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夕刊

久しぶりに夕刊が読める土地に住むことになった。

朝刊は取っても夕刊は取らない人が多い。すでに私が配達をしていた30年くらい前からそうだったが、今はもっと進んで新聞自体を取る人が少ないらしい。私とKは引越してすぐ、夜の散歩中に、近くで見かけたⅯ新聞の売店に出向いて申し込んだ。暗い店内でひとり翌日のチラシの準備をしていた若者から、Ⅿ新聞でいいのかと念を押された。(道の並びにあるA新聞とか、地元のK新聞ではということか)おいおい、M新聞の看板を掲げている店でそれはないだろう。

鹿児島の子ども時代は地方紙(南日本新聞)には夕刊がついていたが、中央紙(朝日)にはそれがなく、代りに、小説が2つ載っていた。松江でもそうだ。朝夕刊の分が載っていたのだ。そのころの楽しみは、土曜の映画の広告だった。大きく出ている。それが来ることも、題名も役者の名も知っていても、ちょうどサーカスのジンタを聞いたようなもので心がワクワクする。

4年生の時、放課後、近所の友達の家で4、5人で遊んでいた。少ししゃれた設計の庭のある家だった。罰ゲームで、たまたまそこの娘が男物の下駄をはいてケンケンしながら庭を一周している最中だったが、ちょうど門のところに差し掛かるとさっき来たばかりの夕刊を手に取り、けんけんも続けながら、読み始めたのにおどろいた。Wさんは同級生と比べて絵も字もうまく、成績もトップで体つきも丸みを帯びて大人びていた。後でうわさに聞くと、結局私たちより背は伸びなかったというから、早熟だったのだろう。私には彼女はいまも大人みたいな面影の人として残っている。

ついでに思い出したが、少学2年生の時、隣席の男の子が「吉田(茂)と鳩山(一郎)どっちが勝つと思う?ぼくは吉田が勝つと思うよ」と言ったことがある。

これら二つのエピソードの主は、熊本と青森からの転校生であった。かれらは転校することで否応なく大人びたのだろうか。それとも戦後10年くらいの日本にはそういう空気があったのだろうか。


→ 四字熟語 10-4-26
→ 映画「記憶の棘」Ⅱ 11-8-17
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