熱海に一泊、小津の「東京物語」を見て予習した。笠智衆と東山千榮子の老夫婦が旅館の浴衣で腰を下ろした堤がホテルのベランダから見えた。貫一お宮の像も見たが、Kは納得がいかぬようだった。♪熱海の海岸散歩する~♪の歌詞どおり仲良く散歩する姿を銅像にすればよかろうに、あれではDVおとこに虐待される女のようだ、と。うちに帰って読んだ岩波文庫の「金色夜又」の表紙絵は、貫一はまるで舞台中央で見得を切っているように描かれている。当時の日本では、すがる女を蹴飛ばして振り切る男が格好いいと見えたのかもしれない。言い換えると女性の力は、蹴飛ばさなきゃ振り切れないほど、強大だったとも受け取れる。

さてYouTubeでは、6月からKER(Kevins English Room)に熱中した。彼らは大学のアカペラサークル出身の3人組で、育ちの良さをしのばせるおっとりした雰囲気、とくに日英仏3か国語で歌う「水平線」とか、一つ一つの単語を大切に感情をこめて歌うやまちゃん(magora)の「真夏の果実」とかは素晴らしく、数か月間は寝ても覚めてもというくらい熱中した。ついにうちの近くで彼を幻に見るほどに高じたが、こんなことでは困ると自分からはなれていき、大阪大学の学生と卒業生が作る「積分サークル」に興味を移した。彼らが深夜の大阪の街で録画した「微分・積分・いい気分」というラップ?は秀逸で、日ごろからユーモラスな会話がいかにも土地柄を表す。大体に頭が良いはずだが、発達障害を疑われるような生活能力の欠如者もいるのが味わいがある。

旅行系ユーチューブもよく見る。わがふるさと鹿児島の発展には目を見張るが、一方「どこにでも行くドスコイ」に魅かれている。この人は、大勢が行くところや観光には興味がない。それはこの人自身、ADHDでもありジェンダー的にも揺らいでおり、人間界の周縁にいるから、境界とか端っこに惹かれるのだと思う。

しかし、ついつい麻薬のように引き込まれるのがおそろしい。秋田のTV番組で「ユーチューブばかり見てねぇか?」となまはげに脅されて、3つ4つくらいの子供がなきながら「見てない」と言うシーンがあったが、あんな幼い子供ですら夢中になるのがYouTube、20倍くらい生きている自分はもっとしっかりしなければ。

 

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