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【本】自轉車日記

漱石全集第15巻(初期短編と詩歌)にある。が、残念な事に、ブログを書いている最中、本の背表紙に亀裂が入ってしまった。ひびが広がりそうであまり開けないので、想いつくままに。

漱石が30代前半1900~1902年、熊本第五高等学校の英語教授のまま、文部省令で英国に留学した。カルチュア・ショックにおそわれる中、責任感が強く真面目な性格なので、成果を挙げねばと留学費用のほとんどを書物に注ぎ込み、生活を切り詰めた挙句、孤独感が嵩じ、神経衰弱になってしまう。「夏目金之助は発狂した」という知らせが日本に伝わったそうだ。

その状況を克服するためとも、気分転換のためとも言うが、自転車に乗る稽古を始めた。「自轉車日記」は悪戦苦闘の様を面白く報告しているエッセイ。「倫敦消息」と共に気に入っている。

 新しい物好きの漱石らしく、自転車は当時大いに流行しつつある乗り物だったようだ。1895年、新婚旅行に自転車を用いたキュリー夫妻、「失われた時を求めて」でも海辺の避暑地で、自転車を押し歩く華やかな少女らが出てくる。「シャーロック・ホームズの帰還」に「美しき自転車乗り」と言う短編があるし、日本でも、冒頭颯爽と自転車に乗る女学生が登場する小杉天外作「魔風恋風」の連載が始まるのが1903年。このモデルは三浦環で、1900年16歳の時、自転車通学で街の評判になったらしい。東京に女性自転車クラブが発足した。下田歌子が会長、環は会員だったとか。

⇒「自転車乗り」15-10-15
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
自転車乗り (kazukokawamoto)
2008-04-09 13:19:43
自転車乗り大好きなの、二駅も三駅までもいってしまう、思いのまま走るので快適です。ストレス解消に利用します。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2008-04-09 21:00:11
川本さんコメント有難うございます。
思えば、大阪は自転車天国でしたね。旅行者が「ミナミで盛装のホステスも自転車に乗ってる」と感心していたこともあります。引っ越す時に、自転車も2台トラックに載せてきました。しかしこちらは狭い道で車が威張っており、自転車は乗りにくいです。私はこぐのが遅いので、歩くのと然程変わらず、町は小さいし、どこにでも歩いて行きます。
 
 
 
Unknown (稲みのる)
2008-04-27 03:43:42
子供が20㌔近く離れた高校に合格した時、子供と一緒に自転車で往復してみました。どの程度大変なのかを確認する為に。昔取った杵柄ですから、久し振りの自転車乗りは問題なかったのですが、体力の衰えがひどくて、復路、自宅近くのわずかの勾配にも苦戦しました。子供は呆れ返っておりましたが、今では懐かしい思い出になっております。自転車も好いものですね。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2008-04-27 07:58:06
20kmとはまたすごい距離ですね。
息子さんもよく通学されたことです。
子供のころは元気よく飛ばしましたが、筋力の衰えと共に、自転車の重さが感じられる今日この頃です。
第一、日本の道路が自転車用に出来てません。オランダのように自転車専用道路でもあったらいいのですが。
 
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